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[蕨野村(鶴岡市山五十川)に伝わる御用留]元治元年(4月)19 番目のお達し
(1864年)
奉行所のお役人が山林見分のため現地を巡回する旨、通達が来ました。
庄内藩の南部(山形県庄内地方の旧温海町地域)は山また山で平地は猫の額ほどしかない典型的な山間地です。
第二次世界大戦の後、この地域では杉の植林が進み現在は緑の広大な広がりをみせているけれど江戸時代においても貴重な木材資源の供給地であったのであろう。
藩当局からの文書にも御林と林に「御」を付けていることからみてもその重要性がうかがわれます。

< 御用留 本文 >
● 奉行所の片桐治郎吉から温海組大庄屋本間吉兵衛に宛てた通達

御奉行中當月二十八日関根御林御見分
夫ゟ山中通木野俣ゟ関川小名部鼠ヶ
関濱通御廻村ニ付御林并分山割合
植付共御見分之積二付御通筋村々ゟ
ケ所出取調御通行先江指出候様御沙汰
二付此段村役人共江御達諸事不都合之
義無之様御取計被成度早々得御意
候 以上
四月二十四日 片桐治郎吉
本間吉兵衛
町田川御昼菅野代御泊関川御昼小名部御泊り
鼠ヶ関昼此所山中御見分温海泊り五十川御昼此所山中
御見分三瀬御泊り清水御昼
夫ゟ御帰寄
右之割合ニ而御廻村之積ニ候へ共當先觸
しかと御達相成可申と奉存候 以上
● 藩からのお達しを受けて大庄屋本間吉兵衛から配下の村に宛てた添状

別紙写之通御達相成候間被得其意
山方猥之儀者不及申諸事不都合
之義無之様可被相心候、 尤御林有之
村々者此状達次第早々取調我等
方へ右書付可被差出候、 右可申達早々
順達留ゟ可被相返候、以上
四月二十七日 吉兵衛
七ツ時出
肝煎面々
猶々意取急ニ付廻状二通ニ而廻達いたし候、条
夜中共片時も無滞順達可被致候 以上
< 現代文にチャレンジ >
● 奉行所の片桐治郎吉から温海組大庄屋本間吉兵衛に宛てた通達
奉行所が今月28日に関根のお林を視察し、それより山間部を通り関川、小名部、鼠ヶ関、浜通りと村々を廻りお林の状況、山の割り付け状況、植付の状況等を見て回る予定である。
順路に該当する村々は最寄りの山林の実態を調べて奉行所の役人に差し出す様にとのご指示であるのでこのことを配下の村役人に伝え諸事不都合が生じないよう取り計らうべく早急にこの趣旨を徹底されたい。 以上
4月24日 片桐治郎吉
本間吉兵衛
初日は町田川でお昼、菅野代で宿泊、 二日目は関川でお昼、小名部で宿泊、 三日目は鼠ヶ関でお昼としこの周辺の山林を見分、夜は温海にて宿泊、 四日目は五十川でお昼としこの周辺の山中を見分、その夜は三瀬にて泊まり、5日目は清水にてお昼とし夕方に鶴岡に帰る。
以上の日程にて各村々を廻る予定なのでこの予告通知を配下に通達すること。
● 藩からのお達しを受けて大庄屋本間吉兵衛が配下の村に宛てた添状
別紙の写しの通り奉行所から通達があったので山林の管理・取り扱いに不備がないことはもちろんのこと諸々全てについて不都合が生じないよう留意されたい。
ところで、山林がある村々はこの通達が届き次第早々に取り調べ以下に示す書面を大庄屋宛に差し出すこと。
以上の通り通達するのでこの書面を所定の順路で村々を回付し、最終の村から大庄屋宛戻すこと。 以上。
4月27日 大庄屋 本間吉兵衛
夕方4時頃出す
(追伸) この通達は緊急を要するので2通作成し村々へ廻達する。
夜になったとしても滞ることなく回すこと。
< 素人なりに考察してみましょう >
◆ 通達の時期について
28日からお役人が領内を巡回するというのに大庄屋本間吉兵衛から配下の村々へ通達を出したのが27日の夕方4時頃。
非常に急ぐので夜になっても滞りなく村々へ廻達するようにとのこと。
それにしても、こんなタイミングで通知され、それでいて諸事怠りなくというのは所詮無理というもの。
この当時、お上のご意向は絶対だったんでしょうね。
◆ 山林の保全について
この時代の山は東海道53次の浮世絵に描かれているように木材が乱伐され相当数ハゲ山だったとも伝えられています。
雑木さえも木炭の用材として多用されていたようで日本の山は場合によるとかなり荒れていたのかもしれません。
こうした中において庄内藩では山林の保全が重要政策として機能していたということになるのでしょうか??
◆ 巡回経路について

五日間に亘る山林の状況視察です。
山道の峠をいくつも越え、林の中に分け入り見分するお役人も大変ながら、これを受け入れ対応する領民側にとっても大変な出来事であった筈。
















































