菱田春草の絵です。これは複製です。

 

霊界の存在(岡田茂吉師御論文です)

昭和24(1949)年8月25日

 そもそも、人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。そうして人間なる高等生物は素よ

 

り、他のあらゆる生物否植物、鉱物、その他形体を有する限りのあらゆる物質は霊と体の二要素によって形成されたものであって、いかなる物といえども霊が分離すれば亡滅するのであるが、ここでは人間のみについて説明してみよう。そもそも人間の肉体は老衰、病気、大出血等によって使用に堪え得なくなった場合、霊は肉体を捨てて離脱し、霊界に赴き霊界人となり霊界生活が始まるのである。これは世界いかな

 

る人種も同様で、その例として第一次欧州大戦後英国において当時の紙価を高からしめたオリヴァー・ロッジ卿の名著「死後の生存」であるが、その内容は著者ロッジ卿の息子が欧州戦争に出征し、ベルギーにおいて戦死し、その霊が父ロッジ卿に対し種々の手段をもって霊界通信をおびただしく贈った、それの記録であって、当時各国人は争って読み、それが動機となって霊界研究は俄然として勃興し、研究熱が盛んになると共に、優秀なる霊媒も続出したのである。また彼の有名なるベルギーの文豪青い鳥の著者故メーテルリンク氏も心霊の実在を知って、彼の有名なる運命観は一変し、心霊学徒として熱心な研究に入ったという事は、その方面に誰知らぬ者もない事実である。しかもその後フランスのワード博士の名著霊界探検記が出版され、心霊研究はいよいよ盛んになったという事である。ワード博士に到っては霊界探究が

 

すこぶる徹底的で、同博士は一週に一回一時間位、椅子に座したまま無我の境地に入り、霊界へ赴くのである。その際博士の伯父の霊が博士の霊を引連れ霊界のあらゆる方面に対し、つぶさに霊界の実相を指示教導されて出来た記録であるが、その際友人知己の霊も種々の指導的役割をなし、博士の霊界知識を豊富にしたという事である。これはなかなか興味もあり、霊界生活を知る上において大いに参考になるから、読者は一度読まれん事を望むのである。もちろん西洋の霊界は日本とは余程相違のある点はやむを得ないが、私は最後において、日本及び泰西(たいせい)における霊界事象を種々の実例をもって解説するつもりである。

 

 十数年前、英国よりの通信によれば同国においては数百の心霊研究会が生まれて盛んに活動しつつある事や、心霊大学まで創設されたという事を聞及んでいたが、その後大戦のためいかようになったか、今日の実状を知りたいと思っている。
 さて霊界の種々相について漸次説いてみよう。
(岡田茂吉師御論文です)

 

 

画像は菱田春草の絵です。

 

霊界の審判(岡田茂吉師御論文です)
 

昭和18(1943)年10月23日

 そもそも人間は、現世において各々その与えられたる天職使命を完全に遂行すべきであるに拘わらず、大多数は事物の外観的方面のみをみて判断し、目的の為に知らず識らず悪に属する行為もあえて為すので、それが長年月に渉るにおいて、相当の罪穢となって霊体に曇が堆積するのである。これは、霊界の存在を知らなかったから止むを得ない事であろう。従って、人間が死後霊界人となるや、その罪穢の払拭が厳密に行われるのである。それらについて以下詳説してみよう。

 

 私は幾多の死霊から霊媒を通じて霊界の事象について、出来得る限りの詳細なる調査研究を行ったのである。そうして死霊の言説についても誤謬や虚偽と思う点を避け、幾人もの死霊の一致した点を綜合して書くのであるから大体において誤りはないと思うのである。

 

 人間一度霊界に入るや、大多数は神道で唱うる中有(ちゅうう)界又は八衢(やちまた)、仏教でいう六道の辻、基督教でいう精霊界に往くのである。しかし、ここに注意すべきは日本の霊界は立体的であって、西洋の霊界は平面的である。私が研究したのは日本の霊界であるから、そのつもりで読まれたいのである。そうして右の八衢とは霊界における中間帯である。それは本来霊界の構成は九段になっており、即ち天国が三段八衢も三段地獄も三段という訳である。

 

 死後、普通人は八衢人となるのであるが、極善の者は直ちに天国へ昇り、極悪の者は地獄に堕つるのである。それは死の状態によって大体判るものである。即ち天国へ復活する霊は死に際会していささかの苦痛もなく、近親者を招き一人一人遺言を為し、およそ死の時を知って平静常のごとき状態で死ぬのである。それに引換え地獄に往く霊は、死に直面して非常な苦痛に喘ぎ、いわゆる断末魔の苦しみを為すのである。又右のいずれでもなく普通の死の苦しみの者は八衢に往くのである。言うまでもなく八衢へ往く霊が大部分であって、死体の面貌を見れば大体の見当は付くものである。それは天国行の霊は生けるがごとく、時には鮮花色さえも呈し、平安いささかの死の形相もないのである。又地獄行の霊は、顔面暗黒色又は暗青色を呈し苦悶の形相を表わし、一見慄然とするようなのもある。又八衢行の霊は一般死人の面貌で、濃淡はあるが大体黄色である。

 

