愛は稀な開花・・時折、それは起こる。 | 覚醒のひかり

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ぼく、シャンタンが長年経験してきたことや、
   osho、バガヴァン、津留晃一さんなどの言葉を
      分かち合っていきたいと思いまあああああす!


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愛は稀な開花・・時折、それは起こる。

それが稀なのは、恐怖がなくなった時にしか起こらないからだ。

それ以前には決して起こらない。

というのは、愛は、きわめて深いスピリチュアルな

宗教的な人にしか起こり得ないという意味だ。

セックスは誰にも可能なこと。

面識を持つことは誰にも可能なこと。

が、愛は違う。 

あなたが怖れていない時、その時には何1つ隠すものはない、

その時、あなたは自らを開くことが出来る。


その時、あなたはあらゆる境界線を引き払って、あなたの中に、

あなたの核にまで浸透するよう、他者を招くことが出来る。 

しかし憶えておきなさい。

もしあなたが、自分の内部深くに浸透することを誰かに許したら、

相手もまた、あなたが彼の内に、彼女の内に入って行くことを許すだろう。

なぜなら、あなたが他者を自分の内側に入ることを

許す時には、信頼が生まれるからだ。

あなたが怖れていない時には、相手からもまた恐怖は消えていく。 

あなた方の愛の中には、必ず怖れがある。

夫は妻を怖れ、妻は夫を怖れている。

恋人達にはいつも怖れがある。

それならそれは愛ではない。

それならそれは、ただの取り決めに過ぎない。

互いに依存し合い、闘い、搾取し合い、

操作しコントロールし合い、支配し所有し合っている、

怖れに満ちた2人の人間の間の取り決め・・それは愛ではない。 

もしあなたが、愛が起こるのを許せたら、祈りの必要は全くなくなる。

瞑想の必要は全くなくなる。

教会や寺院の必要は全くなくなる。

もし愛することが出来たら、あなたは神のことなど全く忘れられる。

なぜなら愛を通じて、あらゆることがあなたに起こるからだ。

瞑想、祈り、神・・全てがあなたに起こるだろう。 

これこそイエスが、「愛は神なり」と言う時に意味したことだ。


しかし、愛は難しい。

怖れをまず落とさなければならない。

ところが、これは何とも奇妙なこと・・つまり、

あなた方はそんなに怖れてはいるものの、失うものは何もないのだ。 


失うような、一体何をあなた方は持っているというのだね?

何もない!

この肉体は、死によって取り上げられる。

死がそれを持ち去る前に、それに愛を与えるがいい。

あなたが持っているものは何であれ、取り上げられる。

取り上げられる前に、分かち合ったらどうかね? 

それが所有する為の、唯一の方法だ。

もし、あなたに分かち合い、与えることが出来たら、あなたは主人だ。


ところがあなたは社会によって与えられる条件づけされている。 

隠さなければならない。

自分を護らなければならない。

常に闘志を燃やしていなければならない。

あらゆる人が敵だ。

あらゆる人が、あなたに反対している・・

誰もあなたに反対している人などいない!

誰かが反対していると感じたとしても、

それはその人があなたに反対しているからではない。

誰も皆、自分自身のことに関わっているからだ。

あなたのことではない。 

怖れるものは、何もない。

このことに気がつかなければ、真の関係は起こり得ない。


怖れるものは何もないと・・


このことに瞑想してごらん。



それから、他者があなたの内に入るのを許すのだ。




あなたの内部に入るよう、他者を招待するがいい。



そして、どこにも障害を作らないこと。



通路になりなさい。



いつも開放していることだ。



あなたの上には、鍵もなければ扉もない。



閉ざされた扉は1つもない。




そうなったら、愛は可能だ・・