2022年、45歳にして2人目の子どもを出産した三輪。最終的に自然妊娠で第2子を授かるまでには、2回の流産と、3年以上にわたる不妊治療という壮絶な経験がありました。

それぞれの出来事をどう受け止めたのかとあわせて、不妊治療を考える人々に知ってほしいことを聞きました。

●胎児の心拍停止を知り、泣き崩れる
――第1子を出産されたのが2015年なので、第2子の出産まで約7年近くが空いています。
本業もお忙しい日々だったとは思いますが、まずは「どうして2人目を作ろうと思い立ったのか」からお伺いさせてください。


 「できるなら、第1子にきょうだいがいる人生を歩ませたい」という気持ちが大きかったからです。第1子がかわいくて、その子がきょうだいと遊んでいる姿を見たかったというような気持ちでしょうか。
 「子どもが1人いるならいいじゃないか」という人もいますが、やっぱり1人と2人では、子どもにとって環境は全然違う。自分にも弟がいたので、きょうだいがいた方が楽しい人生になるだろう、と思っていました。

――1人目は自然妊娠で授かったとのことですが、2人目で不妊治療に踏み切ったのはなぜですか。


 2018年、翌19年頃にそれぞれ1回ずつ、流産を経験したことが大きかったです。
 流産自体はすごく辛い経験でしたが、反面、妊娠ができたこと自体には希望が持てたんです。少なくとも子どもは作れる身体なんだな、と。暖簾に腕押しのような状態で、子どもができる兆しもなければ、感じ方はまた変わっていたかもしれません。

――お辛い過去に踏み込むことになりますが、いま子どもを望まれている方のためにも、ここからは当時のことをお伺いさせてください。流産がわかったのは、妊娠をして比較的早くだったんでしょうか。


 はい。妊娠検査薬で妊娠が判明し、病院に行って心拍も確認できました。それで1~2週間後にまた来て欲しいと言われ、再度受診すると、もう心拍確認ができなくなっていたんです。
 出血や腹痛など、流産の徴候はないけれど、超音波検査をすると発育は停止している、いわゆる「稽留(けいりゅう)流産」と呼ばれる状態でした。

 胎児は心臓が止まったまま体内に留まっているけれど、自然と出てくるわけではない。体外に出すため、2回とも人工妊娠中絶と同じ手術をしました。

――流産がわかった時、1回目と2回目で、感じ方に変化はあったでしょうか。


 やはり、1回目の方が辛かったです。妊娠したことは友達にも話していましたし、母子手帳ももらっている状態だったので。心拍停止がわかった時は、病院で泣き崩れました。

 2回目のときは、何となくもう1回繰り返すような予感もあって。期待して傷つくのも嫌なので、「また流産するかもしれない」という覚悟は持っておこうと思っていました。

 1回目の流産の経験があまりにつらかったので、2回目は、1回目とまた違うクリニックに行きました。そこで2回目の流産が発覚し、同じクリニックで手術をした時には、幻覚のようなものも見ました。
 麻酔も効いているはずなのに、自分は「痛い、痛い」って叫んでいる。なんですけど、それが本当の記憶なのか、幻覚なのか判別がつかないんです。今思うと、クリニックとの相性も良くなかったのかなと思いますが。

――その間、本業も継続されていたのですか。
 

 はい。1回目の診断は業務の合間を縫って受けましたし、手術当日も通常通り仕事をこなしていました。今振り返ると、気が紛れる分、仕事があって良かったとは思います。ただ、誰にでもおすすめするわけではありません。休養が必要な場合もあるとは思います。

●不妊治療開始、予定の調整に苦心
――2回目の流産がわかって、不妊治療を決意されたのはどのタイミングでしたか。


 手術から数ヶ月後ですね。我ながら、切り替えは結構早い方だったと思います。

 体外受精の治療が保険適用になるのって、治療開始時点で妻の年齢が43才未満の場合なんです。それも39才までであれば、子ども1人に対して6回までは保険を適用できますが、40~42才以上の場合は3回までになってしまう。
 19年時点では、ちょうど43才を過ぎていたので、治療費は基本的に自腹でした。

