「母と新宿御苑の桜見た」「母がきた」「長女の死」「父の死までの記録」大晦日からの写真 | ☆mashおもてなし☆

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追記
2024年3月3日長女29歳、医療事故で他界。長女が運営してた「さくらのブログ」を更新していきます。ご覧ください。
https://ameblo.jp/mitsusikibu/entry-12845860904.html


ご無沙汰です。 



昨日と今日「母と新宿御苑」で桜見た🌸



姉と母とわたしで昨日は「新宿御苑のつぶら乃」で食べた。わたしは山菜お蕎麦、姉は肉蕎麦、母はご飯に豚汁におかずもいろいろ混ぜて食べたよ。雨が降ってきたので暫くゆっくりしてた☔️ 


ほんとはお弁当が良かったけど2時には完売してたし(今日も)休憩所やスタバは長蛇の列。つぶら乃は高めだからか並んでない。

母には肌寒いようで姉の豹柄ストールを🐅

そんなところに寝るんじゃない by母

桜の生菓子、美味しいって。




「母がきた」


御苑のあと姉と母がうちにきて、次女君は頻繁にお風呂&夕飯に来るので、チャリでいろいろ買いに出て(新宿ルブランでテイク、伊勢丹と高島屋ぐるぐるみて姉の翌日分まで頼まれたから買った)みんなで食べると美味しいね〜と母が嬉しそうだった。←しあわせ




姉は帰り母は泊まってるナウ、一睡もできなかった😂寝かせても寝かせても秒で起き上がる母。ベット横のオマルに座らせ排泄介助するか、寝かせて布団をかけるか。



実家では、畳の部屋で滑りにくいし、姉も構ってらんないからオマルとベットの行き来は母がしてる。うちは床なので、もし、滑ったらと思うと恐ろしくて。←昨夜、わたしがついてても1度滑りかけた。



とはいえ、寝ないと体によくないと思うから辛いのであって、朝4時過ぎた頃、寝ないでいい、と諦めたらなんともない。



母は深夜も「お母さん助けて」「パパ、パパ」「もう少し生かしててくれ」などと独り言を言う。それと、わたしにひっきりなしに声をかける。母「大丈夫か?」私「大丈夫だから寝て」←エンドレスやり取り



相当、不安なんだと感じる。ボケたくてボケてるわけでないし、体が思うように動かなくなり、何もできなくなった自分への恐怖は、どれだけのものか当人しかわからない。



家族がそばにいたら、その苦しみを少しは家族が担ってくれる。例え、うるさがられてキレられても、ジュースが飲みたいと言えば飲ませてくれたり、気持ち悪いと言えば親身になってくれたら心強いだろう。



これで施設や病院に入ったら、認知症患者の症状としかみられず、拘束されるのは誰もが知っている。ナースコールは、押さない限りひとり苦しむことになる。




いや、間違えた。長女は、術後、頻繁にナースコールを押していた。怖さ、痛み、苦しさ、助けを求めた。でも、「ナースコールが押せる=大丈夫」と判断されたのだ。ナースコールを押しても救われなくなった。病院にころされる、と言っていた長女の言葉が思い出される。




この写真は本日の新宿御苑のつぶら乃

ニコニコの母☺️




すれ違う車椅子の外国人とニコニコハイタッチした母は嬉しそうだった。「可愛いね〜」と小さな子どもが通るたびニコニコ声かける母、長女も見知らぬ人によく声かけていた。おばあちゃん譲りの長所だね。



「長女の死」


1月5日に父が他界し、かけがえのない長女が3月1日のオペのあと3月3日早朝に亡くなった。



長女がしてたこと、話してたこと、ひとつひとつの言動、長女の気持ちが常に蘇ってくる。


なんでって気持ちが襲い、長女の名前を呼びながら泣いた。



長女は、6月の東京都障がい者スポーツ大会を楽しみにしていた。



まだ申込書を送ってなかった長女は、入院前夜にわたしに頼んだ。



オペ前日には「まだ送ってないの?間に合わなくなるとやだから早く送って」「書き方わかる?間違えないでね」「わからなかったらコレ見て」と言って以前、長女がかいた申込書の写真をおくってきた。