 右についてまず八衢行の霊から説明してみるが、まず死後直ちに八衢へ行くや仏教で唱うるごとき脱衣婆(だついば)なるものが居て、それが着衣を脱がせるのである。そうして三途(さんず)の川を渡るのであるが、その際普通の橋を渡るという説と、橋がなく水面を渡るという説とがある。ただし、後者の説は川に水が無く、龍体が無数に河中に紆(うね)っていて、それが水のごとく見え、龍の背を渡るというのである。又一説には、脱衣婆は娑婆からの着衣を脱がせて、霊界の白衣と着せ更えるというのである。それは橋を渡り終る時、白色は種々の色に染るのだそうで、罪穢の多い者は黒色であり、次が青色、次が紅色、次が黄色、罪穢の最も少いものは白色というのである。それから仏説にある閻魔(えんま)の庁即ち審判廷に行き、そこで審判を受けるのであるが、それは娑婆と異(ちが)い、絶対厳正公平で、いささかの依怙(えこ)も誤審もないのである。その際閻魔大王の御顔は見る人によって異るそうで、悪人が見ると御眼は鏡のごとく口は耳下まで裂け、舌端火を吐き、一見慄然とするそうである。しかるに悪の量が少い程御顔が優しく見え、善人が拝すればまことに柔和にして威厳備わり、親しみと尊敬の念が自ら湧くそうである。又審判の際浄玻璃(じょうはり)の鏡に映写したり、閻魔の帳即ち生前の経歴を控えてある等によって下調べを行う等は事実のようである。そうしてその調べ役は冥官が行い、その監督は神道によっては祓戸(はらいど)の神が行うといわれている。

 

 右の審判によって罪穢の量が定まれば、その軽重によって、それぞれ天国又は地獄の、霊相応の階級へ行くのであるが、神の御目的は罪人を造るにあらず、天国人たらしめるのであるから、地獄行の霊は大抵は一時八衢において修行をさせ霊の向上を計られるのである。それは八衢においては現界における説教師のごときものがあって、それが改善に向わしむべく努力するのである。その説教師なるものは現界においての各宗教の教誨師(きょうかいし)等が死後そういう役を命ぜらるるのである。そうして八衢においての修行期間は三十年としてあり、それまでに改心出来得ないものは、地獄へおつるのである。

(岡田茂吉師御論文です)

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画像は菱田春草(ひしだしゅんそう)の絵です

 

霊界と現界(岡田茂吉師御論文です)

昭和24(1949)年8月25日

 そもそも、宗教に関心を持つ場合まず徹底的に理解するには、どうしても霊界と現界との関係を知らねばならない。何となれば宗教信仰の対象は神仏であり、神仏とは霊であるからで肉眼では見る能わざる以上、理論のみによって実態を把握せんとしてもそれは木によって魚を求むるの愚である。しかしながらこの世界には神も仏も立派に実在している以上、否定し去る事ももちろん不可能である。ちょうど野蛮人に向かって空気の存在を認識させようとしてもすこぶる困難であると同様現代人の大多数に霊の実在を認識させる事の困難さはもちろんである。私はまず前提として霊界の構成、霊界人の生活等にわたってなるべく深く説明してみよう。

 

 そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、仏教においては死ぬ事を往生というが、これは霊界からみれば生まれ往く訳だからである。また死ぬ前を生前といい神道にては帰幽といい転帰というのも同様の理である。そうして、霊界人となるや昔から言われている通り、まず三途の川を渡り閻魔の庁に行くのであるが、これは事実であって私が多数の霊から聞いたそれは一致している。閻魔の庁とは現界における法廷と同じである。しかも三途の川を渡り終るや屍衣の色が変化する。すなわち罪穢の最も少なきものは白、次は各薄色、青、黄、赤、黒というように、罪穢の軽重に従い右のごとき色彩となるのである。ただ紫だけは神衣としてある。閻魔の庁においては祓戸(はらいど)の神が主任となり、各冥官が審問に当たり、それぞれ相応の賞罰を決めるのであるが、その際極善人は天国または極楽に、極悪人は地獄へ堕つるのであって、普通人は中有界(ちゅうゆうかい)、神道にては八衢(やちまた)、仏教にては六道の辻と称する所に行くのであるが、大多数はこの中有界に行き、ここで修行するのである。修行を受ける第一は教誨師の講話を聞くので、それによって改心の出来たものは天国へ行き、しからざるものは地獄行きとなるのである。右の修養期間は、大体三十年を限度とし行き先が決まるのである。教誨師は各宗教の教師が当たる事になっている。 

 

 ここで霊界の構成についてかくが、霊界は上中下の三段階になっている。その一段はまた三段に分けられ合計九段階である。すなわち上段が天国、中段が中有界、下段が地獄となっており、現界は中有界に相当する故に、仏語の六道辻とは極楽の三道、地獄の三道へ行く訳で、神道の八衢とは右のほかに、上は最高天国、下は根底の国が加わるのである。そうして天国と地獄の様相を端的に説明すれば、最高天国に昇る程光と熱が強烈になり、ほとんど裸体同様の生活であって、昔から絵画彫刻に見るごとく至尊仏は裸体である。これに反し最低地獄に落つる程光と熱が稀薄となり、極最低は暗黒、無明、凍結状態である。故にこの苦しみにあうや、いかに極悪非道の霊といえども改心せざるを得ないのである。以上はごく大体の説明であるが、現代人が見たら荒唐無稽の説と思うかも知れないが、私は二十数年にわたり多数の霊から霊媒を通じ、または他のあらゆる方法によって調査研究し、多数の一致した点をとって得たところの解説であるから、読者におかれても相当の信頼をもって読まれん事を望むのである。彼の釈尊の地獄極楽説も、ダンテの神曲も決して作為的のものではない事を、私は信ずるのである。

