僕は、つい最近の国会で、
トルコ・ベトナム・UAEに
原発輸出する法案を通したのは、
自民・公明・民主
の3党であった事を、よく覚えておこうと思う。
沈黙と無関心と種々の事情も含めて、
全てが加担者であると思う。

トルコは、日本と並んで世界でも有数の地震の活発なエリアに属する。
こんなところに、原発事故を起こして3年の国が、
原発を輸出するという現象がまかり通る此の国は異常である。もちろん、この事の背景には国際的な原子力ムラの連帯がみられる。

現地では70年代から続く反対運動も盛んらしいが、
「反原発は国賊ダー」をひたすら繰り返して刷り込むという、日本式の陰鬱な社会的ジェノサイドの方法までセットで輸出されるのではないだろうか。


クルド人難民問題では、クルド人の迫害を問われているトルコ政府である。

第一次世界大戦後の中東において、
英仏の引いた国境線によって、
5カ国以上にまたがって分断された遊牧民族クルド人。
国を持たない世界最大の民族、その数およそ3000万人。
各国で弾圧や迫害を受けて来たが、その実態はなかなか見えてこない。

2004年に東京で、
トルコからの亡命クルド人の難民認定裁判に少しだけ関わった事がある。学生時代の知己で、JAICAの職員だった友人たちとの関わりからだった。

当時、20歳だったクルド人難民のラモは、
父親がクルド人活動家として政府に狙われて日本へ亡命し、数年に渡る申請や裁判の末に、日本政府から難民認定を却下されていた。日本で難民認定を受けたクルド人は、ほぼ居ないという話だった。

国連高等難民弁務官事務所が「国際難民認定」した彼らを、日本政府は「親日」のトルコ政府との関係性を重視して、難民を受け入れる=トルコに迫害が存在する事を、認めなかった。
何度か一緒に公園でサッカーをした事もあるラモは、父親と共に強制送還され、クルドゲリラを掃討するトルコ軍の軍役にクルド人として就くことになった。

入国管理局の職員たちの、冷酷な対応や非人間的な言動がある事も知り、アジアや中東、南米の外国人に対する一部日本人の謎の蔑視が、こうしたオフィシャルな場の末端にも点在する事を知った。

不法入国の韓国人のキャバクラ姉ちゃんの嘘につき合わされて、ビザとクスリ切れのブラジル人のヤンキー取り押さえて、とか。それは彼らの日々接する世界も、大変だとは思うのだが、人間性を無視され、人権も存在しない日々を何年も過ごし、しかし国に帰れば殺されるという恐怖の中で、何人もの外国人が、殺人犯にすら与えられる権利を与えられず、まともな医療も受けられずに発狂したり自殺したりしている現実は、僕の中で「国」という概念に対して決定的な不信感を与えた。


ラモの妹たちや、慈悲深いお母さんたち、一家の女性たちはニュージーランドで難民申請が認められ、移住していった。

10年前のあの夏、
東京・青山の国連大学前で70日以上におよぶ座り込みを決行して、最後は一家の伯父さんがガソリンを浴びて焼身自殺を図るなどの事件があったが、
メディアはそれらをゆるやかに無視して、
原発も放射能も語られない、思えばなつかしくもある、あの頃の、「景気が悪い」とか云いながら消費のための呑気な狂騒を繰り返していた。


夢を見て命からがら駆け込んだ「平和の国・日本」はガセネタで、何年も苦しんだ末にニュージーランドやカナダへ。
再亡命を果たしていった数家族を見送りながら、
よかったね、という安堵の想いと
日本って何なんだろう?という寂しい想いが
入り交じったのを、よく覚えている。

僕はあの時、25歳くらいだったかな。
犬式というバンドでデビューしていて、
二枚目のアルバム(diego express)にて、
そのテーマを『アメノパラソル』という曲にした。

311以前の日本社会は、本当にこういう事に
今よりも輪をかけて、魔法にかかったみたいに無関心だった。


で、今
この状況で
日本の三菱や日立や政府は原発を輸出しようとしてる。


米国・GE社製の原子炉が、
日本にジャンスカ建てられて、その金がジャブジャブと自分たちの国の
欲望を満たすために流れ込んでいる事を知らなかった、という米国人は、
多いだろう。

同じことは、したくない。




映像作家、丹下鉱希さんのまっすぐな映像、実直なメッセージ。
これが多くのトルコの皆さんに伝わることを願います。




作品名:『あなたを心配する手紙』(6:44) 2014年 丹下鉱希(JPN)

トルコ語(日本語字幕)

Nükleer'e Japonya'dan ÖZÜR var .!
(原子力(発電)について、日本からの謝罪)