宮崎タケシのブログ

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加計疑惑追及のエース「三ツ星議員」受彰 前衆議院議員 宮崎タケシのブログです


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沖縄県知事選で玉城デニーさんが勝利しました。「予想外の大勝」との報道が目立ちますが、私自身は投票日4~5日前の時点でデニーさんの勝利を確信していました。世論調査の生データと、現地で感じた「空気感」を考え合わせれば、勝利は揺るぎなく思えました。大きな理由は、対立候補である佐喜真淳氏の陣営に全く勢いが感じられなかったからです。

(関連記事は宮崎タケシのブログ https://ameblo.jp/miyazaki-takeshi-gunma/ で)

選挙の常識から言えば、デニーさんの勝利は難しかったはずです。「オール沖縄」から保守系の多くが離脱し、前回選挙で翁長知事が巻き起こしたような一大ブームもありませんでした。一方の佐喜真陣営は前回第三の候補だった下地幹郎氏系や、自主投票だった公明系も取り込んで盤石の構え。この時点で勝負あり、というのが選挙の常識です。

分厚い陣容を構築した佐喜真陣営が、自民・公明両党による沖縄政治史に残るであろう空前の組織選挙を展開しながら、完敗したのはなぜか。「知名度の違い」や「弔い合戦」という陳腐な解説では説明できない大差は、なぜついたのか。組織力に劣るデニーさんが完勝できた理由を、自分なりに振り返ってみたいと思います。

デニーさんと私は衆議院の初当選同期であり、今回は一人の友人として、群馬から応援に駆けつけました。落選して素浪人の身かつ、現在はどこの政党にも所属していないので、完全に個人的行動です。政党や陣営が経費を負担してくれるわけでもないので、航空券、宿泊費、現地でのレンタカー代まで全て自腹を切って、手弁当でお手伝いしました。

選対から割り振られた役割は、対立候補がかなり強いとされる地域での、地元建設業者への働きかけでした。地域的にも職域的にも「敵地ど真ん中」という厳しい状況でしたが、結果的には七十社近い業者に接触し、支援をお願いすることができました(ほとんど前向きな返事はいただけませんでしたが…)。冷たい反応は予想通りながら、そんな中にも気づかされることがありました。

結論から先に書きます。デニー陣営は明確な意図をもって「候補者中心、沖縄主役」の選挙を志向していました。一方の佐喜真陣営は、外から見る限り完全な「候補者不在、政権主役」の選挙になっていました。勝負を分けた最大の要素はそこだった、と考えます。

 現地で多くの建設業者の方々と対話しました。「佐喜真を応援している」「デニーじゃ困る」と明言される方も少なくありませんでした。理由はさまざまです。「業界が推している」「辺野古でこれ以上揉めるべきではない」「取引先との付き合いで」「振興予算を減らされたらどうするのか」「デニーは気にくわない」「共産党と手を組んでいるじゃないか」「翁長を英雄視するのは間違っている」等々です。

ところが、肝心の候補者本人の話がちっとも出てきません。知事選ですから、普通は候補者が話題の中心です。たとえば「なかなか敏腕だ」とか、「アイディアマンだから」とか、「○○政策に力を入れてくれる」など。あるいは「一緒に××会の役員をやった時に世話になった」とか、「実は娘と同窓生で」とか、「泣き上戸なんだってさ」なんて、個人的なエピソードが出ることもよくあります。

 ところが今回は、どこへ行っても「デニーが」「辺野古が」「翁長が」「共産が」「予算が」「業界が」…という周囲の話ばかり。選挙に携わった経験がある人なら分かるかも知れませんが、議員選はともかく首長選では、これは典型的な負けパターンです。佐喜真陣営の中核を担う建設業界すら、そんな有様なのです。むしろ応援に入った小泉進次郎氏の方が目立っていました。知名度でデニーさんに劣っていたのは確かですが、陣営には強大な組織力と圧倒的な物量があり、短期間で候補者のイメージを浸透させることは十分可能だったはずです。

