卒業というのは非常に複雑でややこしい言葉である。


めでたく送り出す場合にも、追い出す時にも使う事ができ、幕を閉じる事を悲しむ者もいれば、解放されると喜ぶ者も存在する。


だからやっぱり卒業する事を惜しみ、寂しく思える事はとても価値のある事なのかもしれない。


僕は中学のサッカー部時代、毎日地獄のような日々を送っていた。


夏休みなんて1日もなく、高校の監督が見学に訪れても驚愕する程の練習量に、サッカーを楽しむなんて心の余裕は消えていた。


だから中学最後の大会で負ければ、きっと解放された気持ちになるのだろうと思っていた。


でも実際は試合終了と同時に、まるでホイッスルが鳴ると号泣してしまうと、催眠術をかけらていたのかと思うほど一気に涙が溢れた。


どんなに地獄のような毎日だったとしても、そこには積み上げてきた3年間がちゃんと存在していた。


僕らを勝たせてあげたいと毎日怒鳴ってくれた本気の監督がいて、

試合に勝つために、辛い練習にも歯を食いしばって耐え抜いた本気の仲間がいて、

そんな周りのおかげで、釣られて僕も本気で生きていたのだ。


全員が本気だったから、その3年間は鮮明に形として僕らの中にあって、だからこそホイッスルと同時にそれが無くなる消失感を押さえる事が出来ず涙が溢れたのだ。


卒業を悲しく思うのは当たり前ではない、きっと卒業までの1日1日を実感して生きて来れた証なのだ。


これから僕らは、必ず何かを卒業しながら生きて行く。


夢や希望だけじゃなく、一気に涙が溢れるような消失感を大事にしながら生きて行こう。


僕の相方の桝本君みたいに、ちょっとだけ悲しい顔して10分後バラエティー番組観て大笑いしてぐっすり寝るような、そんな生き方だけは絶対にしちゃいけないんだ…。