前回に続き、ロジアのLeicaコピー機「ZORKI」を紹介します。
Krasnogorski Mekhanicheskii Zavod (KMZ)はモスクワ郊外のクラスノゴルスクに1942年設立され、カメラの製造を開始しました。
主な機種の発売時期です。ロシア語の名前は読み方が難しいですね。
1946年 Moskva(モスクワ。蛇腹式カメラ)
1948年 FED-1(フェド。Leica II Copy)
1949年 ZORKI-1(ゾルキー。Leica II Copy)
1952年 ZENIT(ゼニット。一眼レフ)
1958年 START(スタート。一眼レフ)
1960年 ISKRA(イスクラ。蛇腹式カメラ)
1967年 HORIZONT(ホリゾント。パノラマカメラ)
KMZは以前はHPにモデル毎に年次生産台数を公表していましたが、現在は見当たりません。カメラ製造も止め、会社名も変わった(S.A.Zverev KRASNOGORSKY ZAVOD JSC)ためでしょうか?
カメラのロゴも年代によりデザインが異なっています。
プリズム内を光が通る、如何にも光学機器メーカらしいデザインです。
ロシア製カメラの中でも、KMZ製のものは珍しくデーターが豊富でした。
公表されている、ZORKI-1の生産台数は以下です。
1948 1,636
1949 15,000
1950 38,186
1951 70,501
1952 128,752
1953 152,150
1954 190,500
1955 204,400
1956 34,377
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合計 835,502台
モデル別では、ここに写真とともに紹介ありますが、合計が合いません。
製造番号も抜けがあり、多分この位だろうとの補正値を下記します。
最初の生産はFEDの部品を使い、FEDそのものでした。
次が、FEDとZORKIのダブルネーム。
Model 生産年 台数 #製造番号
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FED 1948-48 100 #00001-00100
FED-ZORKI 1948-49 5,700 #00100-05750
ZORKI-1(A) 1949-49 3,000 #05750-08500
ZORKI-1(B) 1949-51 100,000 #08000-115000
ZORKI-1(C) 1951-53 350,000 #115000-470000
ZORKI-1(D) 1953-55 208,000 #470001-680000, #5500001-5570000
ZORKI-1(E) 1955-56 168,800 #557001-55204300, #5600001-56034400
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合計 835,600台 (注)1955年から製造番号に西暦の下2桁がつく
ZORKIはその後モデルチェンジをしながら非常に多くの台数が生産されました。
KMZが公表しているモデル毎の生産台数は以下です。年別は省略。
Model 製造期間 台数
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Zorki-1 1948-1956 835,502
Zorki-3,3M 1951-1956 87,569
Zorki-2 1954-1956 10,310
Zorki-S 1955-1958 472,702
Zorki-2S 1955-1960 214,903
Zorki-3S 1955-1956 45,572
Zorki-4 1956-1973 1,715,677
Zorki-5 1958-1958 236,501
Mir 1959-1961 156,229
Zorki-6 1959-1966 385,207
Drug 1960-1962 23,702
Zorki-4K 1972-1980 524,646
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合計 4,708,520台
ZORKIもModel-1,2以外はファインダー部が巨大化し、Leicaとは全く異なるロシア風のいかつい風貌になりました。
Zorki-I、C、4K、5 を保有してますが、巻き上げもゴリゴリした感じで、Leicaのスムーズさに遠く及びません。まあ、写真を取ると言う基本機能は有していますが、幸福感は余りありませんね。
