6月になりましたね / 厳島神社夕景
早いもので2026(令和8)年となって、5ヶ月が終わってしまいました。
半年後は11月が終わって、師走へそして大晦日へと繋がります。
6月。
これから梅雨入りとなり、その先には夏が待っている今の季節。
夏至も迎えていないのに、もう12月の話し?となるでしょうけれど、今の時世から明日は判らない日々を送っているのは、誰も皆 同じですよね。
不安がある訳じゃない。
でも安心もできない。
将来そして未来を想い描く時に、心の中へ何か重い物がある。
日本の景気や政治が混沌としているせい?
世界の経済や情勢が不安定なせい?
なかなか楽にならない日々の生活。
終わらない戦争。
物資不足。
何がと言う明確な物がある訳じゃないけれど、いろんなことが負担となっている現代。
だからこそ、半年後はどうなっているかな?自分はどうしているのかな?と、想いを馳せてみたくなります。
この夕陽の向こう側にある、これから朝を迎える国々や、そこに暮らす人々のこと。
巡って明日、昇って来る太陽。
明日と言う時間を暮らしている自分。
明日を捜して、降りたとばりの下をさまよい。
明日は捜さなくても、時が経てば勝手にやって来るのだけれど。
捜さないと、過ぎ去った今日の自分を見失いそうで。
今日の私が、昨日の私になった時、私は明日どこにいるのだろう?
2度と戻らない今日が過ぎて行く。
•••••••。
これはね、小学生の頃に私の心を支配していた虚無感が、私自身に訴えてきていた思い出なんですよねぇ。
厳島神社の夕景を見ていて、なぜだか突然に 、思い出してしまって、現代とオーバーラップしてしまいました。
季節の変わり目だからでしょうか。
ここ最近、寝起きとかに、あの当時と似たような心理状態へ陥ります。
「今日がダメなら明日。明日を捜しゃあいいんですよ」
知る人ぞ知る名セリフですが、 このセリフへの違和感は幼少期からあって、なぜ今日がダメなら、明日を捜すのか。
普通なら「明日も捜せ」ばいい訳で、必要なのなら諦めずに捜して続ければいいはずなのですけれど。
なぜ「明日を捜す」のか。
58年経った今でも、その答は見つけられていません。
4歳の時の疑問に、未だに答えられない自分が、まだ捜している私を追いかけているのかも知れませんね。















