先日、アナと雪の女王を今更ながら見てきました。
妻ハニートーストさん、長男コクトウ君、長女ザラメちゃんの仲良し3人組は先に見ていたので、
内容は何度も聞かされていましたし、歌も何度も歌われていました。
聴いたことあるでしょ、ほら、あの曲。
映画を見たことがない人でも、「ありの~ままの~♪」って歌えちゃうよね?
あの曲、英語で出来た原曲のメロディに、後から日本語翻訳の歌詞を載せたはずなのに、
字余りもなく、メロディーにピッタリ歌詞が乗っかってるので、
「すごいな、どうやって翻訳したんだろう?」と思い、YOUTUBEで英語の原曲を聴いてみて、
びっくり仰天。
「ありの~ままの~♪」なんて、「レッリゴー♪レリッゴー♪」だし。
何より不思議なのは、英語版の曲の方が先にできていた(本物)はずなのに、
日本語版(偽物)を何度も聞かされた僕達が聴くと、
英語版の曲の方がニセモノに聞こえる点です。
偽物であろうと、慣れ親しんでしまえば、本物のほうこそ偽物に見える。
これが、どういうことだかわかりますか?
タマタマなんです。
あなたが握りしめている、全てのルールや「常識」なんて、「たまたま」先に聞かされて信じただけ。
たまたま、先に聞いたそれを、「これこそ、本物(常識)だ!」と勘違いしただけ。
「苦労しなければ成功しない」というルールを、たまたま先に聞かされた。
先に聞いて、それに馴染んじゃったもんだから「それだけが、本物だ!」と思い込んでしまった。
私が本物だと信じるコレ以外の方法(=非常識)は、存在すらしていないと思ってる。
アホか!
「レリッゴー♪」聴いてみろっちゅーの。
むしろ、あなたが信じた常識よりも、そっち(非常識)の方が、本家本元だっちゅーの。
これを、タマタマ・レリゴーの法則と言います。
今日はちょっと、この法則だけ、覚えて帰りや~。
あなたが信じている全ての『常識』、あなたが『コレこそ本物だ!」とたまたま思い込んだだけで、
実は、それ「本物」じゃないし、そもそも「本物」なんてどこにもありません。
英語版のレリッゴー♪聴いてみてください。
本物であるはずの英語の曲に、違和感バリバリ湧いてきます。
そして、違和感が湧いてきたら、チャンスです!
違和感を感じたまま、「っは!ということは、私が信じているこの常識も、タマタマ先に馴染んだだけなのか?」
「常識(本物)なんて、本当はどこにも無いんじゃないか??」
「なんだよ、楽に生きる(それも一つのルール)を採用しても良いんかい!」
などと、自身の握りしめた多数の観念を、見なおしてみてください。
全ての観念から解かれれば、ありのままの自分、きっと出てきます。
↓誰が決めたんだろうね?「まじめに生きないといけません」って。
どうして「これこそが、本物だ!」と思い込んじゃったんだろうね。
たまたまです。ぜーんぶ、たまたま。
会社を辞めて、午前10時頃に道を歩いていると、
なぜだか悪いことをしている気分になります。
平日にスーツを着ていない自分に、なぜだか後ろめたさを感じたりもします。
よほど、社会や組織というルールに染め上げられちまったようです。
10年間も、それに馴染んでたから、「これだけが本物(常識)だ!」と思ったみたい。
でも、よく考えたら、11年前の大学生時代は、午前10時に街を自由に歩いてる方が当たり前で、
平日どころか土日でもスーツなんて着てなかったのにね。
「タマタマ~♪レリッゴー♪」
あなたが、握りしめいている「常識」、ありますか?
その「常識」、偶然、日本で流行っていたから、先に聞いてしまっただけです。
そして、それが、「本物」だとは、限りませんよ。
慣れ親しんだ「常識」を疑うために、英語の原曲を聴いて、違和感でも湧かせてみてください
「先に聞いたから、これが本物」なんて言い張っていたら、おさむちゃんアゲインですしね(⇒おさむちゃん)
↓今日は下の2つのボタンを押しながら、
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