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『  「私は徳川様に、織田に取って代わっていただきたいと望んでおります」  直虎は、家康をひたと見つめて言った。
   「私は、徳川様にいつか。この日の本をまとめる扇の要となっていただきたいと、心ひそかに望んでおります。」

   「わしなどに、何故……」

  「さようなことをお考えになったことはございますか?己が頭となり世を動かしたいと」

 

  しばしの沈黙のあと、家康はため息交じりに話し始めた。

  「わしはこの世が嫌いじゃ。戦やはかりごとや首や、さようなことばかりで物事を決する……昨日の味方が今日には敵になるような、一年かけ育てた稲を一日で焼かれるような……一体、誰が望んでかようなことになっておるのかと思う。変えられるものならば、変えたいに決まっておる」

  「戦をなくされたいと?」

 「戦という手だてがこの世にあるかぎり、喧嘩の強い輩はそこに訴える。ならばあらかじめ戦を起こせぬような仕組みを敷いてしまうがよい。そんなことを思うたりはするが……できると思うたことは……ないの」

 「なれど、やってみなければ分かりますまい」 家康に伝家の宝刀を抜く。

 「やってみてくださいませぬかの。私は――さような世を見てみとうございます」

 家康は無言である。 』  

 

( 第48話 「信長、浜松来たいってよ」 シナリオより一部抜粋 )

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 徳川家康が江戸に幕府を開き、武家を纏め上げて征夷大将軍の権勢を世に知らしめた背景――織田に、豊臣に取って代わり、戦国終焉の世に君臨した背景には、並々ならぬ家康の、源頼朝に対する憧憬が、敬意があったからのハズだが、なんと『直虎』ワールドでの家康は、ややメンヘラな謎の未来人・直虎の影響を受け、戦国の世の習いに懐疑を示すという、山田風太郎や半村良もビックリの恐るべき展開を観せる。

 加えてここまでの話というのは、諸説として残る信長の手に拠る家康・暗殺計画説をベースに、明智光秀が今川氏真や家康をも巻き込んだ形で、信長の本能寺における謀殺を仕組んだ……という筋書で、話が展開する。

 つまり井伊に預けられた光秀の子・自然(じねん)は、もともとが「事を成す」ため光秀が徳川に対し、人質として差し出された経緯があるのだが、これが信長に見つかると計画が露見するため、井伊を隠れミノとしていると……そういった流れである。
 
 諸将寄り集まってまで、信長を亡き者にしたいとは、織田信長もずいぶんと嫌われたモノだが、家康が本能寺の変の黒幕とする説は、過去いくつかの書籍(評論、小説等)でも語られて来た話で、信長が家康を、本能寺に招いて家臣ともども始末しようとしたのを、事前に察した家康は逆手に取って、逆に信長を間接的に討ち果たしたとするモノである。

 そこで、家康と明智光秀が裏で秘密裏に手を結んだ際に、明智が同盟の証として我が子・自然(じねん)を徳川に預け、さらに徳川が井伊を預け先にすることで、井伊はこの渦に巻き込まれていく……のだが、秀吉の中国遠征の加勢を急遽信長から命じられた光秀は、家康の接待役からも外され、ここでなんと、他ならぬ信長自身が、家康を直々に接待する役を買って出る。これを目の当たりにした家康は、到底信長に自分を殺す意思がありそうも無いことを察する。

 それでも……史実通り、明智光秀の手によって本能寺の変は決行される。

 そしてこれまた当然、史実の通り、三方ヶ原と並ぶ家康の命懸け伝説・「神君伊賀越え」と相成る訳だが、不思議というか肩透かしというか、森下脚本においてこの「神君伊賀越え」、井伊万千代も同行しているというのに……


 『 まさに危機一髪、「仇討ちのため兵を率いて参戦する」という名目をつけ、家康一行はなんとか三河に逃げ戻ったのだった。 』

 なんと、伊賀越えの描写は、たったこれだけなのである。

 どこで目にしたかは失念したが、かつて井伊直虎の生涯の解説で、「直虎は万千代こと直政の、家康に同行した伊賀越えでの無事を聞いて、安心して息を引き取った」などという話を頭に入れていたこともあり、このような伊賀越えの扱い方の森下脚本には、またしてもかなり失望した。

 そして、「神君伊賀越え」の代わりに、大々的にフィーチュアされているのが、なんと龍雲丸、なのである。

 

 始まった……誰ひとり望んでいそうもない、森下脚本の本筋ガン無視の脱線の始まりだ。

  やはり、事前に銘打たれていた「おんな城主 直虎」のキャッチコピー・「直虎から直政へ」は、看板に偽りアリのハッタリ、だったようである。「神君伊賀越え」よりも架空のラブロマンス描写を重視する大河ドラマって、いったい何なのだろう…?

 

 これ程の愚は、駄作おんな大河の代名詞である『江~姫たちの戦国』でさえ犯していなかったが……遂に森下佳子は、田淵久美子までも超えてしまった、ということなのであろうか。

 私はこの事象を、是非「森下神君の『江』超え」、とでも表現しておきたい。

 さらに言うと、脚本で見る限り信長の最期、つまり本能寺の変そのものも、ほとんど「ナレ死」に等しい、ドラマチックに盛り上げようとする意思皆無の描き方、である。

 …嗚呼、何という、史実と創作のバランスの悪い大河ドラマなのであろうか……。

 別に、森下サンがお好きな『ベルばら』や山田風太郎の要素を、脚本に持ち込むことは責めない。それで脚本の内容が、本当に豊かになるか否かはさておき……だが、そもそものこのサイトのメインテーマにいま一度立ち戻ると、やはり『おんな城主 直虎』は大河ドラマとは言えない ―― 最早、最終回まで脚本と放送内容を、どんなにつぶさにさらってみようとも、この結論ばかりは揺るぎないモノとなりつつある。

 またしても、このサイトの開設時の序論の話を繰り返すが、「大河ドラマ」の冠さえつかなければ、時間潰しには十分な面白さがあったのだ、『直虎』は。いや、もちろん、原作が秀逸だった『JIN-仁-』とは、とても比較にならないけど…。

 ただし、これが「大河ドラマ」のひとつ、だと言うのならば、大河を愛する者のひとりとしては、決して表面ヅラだけの優しい言葉で褒めちぎったりする訳にはいかない。過去の名作との比較を通じ、その真価を暴かない訳にはいかない。

 これは、当然の話でないか。

 間違っても『独眼竜政宗』と『おんな城主 直虎』を、同レベルで語って真の名作を貶める行為は、とてもじゃないが認める訳にはいかないのである。

 続くっ――― ! 

 

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※  2017.12.30 『おんな城主 直虎』 総集編:13時5分〜17時43分(約4時間30分

※  詳細は追って告知します。

2017.12.10放送 NHKBSプレミアム 18:00~ NHK総合 20:00~ 

第49回 「本能寺が変」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story49/    

「おんな城主 直虎」BD&DVD完全版第弐集 12月20日発売予定    

https://naotora.ponycanyon.co.jp/vol2/index.html

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