 

 右のごとく、上中下三段階へ往く霊に対し、死人の面貌を見ればおよそ判るのである。すなわち、なんら苦悶の相がなく鮮花色を呈しさながら生けるがごときは天国行きであり、陰欝なる淋しき面貌をし蒼白色、黄青色、つまり一般死人の状態は中有界行きであり、苦悶の相著しく、暗黒色または青黒色を呈するものは、もちろん地獄行きである。

 

 以上は、霊界における基礎的知識を得るためのものであるが、順次各面にわたっての私の経験によって得たる霊的事象を書いてみよう。

(岡田茂吉師御論文です)

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岡田茂吉師論文 御教え
体内の入浴(岡田茂吉師論文です)

『救世』147号、昭和27(1952)年3月12日発行

 私は現代医学の誤謬を常にかいているが、何しろ今まで長い間病気は医者


薬という事に決まっているのであるから、吾々の言う理屈はなるほどと分かっ


ていても、思い切って実行する事が出来ないのが、大抵な人の想念である。だ


からそういう人達のために、出来るだけ分かり易く、ここにかいてみようと思う


のである。


 それについて一番判り易い病気としては、何といっても風邪であろう。そうし


まず風邪を引くやイキナリ熱が出て、咳や痰、くさめ、水ッ洟、頭痛、節々の


み等の苦しみがおこるので、早速お医者に診て貰う。ところがここに問題が


。誰しも風邪くらいと思っている半面、ウッカリすると、どんな事になるか分


らない、あるいは大病の始まりかも知れないという心配が頭を持ち上げてく


る。


そこでお医者の言う通りにして治まるのを待っている。また人によってはアスピ


リンや葛根湯(かっこんとう)を煎じて服むとか、御手製の玉子酒、蜜柑の黒焼


きなどを呑んで、ウント蒲団を被り、真っ赤になって汗を出すやり方である。ま


た懐の温かい臆病な人は、そんな姑息(こそく)な方法は出来ないとして、手遅


れになっては大変だ、それこそ取り返しがつかないと、普段から信用しているお


医者に馳けつける。そこで色々お医者に訊くが、何しろ風邪の原因すら分かっ


ていない医学の事だから、ハッキリ説明が出来ないので安心は出来ない。それ


もそのはず、お医者自身でさえ肚の中では、あるいは肺炎になるかも知れない


という懸念もあるからで、そこでまず安静第一と、精々御大事にしなさいくらい


の御座なり的言葉なので、心細い事おびただしい。といって外にどうしようもな


いから、ビクビクもので、一日中体温計と首ッ引きであるのを、吾々から見れば


実に滑稽至極(こっけいしごく)である。

 ところがいつも言う通り、風邪くらい結構なものはないので、体中のどこかしら


に溜っている毒の掃除であるからで、すなわち熱のために溶けた痰や水ッ洟、


汗などが出るだけ出れば治ってしまい、後はサッパリして健康は増すからであ


る。つまりロハで体内の掃除が出来るのだから、こんな有難い話はないではな


いか。これをたとえてみれば、入浴は外部の清潔法で、風邪は内部の清潔法


と思えばいい。つまり皮膚に溜った垢を落すのと同様体内に溜った垢を落すの


である。だから痰や鼻汁、汗も垢である。もちろん皮膚は人間の手で洗えるか


らいいが、腹の中はそうはゆかないが、自然は有難いもので、風邪という方法


で洗い落されるのだから、何と造物主という神様が巧く造られたものではない


か、としたら実に風邪様々である。だから出来るだけ風邪を引くようにすればい


いので、これがまず一番の健康法である。つまり神様の造った健康法である。


従ってこの理屈が分かっただけでも、心配は半分以上減ってしまうのは当然


で、反って手当などせず放っておくに限るので、それでとても順調に治るから、


今度風邪を引いたら試してみればよく分かる。しかも体内が清まる以上、その


後は段々風邪を引かなくなる。ところがそんな簡単な理屈が今日まで分からな


かったという事は実に不思議で、人間くらい愚かなものはないと私は思ってい


る。という訳で風邪を無暗に恐れ、引いたが最後余計な金を使い、仕事もせず


散々苦しんだあげく、結核などになるのだから、憐れなる者よ汝の名は人間也


と言いたいくらいである。そればかりではない。ここに問題なのは薬である。前


記のごとく体内の清潔法を逆解して停めようとするのが医学であり、そのため


用いるのが薬と称する毒物である。およそ世の中に本当の薬というものは一つ


もない。強いていえばまず米の飯であろう。これは人間が生きてる以上、一日


も欠かす事が出来ないからである。だから今日薬といって有難がっているもの


はことごとく毒であって、毒の力で治るのを邪魔するのだから、これ程間違った


話はあるまい。ではどうしてそんなに間違ったかというと、清潔作用の苦しみが


薬で一時楽になるから、それを治るものと錯覚してしまったからである。とすれ


ば薬というものは全く禁断の木(こ)の実であろう。

 ところがまだ大変な事がある。それは薬毒は体内へ入ると大部分は残ってし


まい、何年、何十年経っても外へ出ないで、体内各局所に固まってしまうのであ


る。それに清潔作用が起こる。それが風邪であるから、そのまま放っておけば


必ず治るものを、わざわざ薬で拗(こじ)らし余病を作ったり、悪化さしたりして、


命までもフイにするのだから、あきれて物が言えないのである。こうみてくると病


気の因は全く薬毒であるから、人間は薬を廃め、出来るだけ風邪を引くように


すれば、年中無病息災となり、長生きする事請合である。

 このような素晴しい人類の誤りを私は発見し、しかも浄霊という薬毒排除法ま


で教えるのであるから、私の事業たるや、いかに大きな救いであるかが分かる


であろう。私の唱える病貧争絶無の地上天国を造るなどと、偉そうにいうのも、まんざら法螺(ほら)でない事が肯かれるであろう。

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風邪は唯一の浄化法(岡田茂吉師論文です)
岡田茂吉師論文 御教え


