褒めてくれた先生 | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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子供たちの学校は、フランス人の学校なので、6月末で、学年末になります。


なので、ちょうど今の時期になると、担任の先生へのお礼の手紙などを書いたりするのですが。



今、10歳の息子が、私が仕事している横で、ちょこんと座って、担任の先生へのお礼の手紙を書いています。


「なにかいてるの?」


と聞いたら。


いろいろ教えてくれた。


とてもうれしそうに。


「えっとね、これまでの担任の先生は、僕が算数が得意なのに、

算数が得意だねって言ってくれなかったんだけど、

今年の先生は、4年生になったときの最初の力試しテストで、

算数の点がよかったときに、あなたは算数が得意だね、って言ってくれたから、

うれしかったって書いたんだ」


「あとね、休みの時間を増やしてくれたのもうれしかったんだ」


「あとね、先生の文法の教え方が上手だったから、僕は、文法のテストでも得点がよかったのはうれしかったんだ」


とか。


いま。


ずーっとずーっと横でしゃべっています。


そういえば。


小学校のときの先生の思い出っていろいろある。


私は、とても恵まれていたとしか思えないくらい、楽しい先生のことばかりしか覚えていない。


あー。


聖心の皆様。


藤田先生っていらっしゃいましたよね。


覚えている方はいらっしゃるでしょうか。


当時、算数の小林先生とご結婚なさって。


だから、たーしか、今、初等科に、その奥様である「藤田先生」がいらっしゃると思いますが。(三光町で、よくお見かけしますし、こないだは、白金台のパン屋さんの前でお会いしましたが。)


とにかく。


今から考えれば。


藤田先生のご指導の仕方を、いろいろな角度から、考えてみたりして。


そうか、心理的には、こんなことだったな、とか。


あー、子供たちに、こんなことを教えたいと思っていらしたのかな、とか。


先生の指導者としての軸はここだったのかな、とか。


勝手に、いろいろ考えてみて。


とにかく。


そんなステキな先生に、先生方にお目にかかっているというのは、ありがたいことです。


子供たちも、そんな記憶になれることを。


だって。


しょせん、世の中は、その人自身が、その人の周囲の人間を、その人の周囲の環境を、「どうとらえるか」だから。


そもそも、他人も外的環境も、すべて自分次第。


だから、


母親という立場の自分が、その「とらえかた」を固定観念で曲げてはいけない。


子供たちは、どんなこともそれはそれは「すばらしい意味での勘違い」でとらえ続ける能力を持っている。


この力を、失わせないようにできるのは。


母が、アホでいること。


それしかない。


母が、つねにアホみたいに、夢描いて、アホみたいに、目標を楽しんで、アホみたいに逆境を喜んで、アホみたいに泣いたり笑ったり、喜んだり怒ったりして。


アホみたいに、人生を思い通りにしている姿を、後ろ姿をみせるだけ。


人生は思い通りにする、と決めた人間しか、思い通りにできないのだから。


そして、それを当然のようにやっているのが、子供のうちだから。


自分にとっては。つくづく。


自分という人間を構築する過程で、導いてくださったたくさんの師に感謝です。