『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹) は、超自我 (内在化された規範) を打ち破ることで、実際の感情 (感じ方) を取り戻す話なのだと、私は思った。
 その物語に出てくる「根源的な悪」とは、「実際の感情を否定する超自我」だと私は解釈した。
 主人公は、壁抜けした先のホテルの一室で、根源的な悪と対峙する。主人公は格闘の末、それを打ち破る (まさに文字通り) 。
 その後、主人公は再び壁抜けし、枯れた井戸の中へと帰還する。その直後、その井戸から水が湧き出る。そして瞬く間に、その井戸は水で満たされていく。
 それは、根源的な悪 (実際の感情を否定する超自我) を倒したことで、主人公が実際の感情を取り戻したことを表しているのだろう。その井戸とは、イド (本能) のメタファーだろう。
 主人公はその井戸の中で溺れかけるが、なんとか救出される。これはイドをうまくコントロールしなければ、身を滅ぼすことを意味しているのだろう。

 私たちがしなければならないことは、実際の感情、そしてイドを否定するのではなく、それらをコントロールすることなのだろう。
 つまり抑圧や分離 (隔離) をするのではなく、抑制を覚えることなのだろう。精神病的、未熟な、そして神経症的な防衛機制ではなく、成熟したそれを身につけ、それを使いこなすことなのだろう (ただし、分離は意識的に用いることができれば、その限りではないだろう) 。