長女がいちばん、まさか死ぬなんて思いもしなかったよね。



ママも、次女君も、姉もまわりみんな思ってなかったよ。



オペ後から痛みや吐き気はあったけど、まだ余裕のあった20、21時台はオペ終わった」「大問題、土日主治医いないって」などと親しい方にもLINEを送ってた長女が。



つづく




「父の死までの記録」


(美しい話しでないからこれスルーしていいよ)


父は92歳で心不全などもあったので、もう長くないとは思っていたけど、この入院中に亡くなるとは思ってなかった。医師に呼ばれ、父から離れて救急外来の診察室で話しを聞いたとき、念のため「この入院で帰れないってことありますか」と聞いたら「それはないでしょ」って言われたし。



この入院中に亡くなったのは悲劇、あと少しで、母に会えてウチで安心して亡くなることができたのに••



入院した翌日、父に電話しても繋がらず、病棟に電話して「父に携帯を渡してますか?」と看護師に聞いたら「充電がなくて充電のやり方がわからず置いてある。」と言うので充電の仕方を伝えた。←横スライドのやり方



翌日の元旦、病棟の看護師から電話あり「せん妄がでてるようで、大きな声を出されてて、幾ら説明しても分かってもらえないので、ご家族と電話で話したら落ち着かれると思いかけました。」とのこと。



父に代わると、まぁ、大きな声で「中落合っていうんだよ、そんなことないだろ」「しばられてるんだ、警察に電話してくれ」「ひとり違うところにうつされてる」などなど。いつも通りの元気な父の声を聞いて安心した。



ちなみに、父が他界し戻ってきた携帯をみたら、その元旦に、わたしの他、姉、長女、110番、地域包括センターやケアマネに何度かかけてた。繋がったのはわたしと姉のはず。110番になんてかけるから携帯没収したんじゃないかしら。ちなみに、長女は苦しみに耐えてた深夜4時、わたしの推察では意識不明気味のとき携帯没収でおそろしい。




病棟の看護師から、家族と会うことで落ち着くなら面会できると聞いたため、元旦の夕方遅く病院に行ったけど「精神安定剤をのんでもらい、今は静かでウトウトされたので面会できません」と言われて仕方なく実家に。



2日、父が電話に出ないことが気になり、病棟に電話したら寝ているとのこと。看護師曰く、父の携帯は棚の上に置かれてて「いちど紛失しかけたから確認して渡すこと」と携帯にメモがあるらしく。←身動きとれないのに紛失って?この日も面会は断られ実家に。



3日、あれだけ大きな声でシッカリ話せた父から電話がなく寝てるなんておかしいと思い「精神安定剤はいつどのくらい飲ませてるのか」聞くと「夕と夜の2回内服」とのこと。



食事量と水分も聞いた。

31日までは3食。

1日、朝と昼のみで夜は食べない。

2日、朝がお粥、昼お茶2口、夜は食べない。

3日、朝から何も口にしてない。


明らかに精神安定剤により食べられなくなってきてるのではないかと思い「もう精神安定剤はやめて、このあとの夜は飲ませないでください。」というと、「医師の判断なので明日聞いて医師からお電話させます。」「お茶とかを飲ませるに、とろみ剤を薬局で買って持参してください。」とのこと。



4日、実家にいた15時過ぎに病院から電話があった。入院時、違う医師になったのに、なぜか以前の外来主治医からの電話😱




病院にかかりだした当初からの話しを延々にしてるので、「それで父は?」と聞くと「2日前から貧血がひどく尿がでないから腎不全でしょう、、、、まぁ、年齢的にも十分生きたと思いますよ、わたしも(=主治医)母のさいごは治療しないで・・」←医師の母や父の話はこれまでに何度か聞いた常套句



例えば、何年も前の母の外来のとき、この医師は「もうわからない顔してるし、年内もったらいいんじゃないですか。」と母の目の前でシラっと言った。←そのとき姉もいた。



話しを4日に戻し、その主治医との電話で「今から行くので父に会えますか」と承諾とり姉と病院にいくと••



父は、入れ歯してなく口を大きく開けたまま。入院時より衰えた顔に驚いた。乾燥してる部屋で口開けてるから気になり、すぐ看護師呼んで「ここ乾燥しててカラカラなので口に水分を与えてください」というとスポンジで口まわり拭いてでていった。