それにしても、ZORKIシリーズで35mmフォーカルプレーン(FP)式レンジファインダー(RF)機が500万台近くに達するのは驚きです。
一方、ロシアの一眼レフ生産台数推移についてはこんなデータがあります。
1980年代半ばがピークで100万台を越えるも、90年代行半にほぼ生産が収束。
KMZとBelOMOが両雄で、日本のNikon、Canonと言ったところでしょうか。
ややこしいことに、BelOMOもKMZのZENITと同じ名の一眼レフを製造しています。
ZENIT
Eは1971年にスーパーのダイエーが「MEPROZENIT-E」の名前で1万円余りの低価格で販売しました。当時の一眼レフは5万円程度、安価な
「Petri
V6」でも2万円余りなで、まさに「価格破壊」でしたが、余り売れませんでした。ダイエーは前年の1970年にも、当時10万円以上したカラー
TVを59,800円で発売し、話題になっています。
そのダイエーも親会社イオンの方針で、2019年にダイエーの名前が消える予定です。
ちなみに、KMZの一眼レフ「Zenit」は、スパイ衛星と同じ名前です。人工衛星のカメラにもKMZ製が使われています。KMZはソ連の軍事企業でもありました。
スパイカメラと言えば、元祖「Minox(ミノックス)」や、映画「ローマの休日」で一躍有名になった「Echo 8(エコー8)」がありますが、KMZ製もあります。
KGB秘密警察で使われたスパイカメラ「F-21」(製造期間は1951年~1990年代半ば迄と長期に亙る)を、KMZは「Zenit MF-1」として市販しています。
1994年のフォトキナで発表されたもので、35mmフィルムを21mm幅にカットして使うフィルムカッターも発売されました。
こちらに写真があります。「Robot」や「Ricoh Auto Half」と同じゼンマイ式で、僅か180g。ハーフサイズ(18x24mm)の画面が20枚撮影できました。
世の中がデジタルに移行し、ロシアのスパイも1990年代半ば以降はフィルム式カメラの使用を止め、使われなくなったカメラを外貨稼ぎのため、民生用に復刻生産したのでしょうか?
2013年9月に
ウクライナの有名なカメラ収集家がKGBのスパイカメラ「F-21」を2台所有していた罪で逮捕されました。最長7年の懲役刑が課せられるとのこと。 若
し、市販品の「MF-1」なら逮捕されずに済んだのでしょう。写真を見ると製造番号「T77041」が刻印されており、1977年に製造された41号機で
しょうか?
「F-21」はイスラエルの戦闘機クフィル(Kfir)の米国空軍での別名「F-21 Lion」と同じ名前で、ソ連の「MiG-21」戦闘機の仮想敵機として訓練に使用していたそうです。
「F」はFighterの頭文字でF-35ステルス戦闘機など、爆撃機ならBomberでB(B-52など)、輸送機ならCargo(C-130など)、練習機ならTrainer(T-38など)と名付けられます。
カメラでも、Nikon F、Konica F、Canon F-1など「F」をつけています。こちらは一眼レフ(Single Lens Reflex)をレフレックスと呼んだことから、省略してFlex=「F」にしたと言う説があります。F-1はF1(Formula One)に由来?
スパイカメラではありませんが、警視庁がデモ隊などの撮影用に使用したピストル型カメラもあります。「Mamiya Pistol(マミヤピストル)」で日本カメラ博物館のこちらに写真と仕様が掲載されています。
1952年の「血のメーデー事件」でデモ隊を撮影していた警官が襲われ負傷した為、Mamiyaにファインダーを覗かずに撮影できるカメラを開発依頼した結果、生まれたのがこの「Mamiya Pistol」です。
1954年に僅か250~300台が製造。「F-21」や「Zenit MF-1」と同じハーフサイズで65枚撮り。
ピストルカメラを向けられた人は、撃たれるのかとビックリした事でしょう。
このカメラは上部の警察章を消して廃却された筈ですが、何台かは残っていて、コレクター垂涎の的です。
こちらの記事によると、1993年にクリスティーズオークションで$16,500で落札、1998年にeBayで$25,000。今なら300万円位?
こちらの写真には、警察章と製造番号(No.1014, 1223)が認められます。
ゾルキーはモスクワ生まれ偉丈夫で
ダイエーが発売しても銭取れず
スパイには蓑、エコ、銭戸よく似合う
ピストルで狙われドッキリハーフ撮り