『明日の医術・新日本医術としての岡田式療病法』昭和11(1936)年5月15日発行

 いかなる健康人といえども、遁(のが)るる事の出来ない病気は、まず風邪で


あろう、しかるに昔から、感冒は万病の因、と言って、非常に恐れるのである


が、これは大変な誤りである。ここにまず、風邪の原因を開明して、風邪は決し


て恐るべきものではないばかりかこの病気あるが為に、いかに人間は、恩恵に


預かっているかという、私の研究の成果を発表したいのである。


 元来人体は、その高等生活器能が、頸部以上即ち脳及び顔面に、集注され


ている関係上、その器能の活動に要する、エネルギーとしての血液は、常に上


部に向って、昇騰し勝ちである。しかるに、現代人の大部分は、汚濁せる血液


の所有者であるから、その汚血も共に昇騰するので、その場合、頸部以上の


高等器能を活動させるには、ある程度の浄血でなくてはならないので、その血


液輸送門にあたる肩凹(けんおう)部及び頸部において、濾化浄清の自然作用


による、残渣(ざんさ)即ち血液中の汚素が、絶えずその部に滞溜するのであ


る。今一つは、肺臓の呼吸運動による空気中の塵埃吸入に因る残渣、それが


上昇しては、肩胛部に滞溜するのである。今一つは、病的でない位の、軽度の


脊髄〔椎〕カリエスに因る膿汁が脊〔背〕部の皮下を、通過上昇して、肩凹部及


び頸部に集溜するのである。随って、頸部付近は人体における、汚物堆積所と


も、言うべき場所である。


 これら、種々の汚物の滞溜は、ある程度の量を越ゆる時、必然に重患が発


生する順序になっている、それを回避せんが為、自然は巧妙にも風邪なる、簡


単にして奏効する、浄化作用を行う事になっているのである。それは、風邪に


依って、汚物は溶解し、鼻汁となり、喀痰となって、排泄さるるのである。発熱


作用は右の汚物溶解の為である。この理を知れば、風邪は、何ら療法をせず


放任しておけば、順調に治癒してしまうのである。この事を知らない世人は、不


安の結果、種々の療法や、手当を為すのであるが、それらは悉(ことごと)く、


療法ではなく、反対に浄化妨害となるのであるから、療法や手当をする程、治


り難くなり、長びく事になるのである。例えば、解熱剤を用いるごときはそれで



る、何となれば、汚物を解溶せんが為の役目をする。その発熱を退散させんと


するのであるからである。又、無理に汗を取る方法も同一の理で、これも、人


為的解熱法であるから不可である。要するに、自然療法が、最も可いのであ


る。この理を教えられて、それを信じた人達は、一文の金も要らず手数も要せ


ずして、医療の時よりも、より速く順調に治癒するので、その意外に驚くと共


に、大いに喜んでおり、風邪に対する恐怖から、解放された幸福に、感謝して


いるのである。


 又世人は風邪は万病の因と思い、風邪によって、各種の重患を喚び起すと


信じているが、これも、非常な誤りである。又、医家もそう信じて、風邪に罹らな


いよう、実に努力しているのであるが、全く真相を知らないからである。そうし


て、重患に罹るという事は重患に罹るべき条件が具備して居って、いつ勃発す


るや知れないという時、たまたま風邪がそのチャンスを作るまでである。病気は


一切汚物即ち膿汁滞溜の排泄作用であるから、一日も早く発生した方が、そ


れだけ軽く済む訳である。随って、風邪によって発病する事は、むしろ歓迎す


べきであって風邪に罹らなければ、幾分遅延して、発病するまでである。故に、


発病が遅れれば、後れるだけ、より重症であるから反って不利であるのは、勿


論である。


 もし仮りに、風邪を予防し得たとしたら、いかん、それこそ恐るべきである。そ


れは滞溜せる汚物の浄化が行われないから、肺臓及び肋膜炎等の疾患を起


し易く、なお、頸部付近の汚物滞溜は、送血器能を圧迫するから、上部の高等


器関〔官〕活動のエネルギーに、不足を生ずるので、その結果、脳貧血、眼、


耳、鼻等の疾患が起り易くなるのである。近来激増せる、近眼、肺結核、神経


衰弱等これが原因が多いのである。


 この真相が知識されたなら風邪こそ、実に重患予防としての、大浄化作用で


あるから少しも恐るるに足りないのである。これ故に近来流行するマスクは、誤


れるのはなはだしいものである。又、年々増加の傾向ある、自殺は勿論多くの


犯罪は、神経衰弱者が多いという事である。又、肺結核患者は現在、全国に百


二十万人ありとせられ、死亡率も、一ケ年十万人を下らないと言うに到って、こ


の病患の撲滅には、官民倶(とも)に、頭脳を悩ましているのであるから、この


私の説のごとく、風邪を予防しない事によってこれらの疾患の、激減する事は、


断じて、疑ないのである。

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岡田茂吉師論文 御教え
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病気とは何ぞや

