小児腫瘍病棟で渓太郎の付き添い生活をしていた時、私が描いていた最大の夢は、「渓太郎をカートに乗せてスーパーへ買い物に行くこと」・・・。

 

陳列棚に並ぶお菓子を指差しながら、カートに乗った渓太郎が「買って!!買って!!」とわがままを言っている声や、小さな足をバタバタと動かしている姿を想像しては、「いつか、きっと・・・。」と、叶わぬ夢を描き続けた一年間。

 

 

しかし、我が子をカートに乗せることなど日常生活の一コマにすぎなかった・・・渓太郎が病気になるまでは。

 

食事が摂れることやゆっくりとお風呂にはいれること、買い物に行ったり、空の下を歩けることも・・・。

 

 

 

そんな当たり前であるはずの日常が、突如、手の届かない夢となり、「当たり前なことなどひとつもない」という現実を突きつけられた。

 

 

渓太郎が酸素マスクを付けるようになってからは、空気が吸えることでさえ当たり前ではないのだと・・・。
 

そして・・・

 

当たり前に来るはずだった「渓太郎との未来」も奪われて、すべては奇跡の連続なのだと気がついた。

 

 

 

・・・昨日、投稿されていた軽くする優しい言葉をあなたに:nobby-westさんの記事を読み、そんな当時の記憶が一気に蘇りました。

 

 

「当たり前のことなど、ひとつもない」ということは、もしかしたら「不幸なことなど、どこにもない」ということなのかもしれない・・・。