何が起こったのか? <第一運 0歳~14歳> | 紫微斗数 欽天四化 占い 宮 立命 

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何が起こったのか? <第一運 0歳~14歳>

 

私の命宮には【化権】があります。これは、元々の性格に強く影響します。

基本的には【化権の人】と云うことに成ります。

 

 

■幼少期を振り返ってみると、多動で落ち着きがない子供でした。もちろん当時の私に、そのような自覚は有りませんでした。自分としては、自分が普通と思っていましたから。

 

先生からは「孝宏ちゃんは首振り人形」と言われていました。

常に落ち着かず周囲をキョロキョロしていたようです。

授業中も席を離れてウロウロするので紐で柱に繋がれていた記憶があります。犬のように。

これでは勉強が出来るはずがありません。

 

このような多動傾向は発達障害の「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」の特徴が現れていたものでした。ということは、60歳代になって紫微斗数で自分を鑑定して気付きました。もっと早くにそのような強い個性が有ることを自覚出来ていれば、人生はもう少し穏やかに通れたと感じます。

 

 

 

多動児では有りましたが、4歳ぐらいの時に歯車式の目覚まし時計を2個も分解したのは、アスペルガーであったからと思います。そんな幼少期の記憶があるのか? と疑問に思われる人も居るでしょう。ほとんどの人は3~4歳の詳細の記憶など無いという人が多いのですが、私は昨日のことのように映像で蘇ります。小さなネジ回しで時計を分解している様子をDVD映像でも見るように思い出します。こういう所が多分、普通の人には無いアスペルガーの特徴なのでしょう。

この歳になって思うことは、アスペルガーを悲観的に捉えるのではなく、凡人には出来ないプラス面として特殊な能力があるということを、障害を持つ人は自覚して欲しいと思います。

特殊な個性のマイナス面にばかりに目を向けずに、プラス面を探すことは重要と感じます。

 

■では、私の0歳~14歳までの特徴的な様々な出来事を分析してみます。

この大限(10年運)は、病気、怪我で凶運です。

生れてすぐの0歳の時に陰嚢に水が溜まってテニスボールぐらいに腫れてしまい手術をしたそうです。これは私には記憶は無いけれど、手術痕が今でも遺っています。

 

また、生まれつきの特徴として、左右の肋骨が奇形の「漏斗胸」でした。

 

心臓や肺を圧迫してしまい、酷い場合は手術が必要でしたが、ぎりぎり手術はされませんでした。しかし肺活量は健常者より格段に少ないです。したがってスポーツは苦手でした。

 

また第五腰椎の一部も欠損していて、30歳代で「分離滑り症」を発症して深刻な腰痛に長年悩まされました。

 

 

その他にも身体の手足の骨格が貧弱で運動能力は劣っていました。

 

そんな状態でも、私は危険なことが幼少期から好きだったのです。

自転車では何度も激しく転倒し膝や脛などに今でも傷跡が複数遺っています。石垣から転落したりとか、命が70歳近くまで続いたことは感謝です。

 

 

■こんな貧弱な身体でも、危険なスポーツを好んだのは、やはり【化権の人】だったからと云えます。

もし、身体が頑健な持主でしたら、私は冒険家かレーサーになったり、自衛隊や消防隊に入隊していたと思います。そのようなことに、とても憧れていました。

実際にレーサーでは国内B級ライセンスを取得し、A級ライセンスまでたどり着いていましたが、結婚によってレーサーを諦めていました。

トライアルバイクも大好きで、40歳代ではバイクで石垣を飛び降りたり、階段を登ったり、ジャンプして丸太越えなどの練習をしていました。

無謀な行動で怪我ばかりしていました。ある意味、怖いもの知らずで、今になって思えばヤバイことばかりしていました。小学生の時には、自転車の乗り方が下手糞なのに飛ばして叩き転んでばかりいました。

やはりこれは【化権】です。

 

