こちらの読書日記を読みました。
読んでいて少し違和感のある記載がありました。
その部分を引用します。
> ここで周知の事柄ではありますが、あらためて幻魔大戦執筆当時の、作家平井和正を取り巻く状況、心境について再確認しておきたいと思います。
> (1)某教団とは完全に関与を断っていた。
> (2)それでもその教祖の女性カリスマへの信頼と崇拝の気持ちは持ち続けていた。
確かに(2)は周知の事実ですが、(1)はどうでしょうか?
「完全に関与を断っていた」ことを証明する文献が存在するのでしょうか。
「無いこと」を証明することは難しい。「悪魔の証明」と呼ばれます。
なぜなら、「無いこと」を証明するためには、母集団内の観測対象全てを観測した上で「該当なし」と判断しなければならないからです。
実は、(1)に関して、平井和正がGLA教団の人物と接触していたことを証明する文献が存在します。
SFアドベンチャー増刊 平井和正の幻魔宇宙Ⅳ 徳間書店 1984年
17ページ 1984年6月20日~25日の間のいずれかの日付の写真です。
「GLA増本瞭氏と大阪でおちあい中華料理をかこみ旧交を温めた」
とあります。
某教団ことGLAのメンバーと親しく食事している写真が一般の市場に出回る雑誌に掲載されているにも関わらず、
どうして「完全に関与を断っていた」と言い切れるのでしょうか。
私は、「平井和正が幻魔大戦執筆当時、新興宗教団体GLAとは完全に関与を断っていた」という主張は、この記事の写真と矛盾していると考えます。
この写真が捏造写真ならば、私の主張が間違っていることになります。
この写真が捏造写真で無ければ、その主張が間違っていることになります。
平井和正は、後にGLAのカリスマ高橋佳子に対して明らさまに批判的な姿勢で発言するようになるのですが(※)、
幻魔大戦執筆の時期は確かにGLAと距離を置きはしつつも、
どちらかというと友好的なスタンスを取っていました。
- 『真創世記』地獄編の裏表紙には1977年から1992年まで平井和正の推薦文が掲載されていた。
- 徳間書店の平井和正担当者編集者は当時11時間に渡るGLA宗教団体のセミナービデオ視聴に付き合わされた(その中に幸福の科学の大川隆法も映っているらしい)。
- 小説やエッセイ・対談の中では、高橋佳子に対する否定的な見解や教団のトラブルに触れてはいるが、高橋佳子に対して心酔していた描写が多い。
- ぼくは高橋佳子さんに会ったときにわかりましたよ。ご存じですか、『真創世記』という本を書かれた方ですが、「オルレアンの少女」みたいな人なんですよ。カッコいいし、美人だし、素晴らしい魅力ある人なんです。ぼくは高橋佳子さんのお手伝いをして『真創世記』の三部作を世に出したんですが、その時に、ああ、そうか、これからは女性の時代なんだと思うと同時に、女性の補佐こそオレの天職ではあるまいかと思ったものね。(1984年1月17日 吉祥寺・パリジェンヌでの高橋留美子氏との対談にて 幻魔宇宙Ⅲに掲載)
- 驚くほど真黒な輝く瞳は、レーザー光線さながらに光を曳いて視線が送り出されてくるようだ。畏れ多いが、この特殊な黒瞳の輝きは、後に東丈の顕著な特徴のひとつとして描写させて頂いた。(ビューティフル・ドリーマー)
- 彼女が笑う。その笑顔は比類なく魅力的であって、その特徴はやはり東丈に投影されることになった。「幻魔大戦」という巨大物語は、彼女との半年間にわたる"ミカエル学校"の産物以外の何ものでもないのだ。(ビューティフル・ドリーマー)
※1991年に出版された平井和正全集の巻末企画の中で、平井氏が高橋佳子のゴーストライターとして真創世記を執筆・編集した事や1978年にGLAから離脱したことを暴露してしまう。
確かに平井和正は1978年にGLAと手を切り、距離をとってはいましたが、
真創世記に15年間掲載され続けた平井和正の推薦文を読んでGLAに入信した読者が存在したのではなかったのでしょうか?
結果的にGLAの広告塔としての役割を当時は果たしてしまっていたのではないでしょうか?
GLA教祖・高橋佳子の『真創世記』の真の作者はSF作家・平井和正氏
『ウルフガイ』『幻魔大戦』のSF作家・平井和正死去 宗教との関係は?