「子どものことがかわいいと思えないんです」

 

とつぜん話しはじめた、そのお母さん。

 

 

私の方をいっさい見ることなく、下を向いた目からはポタポタ、ポタポタと涙がこぼれた。

 

 

思い通りに子育てができないイライラから、頭ごなしに子どもを怒ってしまうことや、否定的な言葉を浴びせかけてしまうこと、時には手をあげてしまうこともある、とこぼし始めた。

 

 

 

『どんな人でも、存在するだけで素晴らしい。それは、子どもも、大人も・・・』

 

 

 

そんなことばかり考えてきた私は、目の前にいるお母さんに対して、どんな声をかけてあげたらいいのか、なにをしたらいいのか・・・その解決策をまったく持ち合わせていなかった。

 

 

「かわいいと思えないことが、切ないんですね・・・」と言ってみたものの、あまりにもたくさんの涙を流すから、そっと訊いてみた。

 

 

 

「どうしてそんなに涙がでるんでしょうね・・・」

 

 

 

するとそのお母さんはサッと顔を上げると、はじめて私の方を見て、(え?なに言ってるの?)とでも言いたげな表情したかと思うと、はっきりとした口調で言った。

 

 

「だって、自分の子どもは大切でしょ」

 

 

「そっか・・・。お子さんのことが大切なんですね・・・」

 

 

「え・・・。私、今そう言いましたよね」

 

 

「はい・・・。そうみたいです」と言うと、照れた顔をしながら「あれ・・・」とつぶやいたお母さん。

 

 

 

(そっか・・・。かわいいと思えないことが悲しかったんじゃなくて、大切なのに、それが上手にできないことが悲しかったんだ・・・)

 

 


「悲しみと愛」は、表裏一体。

 

―――私はこれを、渓太郎が亡くなった直後に経験した。

 

 

 

 

渓太郎が旅立ったあと、私はどうにもならない悲しみに襲われた。

 

 

 

「どうしてこんなに悲しいんだ!!」

 

 

「いったい私は、どうしたらいいんだ!!」

 

 

 

時にはその矛先が、渓太郎にさえ向いた。

 

 

額ぶちに収められた笑顔の渓太郎に向かって怒りをぶつけた。

 

 

 

「渓ちゃんは、悲しい思いをしなくていいね!!」

 

 

「なんでそんなに笑っていられるの!!」

 

 

 

だけど、心の一番奥で繰り返されていたのは、渓太郎を想う、切なくてあったかい言葉。

 

 

 

「渓ちゃん、渓ちゃん、大好きよ」

 

「渓ちゃん、渓ちゃん、かわいいね」

 

「渓ちゃん・・・逢いたいよ」

 

 

 

今でも大好きだから悲しくて、逢いたいのに逢えないから苦しくて・・・。

 

 

 

 

プラスとマイナスは、いつでも表裏一体。

 

「悲しみ」や「怒り」、「憎しみ」も、その裏には必ずあったかい「愛」がある。

 

 

 

 

 

 

~6/16(土)「いのちと心のおはなし会」@横浜みなとみらい が開催されます~

 

「生」と「死」と向き合い続ける生活の中で、渓太郎や一緒に闘病していた子どもたちから教えてもらったのは「幸せとはどこにあるのか」「愛とはなにか」・・・。

 

人の幸せは、置かれた環境や状況によって決まるのではなく、どんな状態であっても、心のあり方によって、幸せな時間を過ごすことができるのだということを知りました。

それにより、過酷だったはずの私たちの闘病生活は、豊かで温かな幸せに包まれた時間へと変わっていきました。

 

少人数制のおはなし会です。

皆さんと近い位置で、幸せについて、愛について語り合えたら、そんなに嬉しいことはありません。 もしよろしければ、以下の詳細をご覧ください。

 

「いのちと心のおはなし会@横浜みなとみらい」

 

みなさんにお会いできることを心から楽しみにしております。