▼某月某日
あなたはどこから来てどこへ行くのだろう。
未来へ続く道は誰にもわからない。
過去への道はあなたの記憶の中にあるはずだ。
さらに過去へ。
もし、ご両親が健在なら話を聞いてみて欲しい。
どこで何をしていたかわかるはずだ。
祖父母が健在ならもっと過去に遡ることが出来る。
きっと幾多の困難を乗り越えて今のあなたがいるはずだ。
もうずいぶん昔のことになる。
母が色褪せた写真を眺めながらため息をついていた。
木の前に幼い母が立っている。
写真には写っていないが、そばに川が流れていたという。
その頃、山口県の厚狭(あさ)に住んでいたそうだ。
「もう一度、行ってみたいわ」
じっと写真をみつめたまま母はひとこと漏らした。
写真の中にぼくのルーツの1つがあった。
ぼくも行ってみたい。その場所に立ってみたい。
そんな衝動に駆られた。
そして衝動は記憶に擦りこまれ、体の奥深くに落ちていき、徐々に衝動が薄れていった。
もう10年ぐらい前になるだろうか。
務めていた会社からまとまった休暇と報奨金を頂いた。
何に使うか考えているときに写真を眺めている母の姿を思い出した。
母に一緒に厚狭に行ってみようと誘ってみた。
問題は写真の場所が特定出来るかだった。
厚狭時代は母の中で幸福なひと時だったようで、幾度となく頭の中で繰り返し思い起こされていたのだろう。
鮮明な記憶と出来事が口から出てくる。
その中で写真は小学校の近くで撮影されたものとわかった。
飛行機で宇部まで飛び、鉄道で厚狭まで行き、そこからバスに乗ることになった。
母の原点に近づくほど田舎臭くなる。
バスに乗りこみ運転手に小学校の近くで降りたいと告げると
「何もないところですよ」
変な親子が乗って来たものだと不思議そうな顔をした。
車窓から眺める風景は田舎臭さを増してくる。
運転手に促されてバスを降りて地面に降り立つ。
畑が広がり、低い山があり、小さな川が流れている。
本当に何もないところだが、山並みにはそのままで断片的な母の記憶がひとつひとつ蘇ってきているようだ。
「たぶん、ここかな?」
写真と同じ場所らしき木の前に母を立たせ、ぼくはカメラのシャッターを切った。
以上のことをぼくは浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」を読み終えた後、ふと思い返した。