「魂の目覚め」と聞くと、何か特別な体験や劇的な変化を想像する方もいるかもしれません。
でも実際は、もっと日常的なものと感じています。
たとえば、ふとした瞬間に
「この感情、どこから来たんだろう?」
と立ち止まることができることだったり。
誰かの言葉に反応したとき、
「これは私の本心?
それとも昔誰かに言われたことが残っているの?」
と問いかけができることだったり。
自分の心の動きを客観的に見つめるということ、その積み重ねが魂の目覚めに繋がっていくのだと感じます。
釈迦やダスカロス、多くのマスターたちが語ってきたように、目覚めとは、自分自身の内側にスポットライトを当てることから始まるのだと思います。
眠りやすく、目覚めやすいこの世界現代は、ネットでの情報や刺激も多く、私たちの感覚は流されやすい状況にあります。
世間の言葉や情報に流されたり、「みんながそうだから」と自分の本音を見ようとしないことは。魂が眠ったままの状態で人生を過ごすことに繋がります。
ですが同時に、心理学やスピリチュアルな知識もネットや書籍で簡単に触れることもでき、
「これは本当の私ではない」
と気づくチャンスもあちこちに散らばっています。
• 何かに違和感を覚えた時
• 誰かの言葉が深く刺さった時
• 自分の反応に「これは本当に私の心からの反応かな?」と問いかけた時
それらの瞬間は、魂の目覚めの入り口なのかもしれません。
先日、個人カウンセリングに来てくださった方との対話の中で、ふと
「目覚めとはこういうことかもしれない」
と感じる瞬間がありました。
その方は、悩みや気になることをたくさんお話ししてくださり、私はいつものようにそれに応答していきました。
けれど、答えた後にふと、
「私の言葉は、粗探しのようになっていないだろうか」
と自問する瞬間がありました。
そこを深く探ると、
「せっかく来てくださったのだから、私にできることをたくさん提供しなければ」
という力みがあったことに気づきました。
知らず知らずのうちに
「変化を起こさなければ」
「何かを見つけなければ」
と、粗探しのような緊張感が生まれてしまっていたんだと。
でも、その方は、誰かに傷つくことを言われても、ご自分の理想通りにしようとはせず、自然に、穏やかに受け容れているように見えました。
その姿に、
「もうこの方は十分に目覚めていらっしゃるのかもしれない」
と感じたのです。
そのご依頼者様との対話で、
癒しの場とは『何かをする』ことではなく、
『ただ在る』
という力を信じる場所なのだ
と、改めて学びました。
セッションの中で、その方の過去世を見させていただく場面がありました。
けれど、その方の場合は「書き換え」や「修正」を行う必要がなく、ただ過去世の映像をお伝えしただけで、ご本人の中に深い気づきが起こりました。
その気づきによって、直前まで抱えていた“お悩み”だと感じていたものが、その気づきのためにあったというものに変化したのです。
私自身も驚きと感動を覚えました。
目覚めとは、劇的な変化や悟りのようなものではなく、日常の中で、自覚はなくとも、ですが確かに起こっているものです。
ある日突然、何かが芽吹いたように感じることもあるけれど、それはずっと前から、種が土の中で水を吸い、根を伸ばし、光を待ちながら準備されていたもの。
魂の目覚めは、そうした見えない積み重ねの先にある、発芽の瞬間なのです。
• 傷ついたときに、誰かを責めるのではなく、自分の感情を見つめること
• 理想を手放しても、穏やかな心や感謝の気持ちを持とうとすること
• 過去の記憶に触れても、そこに執着せず、感情に飲み込まれず、ただ受け容れること
そんな在り方が、魂の目覚めを促してくれます。
このエピソードを通して、私自身も「癒しとは何か」「導くとは何か」を改めて見つめ直すことができました。
そして、目覚めとは誰かが起こしてくれるものではなく、自分の内側で静かに起こるものだと、改めて感じたのです。
毎度毎度内観かって思われそうだけど、それしかないから仕方ない(笑)
お読みいただき、ありがとうございました
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