「ジキルとハイド」観劇。
 



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キャスト一新、演出変更。つーふれこみ通り…



鹿賀丈史さんのヘンリー・ジキルとは全く違う。



そう、石丸幹二さんの 「ジキル」 と 「ハイド」 が其処にいきづいていた。






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「善と悪、そのふたつが鬩ぎあう、それを完全に分けることができれば…」

心の闇に潜む、悪を分離しコントロールすることができる。
医療を、科学がすすめるコトができる。




ジキルは、主張を繰り返すが…
周りは、冷ややかで、否定的だ。




「神を冒瀆する行為に加担はできぬ」

「科学より、哲学的な問題だ」

「薬で、人の心を操るなど…悪魔の所業だ」
 


保守的、宗教、カースト制度…

様々な背景が見え隠れする。






この後、舞台は狂気に彩られていく。





かんちゃんの、ジキル、ハイドの演じ分けが素晴らしいキラキラのです。

梅田芸術劇場は楽日をむかえましたが…この後名古屋公演があります。

ちょっと違うアプローチの「ジキルとハイド」
機会があれば、観劇してみては如何でしょう~







ふと、若いころを想い出す。



「心理専攻するつもりなら、哲学をまずやりなさい」



「誰の真実なのか、誰の訴えなのか、毒にも薬にもならないようなコトバが支えになっている現実を知らなくては」






心理職に携わる前に云われたコトバが、アタマをよぎりました。




昔も今も心の在り処は解明できない。



精神を病むと治らない、廃人になる…
つー乱暴な認識で、動いてた時期が長くあったのも事実。

必要的に、精神病院=収容所に等しいモノがたてられていく。


そして、治す術もない患者は幽閉される。
死に向かうまでの間、閉じ込め、拘束し、ただただ、時間を浪費させるだけの現実。


いまでこそ、心に潜む闇をコントロールするよいお薬がある。


それに、誰しもが発症する可能性をはらみ、

別に珍しい病気でも、治らない病気ではない、と理解も深まってきています。





今現在に生きて、

闇=病態を解明、ツラい症状を緩和する術がある。

ワタシたちの今は、過去の積み重ねのうえにあるのだと…
考えて、日々過ごしていかなければならない。