

その後の寒の戻りでチラチラふわふわな雪が、2回ほど降ってしまって、3月だと言うのに凍える毎日でした。
が、春分の日の前辺りから、気温は上昇してやっと、安心した毎日を過ごせるようにはなったものの、プライベートでは日々大混乱な時を今、過ごしていたりします。
そして広島県農業会原爆物故者慰霊碑のすぐ近くには、毛髪碑という石碑が建っています。
髪に火が着いて失った人や、放射線障害で毛髪を失った人への、慰霊碑なのかと思いきや、全く無関係な記念碑だったりします。
この碑は、広島理容師会が建立したもので、「黒髪も いのちのあらむ 朝に日に 刈りしを集め ここにまつらむ」と短歌の一首が刻まれています。
理容技術の向上発展と感謝の意が込められている石碑であって、他の隣接する「原爆犠牲者の冥福を祈る」「真の世界平和の実現を祈念する」と言ったものではありません。
しかし戦地へ召集されたり、空爆や原爆で大勢の人が亡くなり、髪切り技術も失われた技術となりかけたのも事実で。
たゆまぬ努力によって再び理容技術の向上発展が迎えられ、ファッションの一石を支えられるまでになったと言うことは、やはりそこにはこの場所で相応しいとも考えることもできます。
広島市内の建物疎開作業に動員されて犠牲になったのは約6,300人とされていますが、銅板にはこのうち旧制中学校・女学校の計19校約4千人の生徒の名が、学校ごとに刻まれています。
8月6日の慰霊祭では、この縦30cm 横50cmの銅板の名簿41枚を公開しています。
そして今日ラストは「日本発送電株式会社 中国支店 原爆殉職者慰霊碑」です。
日本発送電 中国支社とは中国電力の前身の会社で、中国電力本社裏手の元安川護岸遊歩道に建立されています。
ここら辺りは爆心地から約700mの位置になりますが、旧社屋は約900mの距離があったそうで、被爆によって木造2階建ての社屋は崩壊し焼失しました。
当日、支店で勤務していた117人のうち1年以内に115名が亡くなり、社外で被爆した方を含めて、169名が犠牲となりました。
ところでお散歩のコース上にありながら、途中でやむを得ずスルーしている慰霊碑があるのですが、それはまた別にUPします。
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