ショスタコーヴィチ - ドミートリイ・ショスタコーヴィチ (Dmitry Shostakovic | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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ショスタコーヴィチ - ドミートリイ・ショスタコーヴィチ (Dmitry Shostakovich) Ⅱ

1933年 軽音楽に関するレニングラード市の委員会の委員になる。ピアノ協奏曲第1番初演。
1934年 レニングラード市アクチャーブリ区の区議会議員に選出される。
1936年 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1月)とバレエ「明るい小川」(2月)に対するプラウダ批判。5月30日、長女ガリーナ生誕。
1937年 春(一説には1月)、レニングラード音楽院に講師として勤務(後に教授)。交響曲第5番初演(11月21日)。この成功により名誉を回復。
1938年 5月10日、長男マクシム生誕。
1939年 ムソルグスキー生誕100周年記念祭の準備委員会の委員長となる。音楽院で教授に就任。
1940年 5月、労働赤旗勲章受章。ピアノ五重奏曲がスターリン賞を受賞。
1941年 交響曲第7番「レニングラード」を作曲。翌年の初演は成功を収め、同年アメリカでも演奏された。レニングラード音楽院教授を辞任。
1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与。
1943年 3月、モスクワ音楽院教授に就任。国歌コンクールに参加。
1946年 ピアノ三重奏曲第2番がスターリン賞第2席を受賞。12月、レーニン勲章受章。
1947年 2月、レニングラード音楽院教授に復職。同月、作曲家同盟レニングラード支部の支部長に選出。10月、ロシア共和国人民芸術家の称号を授与。ロシア共和国最高議会代議員に選出。
1948年 ジダーノフ批判。9月、レニングラード音楽院、モスクワ音楽院ともに教授の職を解任。
1948年 3月、世界平和文化科学会議出席のため渡米(ニューヨーク)。
1949年 オラトリオ「森の歌」作曲・初演。
1950年 「森の歌」がスターリン賞第1席を受賞。10月、ソヴィエト平和擁護委員会の委員となる。11月、世界平和会議出席のためワルシャワ入り。
1952年 「革命詩人の詩による10の詩曲」がスターリン賞第2席を受賞。12月、世界平和会議出席のためウィーンへ。
1953年 交響曲第10番作曲、初演(12月17日)。6月、文化代表団の一員としてオーストリアに派遣される。
1954年 交響曲第10番に関する討議会(いわゆる第10論争)が作曲家同盟で開かれる。8月、ソヴィエト人民芸術家の称号を授与。9月、国際平和賞受賞。12月、妻ニーナ死去。同月、スウェーデン王立音楽アカデミーの名誉会員に選出される。
1955年 東ドイツ芸術アカデミーの準会員に選出される。11月、母ソーフィヤ死去。
1956年 1月、サンタ・チェチーリア芸術アカデミーの名誉会員に選出される。9月、レーニン勲章受章。
1957年 春に開かれた第2回作曲家同盟大会において作曲家同盟初委員長となる。交響曲第11番がレーニン賞受賞。
1958年 オックスフォード大学より名誉博士の学位を授与、イギリス王立音楽アカデミー会員に選出。国際シベリウス記念賞受賞。9月、右手の麻痺(後に脊椎性小児麻痺であることが判明)で入院。
1959年 9月、米国務省主催による文化交流プログラムでワシントンで開催されたソヴィエト祭に、ソヴィエト代表団の一員として派遣される。メキシコ音楽院名誉教授の称号を受ける。
1960年 2月、再び右手の治療のため入院。10月、息子マクシムの結婚式で転倒、右足を骨折、入院。作曲家同盟第1書記に任命。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第8番(ロシア・ナショナル管/ベルグルント)
SHOSTAKOVICH: Symphony No. 8
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/PTC5186084
交響曲第8番 (ショスタコーヴィチ)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番/ピアノ協奏曲第1番(ポリャンスカヤ/ロシア国立響/ポリャンスキー)
SHOSTAKOVICH: Symphony No. 9 / Piano Concerto No. 1 / 2 Choruses after A. Davidenko
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/CHAN10378
交響曲第9番 (ショスタコーヴィチ)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第10番, 第11番(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管/シュターツカペレ・ドレスデン/コンヴィチュニー)(1954, 1959)
SHOSTAKOVICH, D.: Symphonies Nos. 10 and 11 (Leipzig Gewandhaus Orchestra, Dresden Staatskapelle, Konwitschny) (1954, 1959)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/0090422BC
交響曲第10番 (ショスタコーヴィチ)
交響曲第11番 (ショスタコーヴィチ)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第12番(ケルン・グルゼニッヒ管/キタエンコ)
SHOSTAKOVICH, D.: Symphony No. 12 (Cologne Gurzenich Orchestra, Kitaenko)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/C71037
交響曲第12番 (ショスタコーヴィチ)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バビ・ヤール」(ローテリンク/オランダ放送フィル/ウィグルスワース)
SHOSTAKOVICH: Symphony No. 13, "Babi Yar"
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/BIS-SACD-1543
交響曲第13番 (ショスタコーヴィチ)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第14番(イ・ムジチ・モントリオール/トゥロフスキー)
SHOSTAKOVICH: Symphony No. 14, Op. 135
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/CHAN8607
交響曲第14番 (ショスタコーヴィチ)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第15番(ベルリン響/ザンデルリンク)
SHOSTAKOVICH, D.: Symphony No. 15 (Berlin Symphony, K. Sanderling)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/0090432BC
交響曲第15番 (ショスタコーヴィチ)
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
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