・アメリカを救う

『栄光』179号、昭和27(1952)年10月22日発行

アメリカを救う

 私は標題の著書を目下執筆中であるが、左の一文はその中の一項目で、参考になると思うから、載せる事にした。

病気とは何ぞや

 序論にもある通り、現在米国における病気の漸増は何がためであるかを、そ

の根本から説いてみるが、まず病気なるものの発生原因であるが、驚くなかれ


病気というものは医療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしていると


いう事実である。つまり病気を治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に


病気を治さないようにし増やしているという、到底信じられない程の迷盲であ


る。そうしてこれは説明の要のない程明らかであるにかかわらず、それに気が


付かないのであるから、全く二十世紀の謎といってもよかろう。それどころか


益々医学に信頼し、これを進歩させれば病気は解決出来るものと固く信じてい


るのである。ではそのような不可解な原因はどこにあるかというと、それは医学


の考え方が逆になっており、病気をもって悪い意味に解釈しているからである。


それをこれから徹底的に解説してみよう。

 本来人間なるものは、生まれながらにして例外なく先天性毒素と後天性毒素


とを保有している。先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、後天性毒素とは


生まれてから体内へ入れた薬毒である。というと何人も意外に思うであろう。何


となれば昔から薬は病気を治すもの、健康を補うものとの観念が常識となって


いて、良い薬さえ出来れば病気は解決するものと信じ、それを医療の主眼とし


ているからである。特に米国は薬に最も重点を置き、新薬発見に非常な努力を


払っているのは誰も知る通りである。ゆえにもし薬で病気が治るとしたら、病気


は漸次減らなければならないはずであるのに、逆に益々増えるのはどうした訳


か、これ程理屈に合わない話はあるまい。元来薬というものは、地球上ただの


一つもないのであって、ことごとく毒物であり毒だから効くのである。それはどう


いう意味かというと薬という毒の作用によって病気症状が減るから治るように見


えるので、実は治るのではないのである。

 では薬がなぜ毒物であるかというと、そもそも人間が口へ入れるものとして


は、造物主が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたのが食物である。そ


うして食物にも人間が食うべきものと、食うべからざるものとは自ら別けられて


いる。すなわち食うべきものには味を含ませ、人間には味覚を与えられている


のであるから、人間は食いたいものを楽しんで食えば、それで栄養は充分摂れ


るので、これだけを考えても造物主の周到なるは分るはずである。この意味に


おいて生きんがために食物を摂るというよりも、食物を摂る事によって生きてゆ


けるので、ちょうど生殖と同様子を得る目的で男女が営むのではなく、別の目


的の営みで偶然子は授かるのであるから、神秘極まるものである。


 右のごとく人間の体内機能は、食物として定められた物以外の異物は完全に


処理出来ないようになっているので、薬は異物である以上含まれている栄養分


だけは吸収されるが、他は体内に残ってしまう。これが薬毒であって、しかも厄


介な事にはこれが各局部に集溜し、時の経つにつれて固結してしまう。その集


溜個所としては神経を使うところに限られている。神経を使うところといえば、も


ちろん上半身特に首から上で、頭脳を中心とし眼、耳、鼻、口等であるから、そ


こを目掛けて毒素は集中せんとし、一旦頸の周りに固結する。いかなる人でも


頸の周り、肩の辺に必ず固結をみるであろう。これが凝りであって、ある程度に


達するや自然排泄作用すなわち浄化作用が発生する。その場合発熱によって


毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿等になって排除されよ


うとする。これを名付けて感冒というのである。

 ゆえに感冒とは毒素排除の過程であるから、少し苦しいが我慢して自然に委


せておけば順調に排泄され、体内は清浄化し治るという実に結構なものである


から、感冒とは全く簡易な生理作用で、神の摂理であるから、大いに感謝すべ


きであるにかかわらず、それを知らない人間は、この浄化の苦痛を反って悪い


意味に解釈し、これを止めるべく考え出したものが医療であるから、いかに間


違っているかが分るであろう。そうしてこの浄化作用なるものは、人体の活力


が旺盛であればある程発り易いので、これを停めるには人体の活力を弱らせ


るに限る。そこで薬と称する毒を用いたのである。昔から草根木皮、鉱物、動


物の臓器等から探り出し、煎じたり、粉末にしたり、抽出したりして水薬、丸薬、


塗布薬、注射薬等色々な形にして浄化停止に応用したのである。それには毒


が強いと生命に関わるから、微弱にして、少しずつ服ませる。このため一日何


回などと分量を決めたので、よく効く薬とは中毒を起さない程度に毒を強めたも


のである。

 このように薬毒をもって溶解排除せんとする毒素を固めて来たので、今日の


人間がいかに有毒者であり、病気が起り易くなっているかは、近来予防衛生な


どとやかましく言ったり、感冒を恐れるのもそのためである。また人間の寿命に


しても六十余歳となったといって喜んでいるが、これも大変な誤りである。という


のは人間病さえなければ百歳以上は楽に生きられるのに、百歳以下で死ぬの


は病による不自然死のためで、無病となれば自然死となる以上、長生するの


は当然である。右のごとく医療とは病を治すものではなく一時的苦痛緩和手段


で、そのための絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法等々すべての


療法は固め手段ならざるはないのである。その中に一、二異(ちが)うのは灸


点と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によって、その個所へ毒素を


誘導させるので、楽にはなるが時間が経てば元通りになるから何にもならない


し、またラジウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら


結構だが、実は組織をも破壊してしまうから、差引プラスよりマイナスの方が多


い訳である。

 以上のごとく現在までの療法という療法は、徹頭徹尾固め方法であって、治


す方法とは毒素を溶かして排除させる以外決してないのである。何よりも医師


は治すとは言わない。固めるというにみて明らかである。しかも固め方法の内


最も有効なものが薬であり、その薬が病原を作るのであるから、医療を受ける


程余病が発り易く悪化するのは当然である。その結果ついに生命の危険にま


で及ぶのである。それについてこういう事がある。治そうとして熱心に高貴薬な


ど用いる患者程成績が悪く、その反対にどうでもいいと思う患者程治りがいい


という話は、医師からよく聞くところである。また衛生に注意する者程弱く、無頓


着の者程健康である事や、医師の家族や病院の看護婦などが多病であるのも


よく聞くところである。面白い事には稀な健康者、長寿者に訊いてみると、自分


は病気した事がないから、医師や薬の厄介になった事はないなどというが、


吾々からみればそれだから健康であり、健康だからそうであるので、この点大


いに味わうべきである。

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岡田茂吉師論文 御教え
病気とは排毒作用(岡田茂吉師論文です)

