2014年7月13日(日)

今回の奈良行きは「蘇我入鹿」が聖徳太子であったことの証拠を発見するためのものでした。

必ずどこかに動かぬ証拠がある筈だと思っていましたからね。

そして今回、動かぬ証拠を発見してきました。

それは、入鹿神社の建っているすぐ前の道が、「太子道」と呼ばれ、甘粕の丘から入鹿神社の前を通って聖徳太子の斑鳩まで続く道だということが判ったからです。

聖徳太子が甘粕の丘から斑鳩へ通っていたのでその名がついたというのです。

聖徳太子は蘇我邸と斑鳩とを頻繁に往復していたという事実は何を意味しますでしょうか?

それはとりもなおさず、聖徳太子は蘇我の人であったということの何よりの証拠であると言えるのです。

日本書記による「厩戸皇子」は、日本書記が創作した架空の人物であったことは日本書記の記載の中で明らかになっていますので。

「厩戸皇子」が聖徳太子だという固定観念を捨てて、まっさらな目で真の聖徳太子はだれであったのかを見なければなりません。

日本書記によって悪人に仕立て上げられた「蘇我入鹿」こそ聖徳太子であったことの有力な証拠だと私は考えるのです。


私は予定とおり今朝一番で入鹿神社を訪れました。

近鉄橿原神宮前駅には7時には着いていたのですが、電動自転車を予約した「明日香レンタルサイクル」が未だ開店していないので橿原神宮にお参りして時間をつぶして。

日本の神社の中でも最大規模を誇る橿原神宮大伽藍ですが、歴史的には何の価値もありません。

日本書記の記述に基づいて、明治政府によって作られたやらせの神社なのですから。

同じ明治政府が、入鹿神社の名前の改名を迫ったことがあったという。

個人の自宅にもきましい小規模な入鹿神社は、橿原神宮とは比べにならないほどの価値をもっているのです。

「明日香レンタルサイクル」が開くと同時に入鹿神社を目指したのでした。

入鹿神社には8時半には着いて参拝をすませ、あわの歌を歌って、歴史の真実が明らかになる神事を行ったのでした。

カメラで写真を撮ったりしているうちに急に雨が降り出して。

急いで休憩所に駆け込んでカッパを着込んだのでした。

そして入鹿神社を後にして「甘粕の丘」を目指したのでしたが。

橿原神宮前駅に一旦戻ったほうが、道に迷わず行けるだろうと予測して。

橿原神宮前駅から「甘粕の丘」へのルートを辿ったのでした。

ところが、橿原神宮駅前の看板を見ていて気が着いてのですが、ポッケに入れた筈のカメラが無いのです。

「あじゃー!入鹿神社の休憩所に置き忘れた!」。

しかし、カメラを取りにまた入鹿神社に戻ったのでは今日の行動の流れが良くない。

明日香を回り終わってから帰りに入鹿神社に戻ろう。

スマホで写真は撮れるんだしと思ってね。

一番上にある延々と続く坂道を電動自転車で登って石舞台古墳に。

一旦登ってしまえば後は下り道。

架空の皇極天皇の板葺の宮、蘇我善徳の法興寺即ち現在の飛鳥寺、入鹿の首塚の順に回り終えて。

一旦平地まで降りると反対側に甘粕の丘があって、酒船石も見たかったのですが。

もう11時半を回っていたので止めにしてカメラを置き忘れた入鹿神社を目指したのでした。

どの道をどのように行けば甘粕の丘下から入鹿神社へ最短コースで行けるのか。

その時、今朝入鹿神社から橿原神宮へ戻るときに在った畝傍山らしきものが遠くに見えたので。

その山を目標にすれば最短コースだろうと直感して。

直線コースの田んぼ道を進んだのでした。

田んぼ道には「明日香歴史散策路」の標識が立っていて直感は当たっていたことが判りました。

その道の流れに沿って進んでいくと、今度は道の両側に歴史を感じさせる古い家並みが続くようになって。

とうとう畝傍山だと思ったピラミット型の山まで着いてしまったのです。

通っている人に「あの山は何と言う山ですか」って聞いてみると。

「耳成山です」って言う答え。

大和三山の一つ耳成山だったのです。

入鹿神社って言っても知らないと思って「大和八木の駅にいきたいのですが」って聞いたところ。

