当時3歳だった息子を亡くした叔母が、はじめて私にそのときの気持ちを話してくれた。

 

 

 

「気が狂うかと思ったよ。」

 

と、たったひとこと。

 

 

 

 

同じ経験をしていながら、これまで一度もその時のことを話してくれなかった叔母。

 

 

 

渓太郎のお葬式にきてくれた時も・・・

 

実家に遊びにきた時も・・・

 

一緒に車に乗っている時も・・・

 

叔母は私に渓太郎のことや、亡くなった子のことについて一切話さなかった。

 

 

 

 

(80歳を過ぎた今でも、各地の寺院を訪れて息子の供養をしている姿を見れば、

 

その子のことを片時も忘れたことなどないはずなのに、なぜだろう・・・。)

 

 

 

 

ずっとそんな疑問を抱えてきた。

 

 

 

 

 

そして、先日。

 

実家に遊びに来た叔母に、勇気を出して聞いてみた。

 

 

 

 

「ねえ、おばちゃん。 一番上のお兄ちゃんが死んじゃったとき、どうだったの? 」

 

 

すると叔母は、たったひとこと。

 

 

 

 

「気が狂うかと思ったよ。」・・・と。

 

 

 

 

 

それを聞いた瞬間、

 

叔母の言葉と渓太郎を亡くした時の気持ちがぴったりと重なった。

 

 

 

 

 

悲しいでもなく、さみしいでもなく、辛いでも、苦しいでもなく・・・

 

 

表現できる言葉が見つからなくて、発狂しそうになった・・・。

 

 

 

 

 

そんなことを思い出しているうちに、やっと気がついた。

 

 

 

 

 

 

叔母は

 

声をかけなかったのではなく、

 

声をかけることができなかったのだと・・・。

 

 

 

 

 

 

「子どもを亡くした経験がないから、なんと声をかけたらいいかわからない・・・」と言っていただくことが多くある。

 

だけど、

 

同じ経験をしたからこそ、言葉がみつからないこともあるのだと・・・。

 

 

 

 

 

 

「かける言葉が見つからない」

 

その言葉の土台にあるのは、計り知れない思いやりと深い愛。