7年前の春、夫の実家のある兵庫県北部から今の地に越してきた。
71歳を前にしての転居だった。
この地に親族がいるわけでもなかったが、中学の時
2年間住んだことがあり、気候が温暖であること、
息子たちのところに、以前の地よりぐんと近くなることが
決断を促したのである。
もともと、ものに拘らない(悪い意味で)私の性格が
素早い決断の背をおしたのだろう。
全地の友人たちの多くは、私の決断に驚き、
「あなた、ご主人が眠っている地を捨てる気?」と本気で
咎める意見をぶつけてくる親友もいた。
(前地の友人からもらった手作りお雛様)
私が生まれた地で暮らしたのは、小学一年までで
その後その地に住むことはなかった。
お盆やお正月には、生まれた地に両親と帰るのが何よりの
楽しみだった。大勢の従兄妹たちがいて
優しい叔父叔母がいて、いつも温かく迎えてくれた。
田舎の古い家、木製のガタガタの雨戸をあける楽しさ。
ただ、お便所に行くのが怖かった。
下を見ると、尿便が丸見え。足を踏み外して落ちると
あの中で溺れるのかなぁ~とおかしな想像をしたものだ。
そんな生まれ故郷も、近くに流れる大河が度々氾濫したため、
今は全体の土地がかさ上げされ、新しく区画整理されて
建て替えられた家々で、昔の面影は全く失われてしまっている。
すっかり変わってしまった風景には、もはや郷愁めいたものは
感じられない。しかしそこを吹く風の音、匂いは幼かった私が
五感で感じたものそのものである。
65歳で亡くなった父が最後に口にした言葉は、故郷の名前であった。
私には、わずかな期間しか住むことのなかった生まれ故郷だが
そこは両親の魂が存在する大切な場所。
77歳の今、その場所が無性に懐かしいのは何故だろう。
(あたしの故郷は沖縄なの)