原ひろ子「ヘヤー・インディアンとその世界」 | こつこつ、しています(超雑読ブログ)

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今日はトレお休みの日ということで

怠惰の極みでありました。

今日までですね。

いくらイベントがあったとしてもこれはひどいわ。

 

 

 

 

原ひろ子「ヘヤー・インディアンとその世界」

ヘヤー・インディアンとその世界
原ひろ子

平凡社 1989年02月01日

by ヨメレバ

 

 

【感想】

今、ヘヤーインディアンというのが

いるのかどうかは調べても情報がないので

わかりません。

 

 

これはそういった民族の宿命でもあるのですが

未知の技術が入ったことによって

よい文化の側面まで消えてしまうことがあるのです。

その民族がその民族であるという

「意味合い」も時に失われてしまう場合もあるのです。

 

 

現実にだいぶ前に見たテレビでも

そういったデメリットの面が前面に出ていましたね。

これはきっと我々のような人たちが

「上から目線で接する」ということがゆえに

起きてしまった悲劇に思うのです。

 

 

ちなみに著者の場合ははじめこそ

独自の考え方を持ったヘヤーインディアンに

違和感を覚えるものがあったようですが

やがて彼らに「らしくなった」と言わせるぐらいまで

なじんでしまっているのです。

 

 

そう、白人のやっていることと

著者のやったことは違うから。

調査という行動はとっているものの

彼女はありのままの「ヘヤーインディアン」に

入り込み、行動をとっていましたからね。

 

 

その中には、今の私たちには

失われつつあるものが見えてくるのです。

「一人で生きていくということ」

 

 

これは言葉通りにはとってはいけなくて

確かに、生活を営む上では

誰かとともに行動をしたり

日々の生活を送らねばなりません。

 

 

だけれども、自分でなしえることは

自分で考え、行動するということなのです。

それはすでにヘヤーインディアンでは

幼児のころから叩き込まれることなのです。

 

 

そうでなければ、厳しい極寒の地では

命を落としかねないから。

だからこその「一人で生きていく」と

いうことなのでしょう。

 

 

だけれども、子供をめぐる事柄は

とてつもなく広いんですよ。

血のつながりは子どもをかわいがるという指標には

なりえないわけです。

 

 

だから養子は当たり前のようにあるし、

年が行ってから養子に取るということも

労働力という観点からあるんですよね。

 

 

それと一番印象的なのは

セクシャルなことですね。

これは私たちの生活とはかけ離れていて

眉をひそめるものがあることでしょう。

 

 

ただ本来は人はこうだったわけで

おそらく遺伝子プール的なものから

そういう概念がないのかもしれませんね。

(ただし、その奔放さがないおうちも出てきます)

 

 

未知の文化を知ることは

面白いものですね。

 

 

 

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