若宮稲荷神社 / 広島市東区戸坂惣田
戸坂駅ホームの目の前に建つ、赤い鳥居の神社を訪れてみました。
鳥居には 正一位 重氏稲荷大明神 と、扁額が掲げられています。
今回は本来の重氏稲荷大明神までは訪れず、その途中の若宮神社へお参りに行ってみました。
戸坂駅と鳥居の位置関係は写真の通りで、幅員が1mに満たない細い坂道が続きます。
今回、この鳥居をくぐってみようと思ったのは、以前 快速 庄原ライナーの車内から撮影した鳥居を、鬼滅の刃のリールで使用していたから••••••••なのですが。
リールは38秒の甘露寺蜜璃が大正時代に旅をするといった短編ムービーで、そのワンシーンとして使いました。
戸坂駅は片面棒線ホームなので、列車を降りて外へ出ると立体駐輪場と線路の間の細い道を歩き、戸坂第2踏切という歩行者専用踏切を渡ります。
幅員1m未満のコンクリート道を進むと、この赤い鳥居に着きます。
鳥居の周辺で道は三方向へ分かれますが、案内板はないので間違えないように、事前に調べるかスマホ検索をしなければなりません。
本宮となる重氏稲荷大明神は広島城から見て鬼門に当たり、広島鎮護の神社の1つです。
なので参道は、この道とは別にあるのですが、戸坂駅前に建つこの鳥居は鎮座される松笠山の登山道となります。
若宮稲荷神社の拝殿前には境内が広がりますが、一面緑が覆っていて足を踏み入れる余地はありません。
かといって荒れ地な訳ではなく、ちゃんと手入れはされていて、どちらかと言えば草原のようです。
若宮稲荷神社の御由緒は不明で、重氏稲荷大明神の遙拝所として建立されたのか、地主だった人の屋敷内の稲荷神社だったのか、その想像は膨らみます。
個人宅の神社としての可能性は、お祀りされている神さんがお稲荷さまと、胡子さまそして大黒さまであることから、そう見当違いな推測でもありません。
ただ、もう1柱に石鎚大神がお祀りされていて、かつては重氏稲荷大明神とは別に村守の鎮守さまだったのかも知れません。
石鎚大神は伊邪那岐(イザナキ)命と伊邪那美(イザナミ)命の間に生まれた最初の子で、石鎚比古(イシヅチヒコ)命です。
いろいろ空想は広げたものの、やはり村守の神社だった可能性が、1番有力な可能性なようです。
高台に位置するので、木々の間から戸坂の町が見渡せ、境内に広がる草原がのどかで、今の季節はのんびり過ごすにはちょうど良い空間です。
ちなみに石燈籠の建つ未舗装の道を行くと、この踏切ではない生活横断通路へ出てきます。
芸備線には第4種踏切に満たない横断通路が無数にあって、解決せねばならない課題となっているものの、現実問題として手が付けられない状態に陥っています。
全問正解してみてhttps://t.co/8UX0FcRvOg
— 儚依 ゆず@5/20名古屋 (@poyxo_) 2023年5月18日
さて、話しは突然に変わるのですが、ヴィレッジヴァンガードから限定発売された、儚依ゆずさんのアクリルキーホルダーが、先日届きました。
儚依ゆずさんは、私にとって癒しの女神 バナケイアと言っても過言ではありません。
パナケイアはギリシア神話に登場する女神で、医術を司る神 アポロンの孫にたり、医神 アスクレーピオスの娘の1柱です。
日本神話では、アポロンは大穴牟遅(おおあなむち)神、アスクレーピオスは少彦名(すくなひこな)命、バナケイアは瀬織津姫(せおりつひめ)命と言ったところでしょうか。
ちなみに″ムチ″とは、″ミコト″の位の諡がついた神さんの内、特に位の高い神さんへの称号で、大日孁貴(おおひるめムチ)神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、大穴牟遅は大国主命(おおくにぬし)命の尊称です。
ラストは2度目の貼り付けとなるインスタグラムですが、重氏稲荷大明神の鳥居を用いたシーンは、このリールに収まっています。