■0歳~14歳は「遷移宮」も大凶です。「遷移宮」とは、社会運でもあり、外出運でもあります。

実家は近所とは離れた田んぼの中の一軒家ですから、近所に同年代の子供が居るとは知りませんでした。小学校に入学するまでは家で、ずっと一人遊びをしていました。つまり社会的な関わりはゼロということです。この時期の「遷移宮」が悪くても社会問題はゼロということでしょう。

 

この時期の「奴僕宮」も大凶ですが、近所の子供とも遊びませんでしたし、小学校に入学しても同級生と遊ぶことは無かったという記憶です。

今であればイジメに遭うような運勢でした。しかし、【化権】の人ですから、仮にイジメられても大人しくイジメられては、いなかったでしょう。

一つ記憶に有るのは、小学生2年生の時に下校時に数人の小学生に取り囲まれイジメられ始めた時に、カチンときて道端に有った一抱えもある石をイジメる小学生に向けて、大声を上げながら思いっきり投げつけた記憶があります。幸い子供達には当たりはしませんでしたが、子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去りました。

以来、イジメに遭うことは有りませんでした。

これも【化権】の作用と感じます。

 

■この時期の「夫妻宮」は、年頃であれば異性との関わり合いが発生する運勢ですが、子供ですからそのような感情も湧かない時期です。ただ、父親の先妻の子供の長男に性的な悪戯をされて、男性としてではなく単なる性的な快感に目覚めてしまっていました。幼少期なので自分自身には善悪の感情は有りませんでした。 

 

 

■この時期を命盤で運勢的に見ると、大限命宮に【化権】、官禄宮に【化忌】、財帛宮に【化科】で、理論上は素晴らしい配置ですが、実際は特別に素晴らしい発展の時期だったとは、今になっても実感は有りませんでした。

 

 

幼少期の私の家族は、お爺さん、父親、母親、父の先妻の長女、長男、そして、後妻(実の母親)の長男、次男、私(三男)の合計 8人家族の末っ子でした。

 

私と父親は何故(当時は理由は分からなかった)か私とは同居しているのに疎遠でした。

私の感じた父親への思いは、他所のおじさん。

近くにいるだけでも、子供ながらに気疲れしてしまうのです。

父親は私には無口で一切の話はしません。

子供の私が話しかけても返事さへしません。完全無視でした。

 

そのため、私は常にお爺さんの膝に入っていることが多く、何処に出掛けるもお爺さんと一緒でした。

 

学校の保護者参観日には、母親かお爺さんが来ました。

学校の遠足にはお爺さんが、いつも一緒に行ってくれました。

私は、いつしかお爺さんを本当の父親のように慕っていました。

そうしたら、実はお爺さんが本当の父親ということを、

母親が亡くなる少し前の90歳近くになって、

私に打ち明けたのです!

 

でも、私は困惑もしなければ母親を責めたりもしませんでした。

私は幼少期に感じた家庭環境を知っていたからです。

私の命盤に、そのような親子関係が現れているのか不明です。

この大限の父母宮は「吉・凶の両方」ですから、父親とは凶、お爺さんと母親が吉なのだろうと思います。

 

私の戸籍上の生年月日が間違えているのは、父親にとって私は余計な物だったからでしょう。

父親は出生届も嫌々だったのかも知れません。ずっと届をせずに放っておいたようです。

 

幼少期に私は兄たちから、「おまえは河原の橋の下に籠に入れられて捨てられて居たのを、拾ってきて貰ったのだぞ」と、いつも言われ続けられてきたのです。

(この話の出所は不明ですが、もしや父親?)

 

当時は、その話を本当にしていて、母親にたびたび本当なのか確かめていましたが、母親は何故か曖昧な返事でしたので、私はまた河原に捨てられてしまうのではないか、と不安を抱えて育ちました。

 

それが成人した後にもトラウマになっていて、愛する好きな人が出来れば、「捨てられる」ということに直結してしまっていました。

 

このような思いは命盤では、「夫妻宮」に【化忌】が入ることが多いのですが、私の場合は対宮の「官禄宮の化忌」で代用されている感じです。

(【化忌】は束縛、囚われる作用だから)

 

 

 

 

では、次回の<第二運 15~24歳>をお楽しみに。