『救世』57号、昭和25(1950)年4月8日発行

 そもそも、病気を最も判りやすくいえば病気とは体内にある不純物、すなわち


有毒物を種々の形によって排泄さるるその過程をいうのである、従ってこの世


の中に病気ほど結構なものはないので、もし人間から病気をなくすとすれば、


人間は健康を保ち得ず、到底長命などは覚束(おぼつか)ない虚弱者となるの


である、これが千古不滅の真理であって、これを基本として成った医学こそ真


の医学である、ゆえに、もしこの真理に外れたいかなる医術といえども、それは


真の医術とはいえない疑似医術であるから、到底病気は治し得ないのである。

 そうして有毒物とは、彼の喀痰、鼻汁、喀血、出血等の汚血や、膿汁、下痢


便、濁尿、汗、唾液、目脂(めやに)、涙、耳ダレ、発疹、皮膚の紅潮、仝〔同〕


斑点、田虫、水虫、フケ等々であって、まず喀痰、鼻汁、汗、濁尿等の排泄作


用が感冒であり、下痢や痔出血等は全身毒素が腹部へ集り、肛門から排泄さ


れるのである、また膿汁毒血等は腫物によって排泄され、各種の毒血は天然


痘、麻疹(はしか)、猩紅熱(しょうこうねつ)、発疹チフス、疥癬等によって皮膚


面から排泄され、その他は毒素はそれぞれ、種々の形によって排泄されるの


であるから、病気とは換言すれば、人体の清掃作用である以上、清掃された結


果は血液が清浄化するから、健康を増すのである、そのため血行の循環はよ


くなり、殺菌力は強化され、体力強靭となるから罹病し難くなり、精神的には爽


快感の持主となり、楽天的となるのである、これに反し、常に寒冒に罹りやす


く、絶えず不快で、根気なく怒りやすく、憂鬱で、神経衰弱や結核に罹りやすい


のは、濁血が原因であるのは言うまでもない、そうしてあらゆる病気の中でも、


最も簡単にして健康上効果顕著なのは感冒に越したものはないのである、従っ


て、出来るだけ寒冒に罹るようにするのが最もよいのであるから、常に感冒に


罹るよう心掛ければ、結核及び神経衰弱などに犯される事はないといってもい


いのである。

 しかるに、この理を知らない医学は、およそ反対の解釈であるから、いかに


誤っているかが判るのである、何よりも今日医学は進歩せりと言いながら実際



的効果ははなはだ疑問である、むしろ進歩すればする程、真の医道と遠ざか


るばかりである、見よ、今日寒冒の原因すら不明であり、結核の解決さえもい


かに苦心努力しても思うようにならないというに見ても明らかである。

 右の理によって、今日至極簡単な病気でさえも容易に治らないのは逆療法に


よるからである、事実、吾らからいえば、病気なるものは、まことに容易に治る


ものである、それは神が与えた清掃作用である以上、不純物がある程度溜れ


ば人間自身が持っている良能力の活動が発生し治るからであってみれば、ほ


とんどの病気は、何らの手当もせず自然に放任しておくだけで速かに治癒する


のである。

 ところが、いつの時代か判らないが、前述のごとく、病気を逆の意味に解し成


った医学である以上、いか程進歩したとても治るはずがない、それどころか反


って苦痛は増し、生命にまで危険を及ぼすのであるから実に恐るべきものとし、適当の手段を行わなければ安心出来ないという訳で、誤りを解決するのに


誤りをもって発達したのが今日の医学である、とすれば、何と恐るべき愚法を


続けて来たかと言えるのである、しかも、これがため何百何千年間人類はいか


に大なる犠牲を払って来たであろう、それらを考える時全く聖書にある禁断の


果実とは医薬をいったのではないかとさえ怪しまれるのである。

 しかしながら喜ぶべし、いよいよ天の時至って、この誤謬の真相を開明し、病


なき世界を出現させようとするのであるから、近き将来すべて人間の寿齢は百


歳以上は可能となり、且つ無毒者が殖えるに従って、病なく貧なく争を好まない


人間が増える訳で、吾らのモットーである地上天国の実現は近づきつつありと


確言するのである。
 もちろん、かくのごとき空前の大救業は神の大愛の発露と時期到来にある事


はもちろんで、その最も基本的条件は、人間から病を除去する一事で、そのた


めの主要なる点は、医学の是正でなくてはならないと共に、ここに始めて一切


の誤謬は解決し地上天国は成立するのである。

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(岡田茂吉師御論文です)

