あ、どうも。
今日はマヤ暦でいう「時間をはずした日」なんですね
揺る癒る整体・浜崎雅光です(^^ゞ
昨日は、久しぶりに会う友達と京都に行ってました。
めっちゃ暑い京都
ちょうど祇園祭りの後祭りで
猛暑のため花傘巡行が取りやめになったそうですが
八坂神社では奉納の舞踊がおこなわれていました。
そして、還幸祭のお神輿が。
馬も通ってた。
友達とご飯を食べながら仕事のこととか人間関係とかいろいろ話しをしてたら
こんなことを言われました。
「はまちゃん、“いいひと”をやめたらいいねん。
言いたいこと言うてないやろ?
言いたくないこと言うたりしてるやろ?
自分を責めないで
恥ずかしい自分、情けない自分、ダメダメな自分をちゃんと認めてあげて。
私みたいにいろんな執着を捨てて自由になったらラクやで。
ブログに
『いいひとやめます』って書いとき(笑)」
と。
痛いとこ突かれました
誰からどう思われるとかじゃなく、
自分の思い、気持ちを大事にする。
普段自分がお客さんとか他の人に言ってることを
言われました(笑)
心屋仁之助さんの記事にも書いてますね↓
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結局、、、、
すべての問題は、、、
「自分だけが、いいひとでいたい(嫌われたくない、やなヤツだと思われたくない)」
ことから
始まるんじゃないか。。。。
だから
ホントにやりたいこと
ガマンするし
言いたいこと
言わないし
喜ばせようとがんばるし
ウソもつくし
隠すし
見栄もはる
優しいふりもする
ちゃんとして
迷惑かけないようにするのも
そもそも、そこから。
だから
いいひとでいないひとを
嫌う。
ソレだけ
じゃないか。
ダメな自分を
知られる勇気がないだけの話じゃないか
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最近になってやっと気づいてきたけど。
無意識に
「嫌われないように」「好かれるように」「いいひとでいるために」としてることが多いなと。
無意識だから、今まではそんなことないと思ってたけど。
よくよく自分の行動を観察してみると(意識してみると)
そんなことだらけ(笑)
「いいひとと思われるように」「嫌われないように」と思ってする行動と
純粋に「相手が喜ぶように」と思ってする行動は
見た目は同じように見えても全然違うんだろうなぁ。
自分のやろうとしてる行動をよく観察して
「嫌われないように」してる行動はどんどん無くしていく。
なんで、そんなことをしてしまうか?というと
元々は自分に自信がないからなんだろうけど
自分の中にある恥ずかしい部分、カッコ悪い自分、情けない自分、ダメダメな自分、ゲスな自分を
見たくない、認めたくないという思いが根っこにあると思う。
この前の 岡田哲也さんの出版記念講演会に行ったときに岡田さんの書いてもらったサイン
「ゲスさ含めて愛されなさい」
これは「誰かに」というより、「自分自身に愛されなさい」ということでもあるらしく
改めて見ると、めちゃめちゃ意味が深い(笑)
ダメな自分も素晴らしい自分も両方認めてこそ自分なのに
今までの自分は
そのどちらも認められてなかったし
受け入れようとしてなかった。
ダメな自分、恥ずかしい自分、情けない自分、ゲスな自分、エロい自分、
素晴らしい自分
どんな自分も、まず自分が認めないとなぁ。
誰かに認めてもらおうとしたところで
自分の中にある「穴」は永遠に埋まらないもんね。
前に友人で 和のスピリチュアルカウンセラー神社(かんじゃ)昌弘さんに言われた言葉を思い出した。
「はまちゃんは本来の自分があるのに
周りに嫌われないようにという気持ちが強すぎて
出さないようにしてる。
自分を出しても嫌われることはないし、
もし、嫌いになる人がいても
それはその人の問題だから、大丈夫やで」
と。
みんなに同じようなことを言われるなぁ(笑)
ありがたいことだけど♪
今まで何十年もやってきて、しかも無意識にしてる行動だから気づきにくい。
自分を守るために「嫌われないように」してきたんだろうけど
そんなことしなくても、守られてる。
「誰かに」じゃなく、「自分に」好かれる生き方をしていきたいな。
そんな急には変われないだろうけど
少しずつ「いいひと」をやめていこう。
京都は暑かったけど、鴨川の近くに座ってると暑さも幾分やわらいで心地良かった♪
みやび家のライン@はじめました♪