昭和100年4月は スカイライン誕生68周年
毎日、眠たい春ですね(笑)
日中は20℃以上あって、それなりに暖かいのですけれど、朝晩が寒くて大変です。
日中に服装を合わせて、その上に軽い上着を着ると、帰宅時に風邪を引くことは必定。
なのでやはり裏起毛のジャンパーが、まだまだ活躍してしまう、謎のゴールデンウィークです。



明日からですね、ゴールデンウィーク。
今年のフラワーフェスティバルは、被爆80周年のコーナーやパレードも、行われるみたいです。
被爆80周年は終戦80年、そして昭和100年です。
昭和100年4月と言えば、日産スカイライン誕生68周年となります。



富士精密工業より発売されたALSI-1型がスカイラインの初代で、当時の小型機日本車規格に合わせた1,484ccでのデビューでした。
敗戦後、航空機の開発・製造を禁止された航空機メーカーは、重工業における転身をそれぞれ行った企業の1つ、立川飛行機がそのルーツ。
1947(昭和22)年、東京電気自動車としてスタートし、1951(昭和26)年からはガソリンエンジン車の開発へ転身。
旧 中島飛行機系の企業である富士精密工業との協業・合併を経てプリンス自動車と、社名が変わりました。



元航空技術者を多く擁する技術開発重視の社風により、早くから先進技術を導入するフレキシブルなメーカーとなり、そんな中でのスカイライン誕生でした。
1966(昭和41)年に日産自動車へ吸収合併され、その後の″技術のニッサン″のベースとなり、スカイラインは日産の看板ブランドとなります。
プリンス自動車と日産自動車の技術が融合したことにより、スカイラインは日本のスーパースポーツカーとして昇華します。
日産ブランドとなったスカイラインは、4ドアセダンや2ドアクーペの他、トラックやバンなどその高性能でありながら汎用性の高さから、多彩な車種が販売されていました。



スカイラインは、プリンス時代からモータースポーツに参戦していましたが、1969(昭和44)年に登場したGT-Rは、世界の伝説となります。
初代前期 PGC10型そして後期 KPGC10型のGT-Rは、マツダのロータリーエンジンと、宿命のライバルとしてのバトルを繰り広げます。
スカイライン GT-Rは今に続くニッサンレーシングチームの礎を築き、クラス優勝を含む50勝を越す勝ち星をあげました。
スカイラインシリーズは世界から賞賛され、多くのファンを獲得し、特にハイグレードモデルやGT-Rは、ハイパフォーマンスカーとして人気があります。
特にR32・R33・R34の各型 は、ドリフトカーまたはモンスターカーと呼ばれ、ヨーロッパやアメリカなどでも人気絶大でした。
日産自動車は複数の自動車メーカーと合併して現在に至りますが、合併したメーカーのブランドは、スカイライン以外には残っていません。
今も現存している合併前のブランドは全て、基幹メーカーのダットサンが保有していた車種のみですが、その中でスカイラインは世界ブランドとなったが故の。
プリンス自動車の生き残りブランドであり、まさに一式戦闘機″隼″の直系子孫であると言っても、過言ではないスポーツ戦闘マシンと言えます。
ちょっと不自然な感じがあったりしますが、そのうちもっと上達しますので、そこら辺はご容赦下さいね。
そしてユーチューブから、2つのCM動画を埋め込みさせて頂きました。
今日の記事は車種が多いのに、車真が4枚しか用意できなかったので、春のお花ばかりとなってしまいましたが•••••••。
おっと、チビたんもいましたね。