2017年11月4日

奈良・飛鳥路(1)

 

「あをによし 奈良の都は 咲く花の 匂うがごとく 今盛りなり」 の万葉集の一句で親しまれている飛鳥・奈良路を、兄弟達と旅してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

先ずは、忘れてしまった歴史を振り返って。 

 

飛鳥時代とは 592年 ~ 710年の期間

 

 

 

 

592年 推古天皇が即位して 現在の奈良県に都を置く。

聖徳太子摂政になり、冠位十二階や十七条憲法を制定して天皇中心の国家体制の基礎を築く。

小野妹子ら遣隋使を派遣し、618年に隋が倒れた後は遣唐使を派遣して文化や制度を隋唐から学ぶ。 

聖徳太子没後、蘇我入鹿の執政に反発して大化の改新が起きる。中臣鎌足(藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)が勝利。

大和朝廷の百済救援軍が白村江の戦いで、新羅・唐軍に敗れる。

そして天智天皇没後は 壬申の乱 天智天皇の弟・大海人皇子と 天智天皇の子・大友皇子の政権争い、大海人皇子が勝利し天武天皇となる。

701年 文武天皇が藤原不比等編纂の大宝律令制定し、律令制の中央集権的な国家整備を進める。。

 

 

 

 

最初に訪れたのは

飛鳥寺 596年 蘇我馬子が発願し、推古天皇が創建した日本最古のお寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奈良京都の寺院は、室内は撮影禁止ですが、ここは許されました。

和尚様みずから、寺の説明をして下さいました。

 

 

 

 

飛鳥時代は、この下記のように広い伽藍配図だったそうです。

 

 

 

 

御本尊は、飛鳥大仏 609年 高さ3メートルの釈迦如来で、銅と金で作られた日本最古の仏像です。

平安、鎌倉時代の大火で罹災後、修理されたままの御姿だそうです。

世界第2次大戦の時も、明日香村の村民が一丸となって、戦火から御本尊を御守りしたそうです。

 

 

 

 

聖徳太子像 

和尚様の話によれば 聖徳太子は毎日飛鳥寺から法隆寺に通われたそうです。

 

 

 

 

 

廊下と 中庭の趣。

 

 

 

 

 

大化の改新で戦に負けた蘇我入鹿

 

 

 

 

 

 

明日香地方には、古代の天皇の古墳の他に、豪族の古墳もあります。

その一つが蘇我家の古墳の石舞台古墳です。

 

 

 

 

石舞台古墳 

 

 

 

 

行く道中は、こんなに長閑な明日香村の風景です。

 

 

 

 

 

入口で受付をすまし、小高い丘に登ると

 

 

 

 

 

蘇我馬子の墓と伝わる上円下方墳の上円部分の土がとれて巨石が露わになっていますが、飛鳥の山々に囲まれ、古代人の鎮魂を感じました。

 

 

 

 

 

 


巨石の中に下りると、大きな石の洞穴です。

 

 

 

 

この中に石棺が置かれていたのでしょうか?

 

 

 

7世紀に、こんなに大きな石作りの方法は下記の図が説明されていました。古代人の頭脳と技量に感服です。

 

 

 

 

 

 

 

 

法隆寺 

聖徳太子が、毎日摂政の仕事をされたゆかりの寺です。斑鳩町にあって、斑鳩寺とも呼ばれます。

 

 

 

 

7世紀に創建され、飛鳥時代の世界最古の木造建築で、五重塔、金堂を中心とする西伽藍と、夢殿を中心とした東伽藍に分かれています。 その隣に中宮寺があります。

 

 

 

 

 

この日は、修学旅行生や外人旅行者で満員、南門から西伽藍に入りました。

敷地が大きく、国宝も沢山で、1日では見切れないです。

 

 

 

 

 

 

西伽藍は、中門から入りますが今年は修理中です。

伽藍の中心は、右に金堂、左に五重塔を配し、その周りが回廊になっています。

 

 

 

 

 

五重塔が最初に目に入ります。

 

 

 

 

 

五重塔とは、5層の屋根があっても中は空どうで、一番下に御棺が安置されている所です。

 

建築には釘を使いませんので、そのための知恵が雲斗、雲肘木と呼ばれる曲線を多用した部材を用いること、建物の4隅の組物が斜め45度方向に出るなどの工夫がされています。それが飛鳥建築の特徴だそうです。

 

 

 

 

 

あまのじゃくが屋根の四隅を必死に支えているところが四隅の工夫したところです。

 

 

 

 

 

 

卍崩しの高欄(手すり)も釘は使われていません。

 

 

 

 

 

一番下の安置所に 釈迦涅槃像が見えます。

 

 

 

横たわっているお釈迦さまの脈をとっているのが医者です。

 

 

 

 

金堂には、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来の本尊が安置されていますが、室内は写真厳禁ですので、お見せできません。

回廊の中間に講堂がたっていて、学問をするところです。

 

 

 右側が講堂です

 

 

 

 

 

西伽藍から、東伽藍に行く道中が長い道のりです。

 

 

 

 御土産屋も並んでいます

 

 

 

東伽藍には夢殿が建っています。739年 奈良時代建立の八角円堂です。堂内には聖徳太子の等身像が安置されているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また歩き続けて その隣、中宮寺 に向かいました。

 

 

 

中宮寺は、聖徳大使の母 穴穂部間人皇后の御願によって創建され、

太子の斑鳩宮(夢殿)が中央に、西に法隆寺が僧寺として、東に中宮寺が尼寺として配置されています。 だから、三身一体で広いのです。

 

 

その尼寺・中宮寺に入ると、一句が看板にしたためられています。

 

 

 

中宮寺の本殿です。 

安置されているのは、半跏思惟像(伝如意輪観音)は 飛鳥時代の最高傑作で、顔の優しさを讃え「アルカイックススマイル」スフインクス、モナ・リザと並んで 「世界三大微笑像」ですが、撮影ができませんので、ご想像をして下さい。

 

 

 

 

明日香を訪れて、歴史の深さを感じました。  大化の改新、壬申の乱など 身内間の政権争いは、どの国も古今東西ありますから、親子・兄弟・親戚・ご近所は仲良くありたいです。

この旅を企画した同行の兄弟達に感謝です。翌日も楽しみです。

 

                        ありがとう!  松村温