広島城・広島市中区基町 | 安芸もみじ / 神社と電車と自転車と 【広島】
2017年04月20日(木) 18時00分45秒

広島城・広島市中区基町

テーマ:社寺・史跡・日本史
crossbike,pottering,urbanbike


今日の広島ですが。

寒い朝でした。

まぁまだ4月ですからね。

空には雲が広がって。

時おり、忘れた頃に日が射してみたり。





広島城の二の丸御門を入らずに、お堀沿いに走ると、朽ちかけた櫓台へと辿り着きます。

この櫓台は元々ここに有ったものでしたが、石垣は喪失しており、単なる丘のようになってしまっていたらしく。

お堀の護岸工事の際に、出土した石を積み上げて、現在の姿を留めています。

これは櫓台を保存したのではなく、あくまで石を展示するために作られたものなので、積み方も乱雑な上、説明板もありません。





ここからお堀を離れて直進して、横断歩道を渡ったら。

見事な櫓台が現れます。

が、ここには櫓は無く、後から造られたモニュメントだったりします。

もう少し行くとアストラムラインの城北駅があるのですが、その工事の際に出土した石を展示したものです。







さて、Uターンして、お堀沿いに進むと。

RCC中国放送局の出前に、被爆した校門の石柱が残っています。

1945(昭和20)年8月6日に核攻撃を受けた時に校舎は焼失し、8月15日の終戦と共に廃校となった"広島陸軍幼年学校"が、ここにありました。



振り返ると広島城の天守閣が建っており、被爆直後のここからの景色の写真と共に、天守閣を見ることができます。

意外とね観光客もだけど、広島人も知らない人が多いのよ、ここ。



そこからお堀沿いに進むと、石鳥居が現れて、広島護国神社の入り口となりますが。

もちろん広島城趾の入り口でもあります。

位置的には、二の丸御門の真裏に当たります。



廃城となった後、日清戦争の時に城跡へ大本営が築かれると。

こちらが正門として使われました。

この階段を昇ると直ぐに、大本営跡に着きます。

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上の写真が大本営跡で、下の写真は広島御所跡です。

爆風は秒速440m以上とされていますが、こういった石造りの建物は衝撃波で破壊されています。

核攻撃を受けた場合、イメージとしてよく生き残った人達の苦しみながら死んで行く映像を想像しますけど。

実際は核爆発の高熱線や衝撃波が襲う前、中性子によって先に死亡しています。









広島城の石垣です。

広島城の石垣は毛利家新築時代・福島氏増築改修時代・被爆後補修時代の石積が連なります。

この辺りは400年前の、広島城が新築された時の野面積みで、毛利氏時代のものです。

野面積みながらも、算木積みっぽく見せる装飾化工がされていて、傾斜をつけるために石をナナメにカットされています。

素直に算木積みをするよりも、はるかに高度な技術と多額の予算がつぎ込まれています。





広島城本丸内にある池ですが、古地図を見ると古来からあるようです。

が、このように整備されたのは戦後の復旧工事によって。

原爆に衝撃波によって、全てが破壊されたので仕方ありません。

近年の広島市のように"○○跡"みたいな残骸と看板設置ではなく、ちゃんと池を造ったのですから、最大級の評価ですね。



で、最後は陸軍広島司令部(中国軍管区司令部)の地下通信室です。

人類史上初の核攻撃を行うために、原爆を搭載したB29型重爆撃機"エノラ・ゲイ"は、呉市沖合いから陸上飛行に入り。

広島市を東から西へ向けて飛行中し、一旦通り過ぎた後にUターンして再び広島へ入り、原子爆弾を投下しました。

呉監視局から、この地下通信室へB29飛来の一報が届きます。

この連絡を受けて警戒監視し、空襲警報を発令しました。



一旦通り過ぎたために、空襲警報は解除され、市民が防空壕から出て来たタイミングで、原爆は投下されました。

司令部ではB29再来を確認したため、通信室から再度緊急連絡を入れましたが間に合わず、大勢の市民が犠牲となりました。

この通信室から、その一部始終が無線で飛ばされ、原爆投下の第一報となり、次々とリアルタイムで続報をレポートし続けました。

『一瞬で街が消えた』『大勢の人達が燃えながら歩いている』など、衝撃的なその内容を伝え続けた無線士は、学徒動員だった比治山女子高校の生徒でした。

彼女自身も高放射能にさらされ、数分後には死亡してしまうのですが、その死の直前まで無線は途切れること無く、レポートは続きました。

今でもこの慰霊碑にて毎年、比治山女子中学高等学校主催で、慰霊祭が執り行われています。


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1871(明治4)年4月30日に、飛脚制度を廃止して、新しく郵便制度が実施されました。

行政サービスの開始として日付が中途半端なのは、この当時はまだ旧暦だったためです。

旧暦だとこの日は3月1日でした。

まずは東京・京都・大阪と東海道の各駅で先行実施され、翌年から全国で一斉開始されました。

記念日が制定されたのは1934(昭和9)年で当初は"逓信記念日"と呼ばれていました。

その後、逓信省は郵政省と電気通信省に分割されて1950(昭和25)年に"郵政記念日"と名称が変わりましたが。

1959(昭和34)年には再び"逓信記念日"に戻されました。

しばらくこの名称で推移しますが、2001(平成13)年の省庁再編で再び"郵政記念日"となり、現在に至ります。

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