ある種の祈りや瞑想は、
自分の意識を
俗世間のレベルで
いつまでも
這いずり回らせるのではなく、
大聖堂のレベルに
保つようにできているのです。
だから、
あなたにとって
究極的に可能なことは、
自分の現在の意識は
より高い意識の
低いレベルにすぎないと
認めることです。
ジョーゼフ・キャンベル
キャンベル
意識をなにか頭脳特有のものと考える、頭脳が意識を生む器官であるかのように考えるのはデカルト的思考の一部ですが、それは事実に反します。
頭脳は意識をある方向に向ける、あるいは一定の目的に向ける器官です。
ところが、意識はこの肉体の中にある。
生きている世界の全体が、意識から情報を得ているのです。
私はなぜか、意識とエネルギーとは同じものだと感じています。
ほんとうに、生命エネルギーの見えるところには、意識がある。
植物の世界には確実に意識があります。
私が子供のころそうであったように、森のなかに住む人ならば、それぞれ違ったいろいろな意識が相互に関連していることを見抜くはずです。
樹木の意識もあれば、動物の意識もある。
そして私たちはそれらを共有している。
ある種の食べ物を摂取すると、胆汁はそこに自分の働き場所があるかどうかを知る。
そうした作用の全てが意識です。
それを単に機械的な作用として、説明しようとしてもうまくいかないでしょう。
モイヤーズ
どうすれば自分の意識を変えられるのでしょう?
キャンベル
あなたはどういうことを考える人間か。
問題はそこです。
そして、そのためにこそ瞑想がある。
人生の全ては瞑想です—その大部分は、意図的でない瞑想ですが。
多くの人々は、人生の大半を、金はどこから来るのか、それはまたどこに行ってしまうのかという瞑想に費やします。
もしあなたに養うべき家族がいれば、あなたは家族のことを思いわずらう。
だれにも非常に大切な関心事があるけれども、それはたいがい肉体的な状態に関するものです。
しかし、あなたが精神的な意識を自分で持たない場合、それを子や孫にどうやって伝えられるでしょう。
だいいち、そんな意識をどうやって獲得するのでしょう。
神話の神話たるゆえんは、それが私たちを精神的なレベルの意識にまで持ち上げてくれることにあるのです。
ちょっと例を挙げましょう。
私は5番街を歩いている時、51丁目で聖パトリック大聖堂に入ります。
とても、にぎやかな街、この地球上で、最も経済的な繁栄の意欲に燃えた都会を離れて、聖堂に入ると、周囲のあらゆるものが、霊的な神秘について語り出します。
十字架の秘跡。
それはそこでどういう意味を持っているのでしょう。
外部とは違う雰囲気をもたらしてくれるステンドグラスの窓。
私の意識は全く別の次元に引き上げられ、より高いところに立っています。
そのあと外に出ると、また街路の次元に戻る。
さて、そこで、私は大聖堂の意識を幾分かでも保持しつづけられるでしょうか。
ある種の祈りや瞑想は、自分の意識を俗世間のレベルでいつまでも這いずり回らせるのではなく、大聖堂のレベルに保つようにできているのです。
だから、あなたにとって究極的に可能なことは、自分の現在の意識はより高い意識の低いレベルにすぎないと認めることです。
そこで表現されている神秘は、例えばあなたのお金の分野においても働いています。
お金はすべて凝固されたエネルギーです。
それこそ、あなたの意識を変革する方法のかぎだと思いますね。
ジョーゼフ・キャンベル
ビル・モイヤーズ
『神話の力』より一部引用
貫井投稿