 佐喜真陣営には≪本土≫から有名無名の政治家が次々に駆けつけ、人寄せパンダよろしく連日連夜の応援演説を繰り広げました。「政府・与党の総力戦」と言われたゆえんです。一定の効果はあったでしょうが、候補者本人を埋没させる副作用もあったように思えます。タマ(候補者)の問題でも、知名度の問題でもありません。残念ながら佐喜真氏は、陣営内で脇役に追いやられていたのです。

政府与党がやっていたのは「佐喜真氏の選挙」でも「沖縄の選挙」でもなく、「安倍政権の選挙」でした。国政における与野党の構図をそっくり沖縄に持ち込み、イデオロギー対立を煽って組織力で押し切れば勝てる、という目算だったのでしょうか。辺野古隠しをしているはずなのに、頭の中は辺野古一色であることがにじみ出していました。

デニー陣営の戦略は、正反対でした。私たちが選対に現地入りを連絡したとき、返ってきた答えは「応援演説の機会はないし、ステージにもあげられません。それでも良ければ」というものでした。私のような無所属の素浪人ばかりでなく、主要政党の幹部も軒並み似たような扱いでした。≪本土≫から来た政治家のほとんどは、ひたすら目立たない場所で、黒子として手伝っていました。

デニーさんが有権者に伝えようとしていたメッセージは「沖縄のことは沖縄で決めよう!」ということでした。選対には「これは沖縄県民による選挙だ」という意識が徹底され、とりわけ≪本土≫の政党対立の構図が持ち込まれることには徹底して否定的でした。辺野古移設が争点だったのは事実ですが、デニーさんはそこに焦点が当たることを避け、演説の大部分を「経済」と「アイデンティティ」に費やしていました。

今回の選挙で、印象に残ったエピソードがありました。佐喜真氏を応援している建設業の老経営者が語ったことです。その方は「辺野古は予定通り進め、その上で、使用期限を決めて返還後は民間空港化するよう交渉するべきだ」と主張する一方で、「高江のヘリパッドは観光振興の障害になるから撤去すべきだ。政府に妥協してヘリパッドを認めたのは翁長知事の大失策だ」と訴えていたのです。

それを聞いて目を覚まされた思いがしました。恥ずかしながら私は、「『高江のヘリパッドはすぐにも撤去せよ』と主張する辺野古移設推進派」の存在を、認識していませんでした。つまり、私自身も「基地賛成か、反対か」という≪本土≫の視点でしか見ていなかったのです。中島みゆき風に言えば「私の敵は私です」(『ファイト!』より)ということです。

振り返ってみれば、現地に「辺野古賛成、高江反対」という方がいるのは当然です。私にとって沖縄の米軍基地は抽象的な存在ですが、沖縄の方々にとっては目の前の現実そのものであり、辺野古の飛行場と高江のヘリパッドは全くの別物です。単純に賛成、反対で割り切れるはずがありません。デニーさんが戦っていたのは、実はそのような≪本土≫の視線ではなかったか、と思うのです。

玉城デニーさんが大差で完勝できたのは、「沖縄のことは沖縄で決める」というメッセージが、県民の共感を呼んだからではないでしょうか。佐喜真氏が敗北したのは、政府与党がこの選挙に≪本土≫の構図を持ち込み、≪本土≫の論理だけを前面に押し出したからではないでしょうか。

デニーさんのスローガンは「イデオロギーよりアイデンティティ」でした。この選挙はまさに、デニーさんが掲げる「アイデンティティ」と安倍政権の「イデオロギー」が正面からぶつかり合った選挙でした。佐喜真氏がそのようなイデオロギーにうかつに乗ることなく、辺野古問題に正面から向き合い、沖縄のリアルを本音で語っていたなら、また違う結果が出ていたかもしれません。

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