「この道をただまっすぐでいいんですよ」っていう答え。

私は知らずに、甘粕の丘から斑鳩まで続く「太子道」を通っていた事が入鹿神社に戻って初めて判ったのでした。

入鹿神社に戻って休憩所のベンチに置き忘れたカメラをゲットして、もう一度お参りしていこうと思って顔をあげると。

小網町(しょうこちょう)コミニティーセンターの入り口の開き戸が開いているのに気が着いたのでした:

ネットで参拝申し込みしたときは係りの人が用事があるので立ち会えないと言うことだったのに。

「東京から来たんですがー」って中にいる人に声をかけて見ると。

鍵を開けてくれて全部みせていただいたのでした。

国指定需要文化財の大日如来は写真もとらせていただきました。




「蘇我入鹿公が聖徳太子だという言い伝えは残っていないでしょうか」って聞いてみると。

「私はそうゆう言い伝えはきいたことがありませんが」「神社の前の道が太子道と呼ばれていることはあります」「太子道は甘粕の丘から斑鳩まで続くみちで聖徳太子が往復したので太子道と呼ばれるようになったそうです」。

私は超びっくり。



「有ったー!蘇我入鹿は聖徳太子だったという証拠だー!」。

カメラを置き忘れなければもう一度入鹿神社に戻ることはなかったし。

最短コースの太子道を通ることもなかったし。

この話も聞けなかったのですから。

陰ながら聖徳太子の御霊に導かれたと感じたのでした。


そして「七月十五日の火曜日は大日如来の命日でお店も出てすごいお祭りなんですよ」ってはなしてくるるのです。

「大日如来の命日!」

日本書記の蘇我入鹿の暗殺された日は六月十二日ですが旧暦なので。

新暦にしたら「七月十五日」にあたります。

なんと、私は何といろいろな条件を乗り越えて、「蘇我入鹿」本当の命日の直前に入鹿神社に呼ばれたことになります。


「大日如来の命日と銘打って、蘇我入鹿の命日を大祭として祭っている」って私は直感したのでした。

だって、大日如来は死んだことが無いのですから、「大日如来の命日」っていうのは有りえないんですもの。

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入鹿神社HP抜粋http://dainichido.net/iruka.htm

■2014.7.15「大日さん」
重要文化財「正蓮寺大日堂」の大日如来の命日が7月15日であることから、毎年この日に夏の大祭として「大日さん」を開催します。
当日は花火もあがり、沢山の夜店でにぎわいます。
ご家族揃ってお参り下さい。
日時 平成26年7月15日(火)午後6時から
   雨天決行
場所 小綱町「正蓮寺大日堂」
尚当日、大日堂のライトアップを日没から午後10時まで
重要文化財「大日如来座像」の特別拝観を午前10時より受け付けます。
★お札・お守りを当日のみ販売します。

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これも「蘇我入鹿」が聖徳太子であったことの証拠の一つではないでしょうか。

入鹿神社の存在は、小綱町の人々が1400年もの長きにわたって、権力のどんな圧力にも負けないで、歴史の真実の灯りを消さずに燃やし続けてきたことを物語っているのです・

これはある意味奇跡と言ってもいいと私は思うのです。

誇り高き小網町のみなさん、ほんとうにありがとう。


    えいきち




山下重良歴史年表

http://www.syamashita.net/history/kodai_pdf/nenpyou.pdf




日本の黎明期に活躍した人々


http://www.syamashita.net/history/


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山下重良著、「古代日本原記」

実費:9,700円(送料別)

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