9月終わりのある日曜日。
私は地下鉄に乗り30年ぶりに懐かしい駅に降り立った。
地下鉄の通路を上って行くと私鉄の駅と繋がっている。
地上に出る。
悲しいほど白く、悲しいほど綺麗な建物がそこにあった。
昔の姿がまったく思い出せない。
でも、まるで変わってしまったのだけは、はっきりわかった。

30年ぶりにここへ来ようと思ったのは
母校の文化祭があることを偶然知ったからだった。
数年前に校舎は建て替えられ、懐かしい姿はそこにはないかもしれない。
でも、一度は来たかった、母校。

駅から南に歩く。
道もすっかり変わっている。
遠くに何棟ものマンションが見える。
駅から南にまっすぐ行けば着くはずだ。
私は歩き出した。

見慣れぬ街並みが私を迷わせる。
ここはどこだろうかなんて考えてしまう自分が居る。

少し歩けば商店街のアーケードが見えるはずだ。
高校時代、友人とよく歩いた商店街。
道の右側にあるはずだ。

歩く。
道の右側。
商店街の入り口が見える。
でも、こんなに遠かっただろうか?
そして、こんなに小さかっただろうか?

歩く。
線路が見える。
そうだ。線路際の土手から母校が見下ろせるはずだ。
私は線路に向かって歩いた。
数分後、やっと見覚えのある場所に出た。
線路際、このあたりでは少し小高くなっている場所。
私は母校を探した。

母校のあるあたり、マンションが競うように並んでいる。
10階以上はあるだろうか。
母校は見えない。
マンションの陰に隠されてしまっている。
あの頃、母校より高い建物など無かった。

タバコに火をつけ吸う。
ため息と煙を一緒に吐き出す。
あの日と同じ場所に立っているのだろうか?
風さえ違うように感じる。

歩く。
やっとたどり着いた。
想い出にある門の向こうに、見慣れぬ校舎が見える。
看板が文化祭の開催を告げている。
何人かの生徒たちが校門前に立っている。
何人かの人が門内に入っていく。
私も。

やはり来るべきではなかった。
悲しいほど新しい校舎。
何もかもが変わっている。

教室をいくつか回ってみる。
若者たちの笑顔が、羨ましいほどの笑顔がそこここに見える。
もう、すっかり忘れてしまったあの日。
私もあの頃、こんな顔をしていたのだろうか。

大勢の人が楽しそうにしゃべりながら行きかう。
私一人がさびしいのだろう。

もう帰ろう。
そう思った時だった。
「先輩じゃないですか? 杉野先輩?」
女性の声に振り向く。

30過ぎぐらいだろうか。
綺麗な女性が僕を見ている。

「先輩でしょ?私です。わかります?浅野由美子です。」
浅野由美子。
知っている名前だ。
知っているどころか、あの頃ずっと思い続けて居た名前だった。

「え? 浅野君?」
私は驚いた。
1年後輩の浅野由美子ならもう50に近いはず。
どう見てもそんな年齢には見えない。

「先輩、こっちに面白いものがあるんですよ。」
由美子は私を案内するように歩き出す。
長く続く廊下の向こう。
人もまばらになっている。
この校舎に入って初めて懐かしさを感じた。

同じ建物の中なのだろうか?
その廊下は少し暗く、古ぼけている。
30年前そのまま。
ここだけ残したのだろうか?

前を行く由美子がふと立ち止まり振り向く。
さびしげな笑顔。

「先輩。覚えてます? 先輩が卒業した年の文化祭。先輩、来てくれましたよね?」
そうだっただろうか?
確かに1回だけ、卒業してから来たことがあるような記憶があった。
「先輩、ぼくはずっと名古屋だから毎年来るよって、言ってくれましたよね?」
まるで記憶にない。
お調子者だったあの頃の私なら、先輩風を吹かせてそんなことを言ったかもしれない。

由美子の笑顔。まるで泣いているような笑顔。
「ずっと待っていたんです。毎年毎年。先輩が来てくれるのを・・・」
そう言うと由美子はまた先に立って歩き出した。
つぶやくように由美子は続ける。
「私、ずっと先輩のことが好きだったから・・」
「えっ?」
思わず立ち止まる。
廊下には人影もない。
窓ガラスを透かして光が射し込む。
キラキラとチリが舞い光っている。

振り返る由美子。
光の中でセーラー服が揺れる。
セーラー服?
そんなはずはない。
彼女はワンピースを・・いや、さっきまでの由美子の服装が思い出せない。
しかし、セーラー服ではなかった。
それなら、何よりも真っ先に気がつくはずだ。
しかし、目の前にいるセーラー服の女子高生。
あの頃のままの姿で、由美子が目の前にいる。

「先輩・・・」
由美子の手が私の腕を取る。
黒い学生服の腕を・・・。
首に触れる。
硬い詰襟が苦しい。
「先輩。ここです。覚えてます?」
見る。
覚えている。鮮やかに。
毎日のように入った部屋だ。
あの頃、部室として使っていたあの部屋の白い木の扉。

扉の向こうの光景が蘇る。
古い教壇に実験用の水道。
大きな数人がけの机がある。
ここに毎日のように集まり過ごした。
3年になって部活動を引退してもみんながここに来た。

夢だ。
私は目を閉じた。
きつく、きつく目を閉じた。
これは夢だ。
こんなことはあり得ない。

「先輩・・・」
由美子の声が聞こえる。
私の手を由美子が握る。冷たい手。
「先輩・・・」
夢だ。これは幻なんだ。
「先輩・・・。お願い・・・」
哀しげな声。
「先輩・・・。好きなんです・・・」
私はきつく目を閉じたまま遠ざかる由美子の声を聞いた。
由美子の声は風のように薄らいでいく。
握られていた手の感触も薄らいでいく。
目を開けよう。開ければ由美子が・・・。

ざわめき。
だれかの声がする。
足音。嬌声。
目を開ける。
目の前にあるのは、悲しいほど白く、悲しいほど新しい壁。
あの古ぼけた廊下は消えていた。
首に触れてみる。
ポロシャツの襟の感触。
それでも消えない息苦しさ。

由美子は?
見回す。
居ない。
彼女の姿はそこにはもうなかった。

私は逃げるように母校を出た。
どれほど歩いたのか?
どこへ行くのか?
駅? そうだ。駅に向かわなければ。
そう思ったとき、私は自分の頬が涙で濡れているのを感じた。
なぜ涙が?
悲しいのか、寂しいのか?

振り向く。
マンションの陰、母校は見えない。
風が吹いている。
何もかもあの頃とは変わってしまった街並み。

駅、地下鉄に乗り家に帰る。
現実に戻ったのだ。
いつもと変わらない現実に帰ってきたのだ。
もう、あの日には帰れない。

来年。一年後の文化祭。
私はどうしているのだろう?
もう一度、もう一度、由美子に会いたいという思いに
打ち勝つことが出来るのだろうか?

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ミクシで書いてた駄文をこっちに転載してみる。
ちなみにタイトルの「懐かしきリフレイン」ってのは
石川ひとみさんのアルバムにある歌のタイトルを借用しました。