今も読んだ通り――邪神ですね。邪神も昔は、戦争だとか――殺伐な事をやらせたが、今は邪神も頭脳


的になって――これをすれば社会人類のためだ。と言うように、巧妙な理屈をつける。ですから、巧妙な


言い方だと思って――一生懸命やるんですが、こういう事が良いことと思うから根強い――非常に力があ


るんですね。だから、その害毒は非常に大きくなる。これが最も怖い。医学ですね。医学もそれなんです。


医学と言うものは、邪神がつくったものです。そうして、邪神と言うものは、根本は、世の中を自分のもの


にしようと言う深い計画なんです。そして、一番厄介なのは、本当の――正しい神様を無視するように思わ


せる。これが一番、邪神の狙い所です。それですから、病気にかかるや、神様にお願いしたり、祈ったりす


ると言う事がない。一番怖いんですから、これを無くしなければならない。医学と言うものをつくったのは、


つまり神様なんか拝まなくても、薬とか機械で病気は治ると言う事を思い込ませようとして、今まで色々な


方法を行った。それにすっかりだまされた。段々それにだまされ切ってしまって――偉い人達の心の底ま


で浸透してしまった。それで、色々――唯物的方法で病気が治るように見せかけるんです。注射したり、


色んな事をすると、ちょっとは良いですからね。これを良いと思わせて――信用させていく。そうして、変な


事があると新聞にデカデカと書き、やれ死人の目を取って、やると失明が治るとか、この薬でこの病気が


解決する。と、書くがこのだまし方と言うのは、実にうまいものです。私は邪神の方のだまし方を、始終興


味を持ってみてますが、ところが一般人はそれを知らないから有難がっているんですね。よく新聞なんか


に、新しい薬が出ると、これで結核は解決すると書いてあるが、じゃーそんな事を言っても、結核は増える


ばかりで、かえって症状が悪い。そうして、結核は早期診断が一番良い――早期診断に限ると言うので、


健康診断をして、ちょっと胸にレントゲンをやり、写真に曇りでも写ると、いよいよ結核の症状だと言って、


段々本物に仕立てる。こう言うものはよく考えてやっている。それを、私が打ち破るんです。それをやって


いる。ですから、神様と悪魔の戦いなんです。ここにある曇りと言うのは、痰が一時的に停滞したんです。


それが曇りになる。それを出さないようにする。浄化停止ですね。停滞すると、そこに固まりが出来て、ちょ


うど結核と思われるに都合の良いように拵えて、安静とかが良いとしてやって、段々人間を弱らせていく。


それに引っかかっているのが沢山あります。近代のイギリス人やフランス人がそうです。高度の文明国と


言うが、今日をただ安易にしているだけで、戦争なんか、非常に恐れている。それだけの気力が無くなって


いるんですね。ですから、近代のイギリス等は正邪の観念はあるけれども、それを現わす事は出来ない。


大体、中共政府に対して、イギリスは承認しようとしたが、私はあきれてしまった。そこにいくと、さすがに


米国は力が残っている。人の国を侵略して、一年か二年経っていないうちに承認するなんて、つまり泥棒


を国会議員に推薦するようなものです。そんな事をすると、世界と言うのは、強い者勝ちになる。力のある


者が侵略すると言う事になりますからね。神様が米国をそんな風にしているんですが、それだけの威力が


あると言う事は結構です。イギリス、フランスは魂の抜けた人間みたいです。というのは、医学によって

段々人間を弱らせたんです。そうして文明国の人間が弱ったところをソ連がやっつけちゃうと言う――そう


いう計画ですからね。そこで、米国もイギリスみたいに魂が抜けたようになると、もうソ連の思う通りです。


世界は、要するに共産化してしまう事になるんですから、実に困る。その一歩手前に来ているんです。


 そうして、一番根本は種痘です。一番――世界的に種痘が後れたのはソ連ですからね。近年やっと種


痘を始めたようですが、それも、どの程度か分からない。種痘をしていない国ほど強いですからね。毒の


排除を止めて――結核なんかもそうです。そう言うような具合にして、邪神は非常に巧妙な手段を持って


やっているんです。近代医学は邪神がつくって、邪神が経営していると思っていれば間違いない。そこで、


それを目覚めさせるべく神様が私を使ってやっているんです。その意味によって今「文明の創造」を書い


ているんです。これは来年あたり出来るつもりですが、そうしたら、英文に訳して世界に頒布する。まず、


世界の識者の目を醒ます。そうして段々浄霊なんかも世界中の人間がやるようになります。それではじめ


て人類は根本的に救われる訳です。


 しかし、そうは言うものの、邪神が全然悪いものではない。やっぱり、今までは必要だった。と言うのは邪


