親孝行の息子は本当に親孝行か? | 最近の古いモノは!

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「最近の若い者は…」とよく言われますが、
そう言う「古い者」はそんなに立派だったのでしょうか?このブログでは過去の新聞記事等をベースに、「古い者」の昔を検証してみます。
「最近の…」と言われたら、「あなたの時代はもっと悪かった」と言ってやりましょう。



1960年代の事件



明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年も週1のペースで
新聞記事をベースに書いていきます。

暇つぶしにご覧頂けたらと思います。



親孝行な息子!


親孝行

素晴しいことです。


親孝行とは
「親に孝を行う」と書く。

そして「孝」とは儒教の概念で、
子供が親を敬う概念を言う。

つまり元々「孝」とは対照が親であり、
だから親孝行ではなく、孝行だけでも
親を対象にしている

その派生として「祖先崇拝」も含まれる。
そして親孝行をしない奴を「親不孝」という。

そしてその親不孝者が集まるのがここだ!


いずれにせよ「親孝行」とは素晴らしいことだ。
これを否定することは許されない。


しかし…

中には否定されるべき親孝行もある。
親を崇拝し、親のために命を懸ける。

 

そういう純粋な若者にも…
間違っていることがあるのだ!



196512月28日の新聞夕刊に
以下の記事が載った。

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アイヒマン奪還未遂
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アイヒマンとはアドルフ・アイヒマン
 

1906年に生まれた
ナチスドイツの親衛隊(SS)のメンバー

彼は親衛隊の一員として
多くのホロコーストに関与した。

ナチスドイツはその政策として
ユダヤ人を絶滅させようとしていた。

そのため収容所を作り、組織的な虐殺を行った。

それに深く関与していたのがアイヒマンだった。

アイヒマンは第二次大戦でドイツが敗北すると、
難民を装ってアルゼンチンに逃亡した

そしてブエノスアイレスに居を構え、
10に渡って生活していた。

しかしナチの戦犯を追求するナチハンター
居場所を掴まれ、1960年5月11日逮捕された。

そしてイスラエルに連れてこられ、
翌1962年6月11日未明
人道に反する罪などで処刑された。


このアイヒマンを奪還しようとしていた。
それが息子のクラウス・アイヒマンだった。


アイヒマンには4人の子供がいたが、
その長男だったのがクラウスだ。
父親の拘束当時24歳だ。

彼は父親と一緒にアルゼンチンに住んでいた。


しかし父親が拘束されたと知ると、
父親の奪還計画を立てた。


その計画とは…

イスラエル大使館の大使を誘拐して、
父親を解放させることだ。

当時のアルゼンチンにはナチの残党が多くいた。
事実、ブエノスアイレス市内には
アルゼンチン・ナチ党支部があった。

そのメンバーと連絡を取り、
計画を進めたのだ。






計画は以下のようだった。


まずアイヒマンの身柄は
アルゼンチンのイスラエル大使館にあると見做し、

大使館を襲撃しようと考えた。

襲撃者は10名。
その内半分に武装させ大使館内に突入。

ダイナマイトの投げ、銃撃をくわえて
大使館内を混乱させる。

そしてアイヒマンの身柄が確保されれば、
そのまま連れてくるが、
確保できなければ、大使を誘拐。

大使とアイヒマンの身柄を交換する。

そして半分は逃亡のため自動車に待機。


このような計画を立てた。


うーん!

かなり荒っぽい!


いきなりダイナマイトかよ!
すごい発想だな!
 

 



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息子  間違いない
 

息子  大使館だ
 

息子  イスラエル大使館にいる
 

息子  父はそこにいる
 

息子  まだ発表されていないが、
 

息子  父は誘拐されたに決まっている。
 

息子  そして犯人はイスラエルだ!
 

息子  なぜ?
 

息子  だって父はアイヒマンだぞ!
 

息子  他にやる奴はいないだろ
 

息子  だから間違いなく
 

息子  犯人はイスラエルだし、
 

息子  父は大使館内にいる。
 

息子  だから奪還するには
 

息子  イスラエル大使館を襲撃するしかない
 

息子  そこで計画だが…
 

息子  襲撃人数は10ほど
 

息子  そのうち半分を襲撃部隊に
 

息子  半分を逃亡のサポート
 

息子  それで実行する。
 

息子  まず大使館に突入する際、
 

息子  ダイナマイトを投げて入口を爆破
 

息子  そのまま部隊が突入する
 

息子  そして銃を乱射しながら館内を制圧
 

息子  各部屋をチェックし、
 

息子  父が拘束されていれば解放し、
 

息子  そのまま逃亡する
 

息子  そして見つからなければ、
 

息子  イスラエル大使を誘拐する。
 

息子  そして大使を使って
 

息子  父と人質交換をする。
 

息子  まあ大使館内にいると思うが、
 

息子  もしかしたらいないかもしれない。
 

息子  その時も大使を責めあげ、
 

息子  どこに拘束されているか吐かせる。
 

息子  そうすれば万事OKだ。
 

息子  父を見つければ、そのまま解放
 

息子  見つからなければ大使と交換
 

息子  二枚腰の計画だ
 

息子  つまり…
 

息子  完璧だ!
 

