渓太郎が旅立ったことで終了した闘病生活。

 

それは同時に、

 

新しい生活の始まりでもあった。

 

 

 

それは、これまで培ってきた習慣のひとつひとつに、悲しい現実を突きつけられる日々のはじまり。

 

 

 

「そろそろ、おむつを代えなくちゃ・・・。」と、私の視線は無意識に渓太郎の姿を探し、

 

聞こえるはずのない「きゃ、きゃ」という渓太郎の笑い声を捉えようと、耳を澄ます。

 

そして、

 

ふと気がつくと、抱っこのポーズをとっている私の両腕・・・。

 

 

空を抱く私の腕の中には、もう渓太郎の温もりはあるはずもなく、

 

ようやくその時「渓太郎は死んだんだ・・・。」と数十分間だけ、現実を理解する。

 

 

 

 

そしてしばらくすると、またいるはずのない渓太郎を探しはじめる私の五感・・・。

 

 

 

 

渓太郎のかわいい姿が見たい

 

笑い声が聞きたい

 

ミルクの香りがする渓太郎の匂いを嗅ぎたい

 

温もりを感じたい・・・

 

 

 

 

いない渓太郎の存在を探して、探して・・・探し続けて、ようやくわかった。

 

 

 

 

「いない」から探すのでは、見つからない。

 

だけど、

 

「いる」から探せば、きっと見つかるのだと・・・。

 

 

 

 

 

 

それから、「渓ちゃん、渓ちゃん」と言いながら、少し笑って空を抱いてみた。

 

 

 

すると、胸の奥であたたかい温もりを感じた気がした。

 

かすかに渓太郎の匂いがしたかと思うと、鼻の頭にふわふわとした渓太郎の産毛が触った。

 

 

 

 

私は今でも渓太郎の声が聞こる。

 

姿が見える。

 

温もりを感じて、涙が流れる。

 

 

 

 

「いる」から感じる渓太郎の存在。