そのあと、父は水分を取りたがっていた。「なんにも飲ませてくれないんだ、おかしいだろ、飲みたいと言ってるのに」「鼻から口からグイグイ入れられて痛いったらありゃしないんだよ」「水コップ半分くらい飲んだってどーってことないだろ、そーだろ、それをインチキばかり言ってよ、飲んだっていいじゃないか、、ころされるよ••」などと父が言ってた。←一部動画撮ってある。




看護師を呼び「何か飲ませちゃいけないんですか?」と聞いたら、肺炎になるといけないから勝手には無理で、看護師でも誰もができることでなく技術が必要で時間もかかるとか。



とろみ剤を持ってきましたと看護師に渡した。これまでに、とろみ剤で飲ませてなかったんですか?と聞いたら「お茶2口飲んでます」って😱



父のそばにいたら例の医師が入ってきて、別室でお話しを、再度、病歴から長々聞きました。


で、「父はあとどのくらいもちますか?」と聞いたら「ここにいて1週間」とのこと。(ちなみに、父他界後、長女が信頼してる薬剤師さん曰くは、腎不全で尿がでなくなったら48時間というのは誰もが知ってることらしい。この入院、年末年始だったことがいちばん良くなかった。)


母に会わせなきゃと思い、明日(5日の金曜)連れて帰り自宅で看取れるか聞きました。明日を逃したら月曜祭日で火曜になり火曜までもたないと思ったから。




「吸引をご家族もやれるようにして訪問診療と訪問看護師の手配ができれば可能」とのこと。診察室でてケアマネに連絡し伝えて手配。そして、18時頃、水分飲みたがってたので飲ませてくださいと伝えて病院をあとにした。

  


ちなみのちなみに、



その自宅看取りの話しを終えたあと、そばに立ってずっと聞いていた看護師長なのか看護師に向かって「明日また面会にきます」と言ったら「面会はできません、明日の午後2時に電話で予約してもらい、早くて9日過ぎになります。」って言ってて驚愕。




姉は帰りに父の部屋に入り、今日は帰れないんだって、明日くるね、と伝えると、全くなんで帰れないんだよと残念がり、姉はティッシュにお茶を湿らせ唇にあてました。




5日の早朝、姉から電話「医師の電話では急いでとか危篤とかなにも言ってなかったけど、息をハーハーさせてるから早くきて」とのこと。




ケアマネに連絡し、母を病院に連れてきてもらい、わたしは長女とタクシーで向かった。母とわたしは間に合わずでした。父の手を取り号泣。



「父は何か飲みましたか?」と聞くと「飲んでません」と言われた。



オシマイ



では、画像に。



⭐️お正月お節🎍


年末年始は実家に連日通ったし、次女が香港から帰宅したので忙しなかった。


3人でお節食べられて良かった。残ったお節は実家に。



お正月の生菓子は目白の志むら

ピンクのを長女たべた。


いつのうちご飯か忘れてしまった。




大晦日は次女君が香港だったから長女と。

いつも実家から戻るのを長女が待っててくれてた。


⭐️長女と映画「ウィッシュ」

まだまだ長女と一緒に映画観にいきたいよ。


⭐️長女と代々木のカラ館



⭐️次女君のお土産


香港のディズニーランド土産を撮ってた。クリスマス柄のセーター過ぎてるから安かったんだって。



スタバの福袋を昨年買ってみた。バックやシートやポーチが要らなすぎるから「メルカリにだそうかな」って言ったら、長女が「やめて、ださないでいるから」って言ってたよ。だからとってある。


⭐️ルミネI・Plataran Resort & Restaurants - Tokyo(プラタラン リゾート アンド レストラン)






⭐️明治神宮の屋台 

バナナチョコわたしのは長女にはいつもお土産に










屋台の帰り、チャリ乗ってる次女君を撮った


⭐️目白の旬香亭

父が他界した5日、実家の帰り3人で夕ご飯







姉と確か池袋東武のレストラン街のココw 





⭐️長女と高島屋の京はやしや

長女とよく入ったお店ばかりだよ。



ちゃんちゃん。