息子  すぐに実行しよう。
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因みに実際は大使館ではなく、

ブエノスアイレス市内の別の場所に監禁されていた。


だから大使館を襲撃しても意味は無かったが、
大使を誘拐すれば、目的は達成される。


そういう計画だった。







バレた理由!

ところでアイヒマンが拘束されたのは5月11日。
アルゼンチンから出国したのが5月21日。
そして5月25日にイスラエル首相が発表した。

つまり拘束されてから発表まで2週間

この短時間で襲撃しようと計画したのだ。

当時のアルゼンチン国内では、
旧ナチの残党がかなり勢力を持っていたのだ。



ところでこの計画は実行されなかった。

なぜかと言うと、
計画が杜撰だったからだ。

彼はアイヒマンの友人で、
親衛隊(SS)のメンバーだった。

その彼は余りに大雑把で杜撰な計画に驚き、
息子たちをきつく戒めた。

そして彼の口から計画が漏れることを恐れ、
息子たちは計画を取りやめた。


計画が杜撰だから止めさせたのか、

計画が緻密なら応援したのか?



因みに息子は…

この計画に絶対の自信を持っていた。

なんだ、その自信は(

 



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息子  取りやめだ
 

息子  計画は取りやめだ
 

息子  なぜ?
 

息子  チャチャが入った。
 

息子  ほらっ、オヤジの友達の
 

息子  アイツが口出しし始めた。
 

息子  計画が杜撰だって…
 

息子  これでは成功は覚束ないって
 

息子  冗談じゃないよ
 

息子  この綿密な計画のどこが杜撰だ?
 

息子  全くバカげている。
 

息子  大使館を襲撃し、父を奪還する
 

息子  もし父がいなければ大使を誘拐
 

息子  そして人質交換する。
 

息子  そのために襲撃部隊は
 

息子  まず入口で爆弾を投げる。
 

息子  そして爆発に乗じて、館内に潜入。
 

息子  銃を乱射して館内を制圧。
 

息子  そして父を奪還するか大使を誘拐
 

息子  そして逃亡部隊のサポートで
 

息子  アジトまで引き上げる。
 

息子  これのどこか無謀なんだ?
 

息子  全く問題ないだろ
 

息子  そう思ったんだが、
 

息子  アイツは言うんだ。
 

息子  まず最初の爆弾がいけない。
 

息子  ブエノスアイレス市内の
 

息子  イスラエル大使館は繁華街にある。
 

息子  そこで爆弾を投げれば、
 

息子  多数の死傷者が出る。
 

息子  中にはアルゼンチン人が死傷する。
 

息子  そうすると国内世論が敵に回る。
 

息子  アルゼンチン内は親独的だが、
 

息子  こんなことをやれば敵に回す。
 

息子  だから絶対に…
 

息子  やるべきではない…と。
 

息子  そう言うんだ!
 

息子  どう思う?
 

息子  そんな弱腰で、
 

息子  父を奪還できるか?
 

息子  奴等も拉致をするという、
 

息子  犯罪行為を行ったんだ。
 

息子  なら我々も
 

息子  手段を選ぶべきではない。
 

息子  でも…アイツが反対すると…
 

息子  他の奴等も協力しない。
 

息子  だから襲撃部隊も集まらないし、
 

息子  結局、奪還できない。
 

息子  だから…
 

息子  やーめた!
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と…あっさり引き下がった訳ではないが、
結局、計画は取りやめになった。


そしてアイヒマンはイスラエルに連れていかれ、
裁判により有罪になり処刑された。


まあアイヒマンが処刑されるのは当然だが、
その息子が奪還を計画していたというのも驚く。

そして先にも触れたが、
それを10日くらいで計画できたというのも驚く。

アルゼンチンでは
そこまでナチの残党の影響力が強いのか?



それにもっと驚くことには、

このアイヒマンの息子は
この記事当時は西ドイツにいるが、

そこで堂々と本名を名乗り顔を出して
インタビューに答えていることだ。

そして彼は普通にサラリーマンをやっている。



戦後の西ドイツでは
ナチの戦犯追及が厳しかったと言うが、


そうでもないのか?


だってこんな発言を社会が許容しているんだぞ!


記事は最後にこう締めくくる。

西ドイツ国民はナチの亡霊の根強さを知り、
愕然としている。



まあそうだろう。


ところでこの息子の行動は
親孝行なのだろうか?
それとも親不孝なのだろうか?


少なくとも社会の迷惑なであることは間違いない。