「その昔、相撲道場があって、おすもうさんが来てた。でっかかったなぁ」
「道場の雪下ろしをした」
「土俵の建物が雪の重みで壊れる瞬間を見た」
「(戦後)子供の頃、野球をするのに土俵の盛り上がりが邪魔だった」
時は戦時中。戸隠に相撲道場なるものがあり、様々な人が研鑽を積まれていたようなのです。
ただ、いったいそれがなぜ、相撲ファンは多いものの実際の相撲文化の無い戸隠で、どのような経緯で、誰が、どうして開かれたのか、誰に聞いてもどなたも知らず、まったくわからないでいました。
冒頭の会話は当時を知る人々から聞いた話なのですが、今はお歳でも当時は子供時代とあって細かな事情は知らず、とにかくそこに「有」り、そして戦後には「無」くなったことしかわからないでいました。
間違いなく有ったことだけは確かで、当館におきましても
このようにただ事ではないものが伝わっており、さらに古い写真を整理してみると
え!軍配がこんなに沢山!
我が家に伝わるのは左上の天下泰平と書かれたもの。
勇ましい文字が並ぶのはまさに戦中という世相を反映しており、ますます過去に何があったのか知りたいなと常々考えておりました。
ちょうど2年前の今くらいの季節のことでした。
宮澤家一同で酒宴を開き、相撲の話で盛り上がっていた折に、こんな時代だからひょっとしたらネットに何か出ているのではないかと調べたところ・・・
・・・なんと!!!あった!!!これだ!!!
2017年に目白大学の胎中千鶴教授によって書かれました論文を見つけたのです。
現在もウェブ上で公開されておりますのでご興味のある方は探してみてください。
(不親切じゃないかきみぃという話ですが、リンクしてもいいものかどうかわからないので、お察しくださいませ。)
点在していた所在なき証拠の数々に線が結ばれ、長年の謎が氷解していくまさにその瞬間の、脳がとろけるような学術的な気持ち良さよ!大袈裟でなくこんな体験をしましたので、つい嬉しくて引っ張り気味に書いております。どうぞお許しください。
正直なところ、あまりにどなたもご存じの無かった話なので、ひょっとしたら戸隠にとっては大した話ではなかったのではないかくらいなことを考えたこともありました。
全然違いました。
むしろ、戸隠や相撲のアイデンティティにも迫る、もの凄く大切で大事な過去でした。
次回、過去に何があったのか、様々な写真と共に、書きます。