こんにちは。本当の愛と幸せを届ける講演家 中村美幸です。

ご訪問下さり、本当にありがとうございます。

このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。

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(こんな小さな子どもたちが、なんでこんな場所にいなくちゃいけないの・・・。

かわいそうに・・・)

 

付き添い看護生活に少し慣れた頃、廊下を歩くたびにそんな気持ちがこみ上げた。

 

 

 

閉鎖病棟のなか、学校に行くこともかなわず、風の通らない病室の中で勉強をしている中学生・・・。

 

 

食卓ではなく、ベッドの上で食事をする男の子。

家にいたら、「お母さん、今日の夕ごはんはなに?」と言いながら、お母さんに足元にまとわりついているであろうに・・・。

 

 

おしゃれを楽しみたい年頃の女の子が、パジャマ姿で廊下を歩いていく・・・。

 

 

 

そんな姿を目にするたびに心の中から湧き上がった。

 

(なにか悪いことをしたわけでもないのに・・・。どうして、こんなかわいそうな目に・・・)

 

 

 

 

その日は、めずらしく母と一緒に父がお見舞いに来た。

 


病室に入ってきた二人を見つけた渓太郎が、嬉しそうにキャッキャと声を上げると、母はニコニコと微笑みながら「渓ちゃん、おりこうさんにしてた?」と言って、私の腕の中にいる渓太郎の顔を覗き込んだ。

 

そして、「おいで」というように両腕を差し出して、渓太郎を抱き上げようとしたとき・・・。

 

母の後ろにいた父がポツリとつぶやいた。

 

 

「かわいそうになぁ・・・」

 

 

誰に向かって言ったわけでもないその言葉が、あっという間に私の心のど真ん中を突き抜けた。

 

 

(「かわいそう」って、なによ!渓太郎はこんなにも嬉しそうに笑っているというのに!)

 

 

こみ上げる怒りを必死に抑えて聞こえないふりをしていると、父は母の方に体を寄せて、腕の中にいる渓太郎の頭を撫でながら、またポツリと言った。

 

 

「いっぱい遊べると思っていたんだけどな・・・。うちにも遊びに来れなくなっちゃったなぁ・・・。」

 

 

その時、ギュッと唇を噛んでいる父の姿を見ると、心の中に湧き上がっていた怒りに切なさが加わった。

 

 

(「渓太郎がかわいそう」だなんて・・・。本当は自分が辛いんじゃない・・・。渓太郎のせいにしないでよ・・・)

 

 

母に抱かれて「キャッキャ」と喜ぶ渓太郎は、自分を哀れんでいるはずもない。

 

 

 

 

それから数日後。

 

お散歩に行くことを許可された私は、渓太郎が乗る乳母車を押しながら病院の中庭に向かった。

 

途中、廊下を歩く子どもたちの姿を目にしながらしみじみと思った。

 

 

 

「私は、子どもたちを「哀れな子どもたち」に仕立て上げていたんだ。私が本当に「かわいそう」と思いっているのは、自分だ・・・」と。

 

 

 

それから中庭に着き、廊下と庭を隔てるサッシに映る自分の姿を見たとき、自然と優しい言葉がこぼれた。

 

 

(こんなに小さな体で・・・。私、本当によくがんばっているね・・・)

 

 

心の奥で悲鳴を上げていたもうひとりの自分が、大粒の涙を流しているような気がした。

 

 

 

 

このとき以来、私の人生でほとんど使うことがなくなった。

 

「かわいそう」という言葉。

 

 

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