――受けたことがないと想像がつきづらいと思うのですが、不妊治療はどんな手順で進んで行くんですか。
 

 妊娠に適した日時を選んで性行為をするタイミング法、精子を子宮に送り込む体外授精など、方法はいくつかあります。

 私達夫婦が試したのは、排卵直前に卵巣から卵子を体外に取り出して、クリニックの方で卵子に精子を入れる「体外受精」という方法でした。
 といっても、いきなり治療には入れず、まずは血液検査などの各種検査を受けなくてはいけないんです。それからようやく治療が始まるんですけど、採卵の機会は1ヶ月に1回。ある程度卵が大きくなったときに採卵しなければいけないので、タイミングが本当に大事で、2~3日クリニックに通い詰めることもありました。本業と並行してのスケジュール調整はすごく難しかったんですが、できる限りのことをしようと、そのリズムを半年ぐらい続けたんです。
 そうこうするうちに年が明け、国内では新型コロナウイルスの感染拡大が始まって、一旦、通院は中止にしました。そのクリニックでの不妊治療を辞めるときには、もうそのクリニックの治療再開は不可ということで、やめることもそれなりに大きな決断でした。

●治療サイクルから外れることの怖さ
――その後、治療は再開されるのでしょうか。
 

 はい。20年の秋からまた、別のクリニックを探し始めました。やっぱり諦めきれなかったんです。
はじめは東京大学医学部附属病院の中にある不妊外来を検討していたんですが、土日はやっていないと知り、仕事と並行して通うが大変そうだったので断念しました。

 最終的には、不妊治療に特化した都内の別のクリニックに行くことにしました。
 そこでは排卵を誘発するため、決まった時間に自分で注射を打つ「自己注射」というやり方を取っていて。外にいる時も常に注射器を持ち歩いて、出先でも打っていました。
 年を重ねるごとに採卵の可能性が下がっていくわけです。他の人に話を聞くと、一度にたくさん卵がとれたよという話も聞いたりするのに、自分は全然卵が育たなかったり、卵を育てるために薬や注射の量が増えたりするんですよね。だけど、毎月毎月が大事だから、一度採卵のサイクルに乗ってしまうと、そこから外れるのってすごく勇気のいることなんです。

 21年に入り、個人事務所を開業して本業の方も忙しくしていたら、5月ぐらいからは体調も悪くなってきてしまって。毎月毎月お金もすごくかかるし、精神的にもとてもつらかったから「ここまでしなきゃいけないのかな」と悩み始めて。7月からはクリニックに通うのをまた中断しました。このときのクリニックはお休みはOKだったのでその点は良かったです。

 そうしたら、直後の10月に第二子を授かっていることがわかったんです。「不妊治療をやめたら子どもができた」という話は時々耳にしてはいましたが自分がそうなるとは思いませんでした。

――いま不妊治療を検討されている方、将来治療を受ける可能性のある方々に、知っておいてほしいことはありますか。
 

 不妊治療はすぐに始められるものじゃない、ということです。今までお話してきたように、事前の検査には一定の時間がかかりますし、採卵の期間も月に一度きり。一定の準備期間が必要ということは頭に入れておいた方がいいです。今は卵子凍結という手段もあるので、若いうちからその選択肢を検討しておくのもありでしょう。

 あとは、会社員か自営業かという立場の違いも影響することを知っておくといいと思います。
 私自身は自営業だったのでクリニックに通うスケジュールをやりくりすることができましたが、これが会社員だと都度有給を取らないといけません。そうなると継続的に通院するハードルは、さらに上がってしまうと思います。

 だから、不妊治療のためにお仕事を辞める人も多くいらっしゃると思いますし、実際そういう話も聞きます。だけど、仕事を辞めなきゃいけないのはいつも女性の側ですよね……。そこは私はとてもモヤモヤしていて。女性が仕事を辞めずに、不妊治療を継続できるようなシステムが社会の側にあればいいのにな……と思います。

―ーそれでも仕事と仕事の合間を縫って通う先生は、だいぶ体力的にタフだと思います。
 そうかもしれません。でもそれも、夫が家事を一手に引き受けてくれているからです。
 その意味では、やはり夫のサポートあってこその今だと思っていますね。

 

【取材・構成=松岡瑛理

 

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弁護士の三輪記子(ミワフサコ)です。

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