神がそういう具合にしないと、物質文化はこういう風には発達しなかった。発達させるには邪神がそうしな


ければならない。話が長くなるから、このくらいにして――これは今に段々書きますが、そんなような具合


で――結局世界を支配している主の神様が、悪をつくり、邪神をつくり、善をつくり、正神にそれを食い止


めさせたりして、段々理想世界の下拵えが出来たんですね。大体、下拵えは出来たんです。今度は、邪


神が本当に改心して良くなれば、世界中が五六七の世になるんですからね。今、その目前に来ている。そ


うでしょう――二大勢力が戦争すれば、どっちかが勝つから、もう戦争を起こす種が見えなくなりますね。


ですから、今は世界の転換期であって、その転換期にメシヤ教が出て大きな審判と、審判後の出発です


ね――建替え、建直し――破壊と創造ですね。「文明の創造」というのは、破壊後の建設のプログラムな


んです。建設の日の設計書なんですから、どうしても必要なんです。ですから、既成宗教のように、ただ


御利益や――そう言うもので、個人個人を救うと言う事も結構ですが、それ以外に、そう言う大きな経綸も


ある。それを知らなければいけない。

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今ちょっと話すると共産主義の元は、やはりフリーメーソンですね。マッソン秘密結社と言って、二千年前


に出来た。世界を掌握すると言うんですね。それが、中途で派に分かれた。フリーメーソンの方は、その


中で極く良い方ですね。これは資本主義を作ったものです。アメリカはフリーメーソンですね。アメリカの


偉い人はほとんどフリーメーソンの会員です。

 一方マルクスですね。あの方は共産主義を作った。学理と労働ですね。これによって世界を得ようと言う


んです。ですから、全然反対同士が、今戦っているんですね。その他に――この根本はユダヤですが


ね。生粋のユダヤ人もあるが、これは宗教否定どころか、固いユダヤ教信者ですね。そこで、マッソンで


すね。根本と言うのは、素盞嗚尊じゃないんですが、素盞嗚尊が非常に働かれたんです。その奥の奥と


言うのはサタンです。最初マッソンが出来た時には、事務所を当時の石屋組合ですね。そこを事務所にし


た。ですから、フリーメーソンの儀式の時には前掛けをしてますね。非常に厚ぼったいのをね。あれは石


屋の前掛けです。それで「石屋」と言う言霊は「医者」になる。だから医者は石屋なんです。そこで石屋組


合は、どこまでも神はないと否定した。そして、全て物質でないと行けないと言う事を二千年もかかって吹


き込んだ。そこで病気なら病気にかかっても、物質で治すと言う事を見せようと言う事が、唯物科学の医


学になった訳です。それは、神はない。人間の病気も物質で治すと言う事を信じさせようと言う一つの深い


謀略ですね。それにみんな引っかかった。ところが仲々うまく行かない。うまく行かないが諦めては、彼ら


の目的は達しられないから、どこまでも治るように見せかけてやっている。その根本は人間の体を弱らせ


なければならない。つまり、謀略で弱らせて自分の目的を達しようと言うんです。その犠牲者が労働者で


すね。文化民族を作って弱らせるんです。これは非常に神秘なんですよ。そこで高度の文明国というのは


段々弱くなる。その一番弱ったのはイギリスとフランスです。非常に戦争嫌ってますね。それからアメリカ


が段々そうなって来た。ところが神様の方では仲々――マッソン系統より神様の方が知恵が上ですから


ね。そこで神様のやりかたと言うのはアメリカに非常に色んな武器の発明をさせて下さった。原子爆弾と


かは神様が教えているんです。そうしないと、先の目的通りにやられちゃう。

 一方にそうしておいて、一方は医学ですね。医学は間違っている。薬や機械を使わないで、こう(浄霊)


やって治ると言う事を知らせて、目を覚まさなければならない。それがメシヤ教の役目です。物質的に武


器の発明によって負けないようにするし、人間を弱らせる医学を暴露して、本当の健康体にする医学を私


の方でやっている。そこで私が、文明と言うのは生命の安全性がなくては文明ではないと言う事は、病気


と戦争をなくすると言う事です。戦争をなくするのはアメリカがやっている。病気をなくするのはメシヤ教が


やっている。それで初めて、五六七の世になるんです。根本はそうなっている。ですから仲々深いものな


んですがね。そう言う事が段々世界中に分かると、本当にミロクの世が出来るんです。これは世界の秘密


ですね人類の秘密ですね。それを暴露したんです。

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