
今日はD51-639の日 / 降伏後 史上最大の空襲

| 被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
| ⭐⭐⭐ 郷土史 日本史 私撰集 ⭐⭐⭐ |
今年は更新のタイミングと日付けが一致したので、2018年6月25日以来の記事になります。
そもそもは2017年「
SLフェア 新山口 2017 ー⑤
」にて、小郡に駐機する本線復活を遂げたD51-200号機を見ていて『639号機のことも忘れない』と誓ったことから、毎年6月25日を『D51-639の日』と、私が"勝手に記念日"に決めたのが始りです。D51639は1941(昭和16)年5月に、三菱重工業神戸造船所 №330として落成し、21日に広島鉄道管理局へ新製配置され、6月初旬に小郡機関区へ配備されました。
1945(昭和20)年8月14日、延べ500機にも及ぶ史上最大のアメリカ編隊による岩団空襲の時、岩国機関区へ駐機中に被災しました。
約1年半後の1947(昭和22)年3月1日にやっと第一種休車に指定され、更に約3ヶ月後の6月25日に戦災事由により廃車登録されました。
D51639は生まれてから5年10ヶ月で廃車となりましたが、それは書類上の話しで、実際は再起不能の残骸のまま終戦の混乱の中で放置された結果に過ぎず、事実上4年3ヶ月の短い生涯でした。
この4年3ヶ月(5年10ヶ月でも)の短命は、日本に鉄道が誕生して現在まで、総ての蒸気機関車・電気機関車・ディーゼル機関区を含めて2番目に短い生涯です。
岩国への空襲は、ドイツ占領下フランスのノルマンディ上陸作戦の"史上最大の作戦"と並び、"史上最大の空爆"と称されるほどの人類史上最大の爆撃でした。
それにも関わらず、沖縄の地上戦や東京大空襲、広島・長崎の原爆のような、人に語られることがほとんど無いため、私個人的に鉄道からアプローチしてみようと思った"勝手に記念日"です。
と、2018年の記事から引用しつつ"D51-639の日"の説明をしましたが、ではそろそろ本題へ入ります。
6月25日はD51639が廃車登録された日であって、そのきっかけとなった最後の岩国空襲は、日本が敗北を受け入れて降伏を打診した後の、8月14日でした。
岩国は陸軍航空隊の飛行場(現 岩国基地)があり、海上には柱島など戦艦大和を始め空母の泊地が設けられ、沿岸には陸軍の製油施設がありました。
戦艦大和は4月6日で既に現存していませんでしたが、航行不能となった軍艦群が停泊しており、再三の空爆対象とされていました。
8月14日に行われた最後の空襲では、残る陸軍施設と岩国駅周辺が集中的に爆撃され、600人近い死者を出していますが、この時のアメリカ側の司令は『爆弾と爆弾の距離を1mと空けるな』『(女性子ども関係なく)動くモノは全て撃て』でした。
この降伏意志表示後の空爆は岩国だけでなく他県でも行われたのですが、そもそも降伏までの道程は、1945(昭和20)年7月に無条件降伏を求めるポツダム宣言が出されたものの、その時日本政府がこれを黙殺したことからこじれます。
8月9日には2発目となる核攻撃が長崎へ実施されましたが、同日にはソビエトの満州侵攻が始り、翌10日になって『天皇統治の大権に変更がない』ことを条件に、日本政府はポツダム宣言を受け入れることを決めました。
日本は『戦争とは外交手段の1つとして軍事力と軍事力の闘いであって、勝敗によってその国家の主権や存続は脅かされるものではない』と考えていました。
実際に日本が他国と戦争して主権を乗っ取ったことは過去に1度もなく、統治方法には問題があったものの、この思想から外れた事例はありませんでした。
しかし連合軍から突きつけられたのは無条件降伏であり、日本側は主権の確認を行ったつもりでしたが、連合軍はそれを受け付けませんでした。
しかしこの期に及んでムダな戦闘は避けたかった連合軍は、この先は外交で解決できるものとして、アメリカ軍による空爆を休止します。
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
ー世界史•平和教育•教養関連記事一覧ー
実はここに落し穴が存在しており、日本と連合軍は直接やり取りをしていた訳ではなく、日本政府は全軍が降伏する事を、10日の午前8時に海外向けのラジオの国営放送を通じ、日本語と英語で3回にわたり世界へ放送。
また同盟通信社からモールス通信で交戦国に発信し、その時点で中立国だったスイスとスウェーデンへ在駐公使から手渡され、そして両国から連合国に渡されました。
それにより『ポツダム宣言受諾』と『天皇統治の大権に変更がない』が曖昧となり、連合軍からの本土攻撃休止中に日本国内でも政府と軍部で紛糾が増大となり、会談が始めらそうな様子が見られないことから、14日にアメリカ軍は大規模空襲を再開することとしました。
アメリカ軍は、戦争は終わるのだから残った爆弾や機銃弾を使い切るつもりで、大編隊での出撃でした。
そして14日深夜、日本政府は最終的にポツダム宣言を受諾することを決め、終戦の詔書を出して連合国に日本の降伏が正式に伝わることとなりました。
▼本日限定!ブログスタンプ
ゆずれない家選びの条件は?
![]() |
しかし岩国への攻撃は終わりましたが、アメリカによる空爆がこれで終わった訳ではなく、ワシントンからマリアナの司令部に攻撃中止命令が伝わったのは15日午前4時45分のことでした。
埼玉県熊谷市をはじめ群馬県伊勢崎市、秋田県秋田市土崎などへの空爆は、0時から始められたため攻撃中止の命令が間に合わず、後に終戦記念日に空襲を受けた都市として記録されます。
そして去る6月23日は沖縄県条令による県民の休日"慰霊の日"でした。
アメリカ統治下の時代は6月22日が慰霊の日として休日でしたが、日本へ返還された後の調査で23日が沖縄地上戦が終結した日だと判明し、日付けが改定されました。
昭和天皇が生前の1981(昭和56)年8月の御言で『日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つはあると思います。終戦記念日、広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日です』と表明され、後に『忘れてはならない4つの日』として今も、宮内庁ホームページに掲載されています。
さて、住宅デーですが。
制定された公式記念日ではなく、全国建設労働組合総連合(全建総連)が、仕事内容や技能を理解してもらうために、1978年から取り組まれているPRイベント日です。
今はコロナ禍で自粛中のようですが、本来なら地域の職人が住宅相談や改善アドバイス、住宅リフォーム助成をはじめとする地域で活用できる制度の情報提供や。
独居老人宅や保育園・小中学校などの修繕ボランティアを行ったり、包丁研ぎやまな板削りの他に子ども向けの木工教室などの催し物が行われるそうです。
今日の公式記念日は『生酒の日』『詰め替えの日』『加須市うどんの日』『プリンの日』『指定自動車教習所の日』だそうで。
ちなみに住宅関連の登録記念日は1月19日 = 家庭用消火器点検の日、2月10日 = 二世帯住宅の日、5月10日 = コンクリート住宅の日、6月10日 = 無添加住宅の日、6月20日 = 健康住宅の日などがあるようです。
ゆずれない家選びの条件・・・・まぁいろいろ欲を言えばありますが、防音・防湿・防水・防暑・防寒の五防と、耐震・免震だけは最低限の譲れない条件ですよね。
-P.S-
ジャーナリストの立花隆(たちばなたかし)さんが、急性冠症候群で4月30日に亡くなられていたそうです。
田中角栄元総理の『田中角栄研究』は有名な逸話ですが、それ以外にも近代史を背景とした論理的な記事を、私は尊敬していました。
御冥福を祈ります。










