先ほどパソコンの不具合が解決できて横になっていると、

なんだか頭がスッキリしないので、

「あ~、なんか頭がおかしいなぁ~」

と言ったら家内が、

「それは、昔からわかっていたけど」

と言うので、

「そうだろ、正常な人から変わっている人(個性の強い人)を見るとおかしく見えるけど、反対にそういう人から正常な人を見るとおかしく見えるんだよ」

と、言って更に、

「要は、多数決みたいなもので、回りの人に合わせようとする人たちから見れば、

個性的な人、個性の強い人はおかしく見えるし、逆の立場から見れば皆がおかしく見えるんだよ。

だから、

学校教育でも『個性の尊重』とか『個性を伸ばす』などとは言っても、

結果的に個性を潰しているのが実情。

以前にある教会長にも言ったんだけどね、

『原理を実践しても、教会員からみればおかしく見えるんですよ』とね」

そう話すと家内は黙ってしまいました。

このようなことは、

現代社会では普通にあることですね。

例えば、

「ママ友」とか、

「〇〇友」など友達のグループや宗教でもそうですが、

一人だけ回りの人と違った意見を言ったり、

違った行動をとったりすると、

直ぐに偏見の目で見てしまう。

ですから僕は、

自分の個人的な判断で話をしたり、ものを言ったり、行動することはあまりしません。

「真理」や「原理」などを判断の基準にして言動や行動をすれば間違いが無いからです。

ですから、

教会でも、

トップクラスの人たちの前で特別な話をしても、

間違ったことは言っていないので注意を受けたり、指摘されることもありませんが、

これが、

同じ話を会員さんたちだけの前ですると否定されます。

これが日本人の良くないところですね。

これからは、

個性を尊重し、

差別のない社会になることを願っております。

と、まあ、

我が家では時々このような話も出てきますよ。(笑)

いずれにしても、

回りに会わせるだけでは成長しないことは事実です。

今回は、

ちょっとした我が家の話から取り上げました。

これからも、このブログを宜しくお願い致します。