埋もれてしまった好アルバムの話をしたい。
ボリビア・フォルクローレの黄金時代(人によって定義が異なるとは思うが、大体1974年~1984年頃の十数年間を一つの目安としたい)に数多くのグループが生まれ、それぞれの世界観を持ったアルバムをリリースしていったが、その中には、何度も繰り返し聴きたくなってしまう佳品でありながらも(個人の感想だが)、今一つ世評に上らず、また発行元の消滅等の理由もあってCD化されず、フォルクローレ愛好家の多くから忘れられ、歴史の中に消えてしまったアルバムやグループが存在する。
その1つが、Sempiterno。
1980年前後に、当時一流の演奏家が集まったグループ(一時的なユニットかもしれない)だが、たった1枚のアルバムをボリビアのマイナーレーベルからリリースしただけで消えてしまった。
残されたアルバム以外に情報は無く、マニアの話題にも上らない。
DiscogsでもCDandLPにも過去の取扱い記録が出てこず、ボリビア盤をかなり網羅したInterprets de Bolivia でも出てこない。
ただ、私が日本で買えたのだから(1985年頃に山野楽器本店の「ラティーナ」推薦盤の棚で買った。チチカカにも入荷していた)、流通しなかった訳ではない。ただ、厳然たる事実として、評判を呼ばなかっただけだ。
しかし、私だけかもしれないが、私はこのアルバムの音の世界が大好きで、14歳の頃に買ってから40年近くの間、何十回となく飽きずに聴き続けている。
それにしても本アルバムがあまりにも知られていないことを秘かに嘆いていたら、昨日、突然、YOUTUBEに誰かが全曲アップロードした!! びっくりだ。
これで多くの方に聴いてもらえる機会が広がったので、それに乗っかり、私なりにレビューをしてみることにした。
まず、グループ名(ユニット名、もしくはタイトル名)はSempiterno。スペイン語で「永遠の」の意(同義語のeternoより使用頻度が少ない言葉の気がするが、私には微妙なニュアンスの違いは分からない)。永遠どころか一瞬たりとも評判にならなかったのは悲しい😢
M&S records というレコード会社(ないしはレーベル)から発売(連番のIDがLPMS-016なので、同社16枚目のアルバムだろう)。
M&S recordsはリリース点数が少なく(本譜が私が確認できた中で最も数字が大きいので、全部で20点未満か)、会社(レーベル)自体の活動期間は短い。確認できたLPMS-015(Thunnpa。これもレア)が1979年リリースとのことなので、本譜の発売は1979年以降。ジャケットにリリース年記載は無いが、レコードラベルに「Dep. Leg. 053-81」とあり、下二桁がリリース年と仮定すれば1981年(しかしリリース間隔が2年も空くものだろうか)。
そんな弱小会社(レーベル)だが、実は、1974年にLos de Canataのファースト発売を皮切りに、Savia Andina、Los Yurasといった後世に名が残っている一流コンフントの初期作品を輩出している。それも粒ぞろいの名盤が多く、一言で言えば全体的に「打率が良い」レーベルだった。
しかし、いつしか新譜がリリースされなくなり、ボリビアでもCDの時代に入ると、有名グループの音源の多くはCD化されたが(会社解散の際に、版権とマスターが大手に譲渡されたのだろうか)、そうでないグループのアルバムはCD化されず埋もれていった。
ただし、手持ちのM&S recordsのアルバムを聴いた限りでは、どれも共通して「音質がシャープではなく、なんだかモヤモヤと籠っている」のも特徴だ。特に高音部と低音部が潰れているように聞こえることが多く(中古でなく新品で買っているのに)、もったいないなあと良く感じる(録音機材・スタジオの問題か、録音技師のセンスの問題か、プレスの問題なのか良く分からないが、レコード針を落として出だしを聴けば、「ああ、M&S recordsのアルバムだな」とピンとくるような音のクセがある)。
次にメンバーのクレジット。これが無名ユニットとしては実に豪華だ。
PEDRO SANJÍNEZ: TECLADOS
JHONY BERNAL: VIENTOS
ERNESTO FELICIANO: CUERDAS
AGUSTÍN SILVA: VIENTOS
LUIS MAMANI: CUERDAS
上からペドロ・サンヒネスはキーボード奏者で、辺境プログレの名盤と名高い伝説の「El Inca」など初期(及び中期)Waraのアルバム数枚に参加。これまた埋もれた名盤中の名盤である「Fondo de Cultura y Neo Altificio」にも参加。
「Fondo de Cultura y Neo Altificio」については、別の機会にぜひ取り上げたいが、一言で言えば、しっとりした静かなWara(我ながら乱暴な表現だが💦)。
こちらも一枚だけしかアルバムを遺しておらず、A面全曲聴きごたえのあるアウトクトナ、B面全曲しっとり系フシオンで、特に深夜に聴くと心地良い名盤だ。その中で1曲だけ別のオムニバス盤に収録され、YouTubeにも上がっている。
ご存じ、俺たちのジョニー・ベルナールwは、フェルナンド・ヒメネス登場以前時代の野趣あふれる力強い演奏で知られる名サンポーニャ奏者。
「Mono 猿」のあだ名で親しまれ、E.カブールのグルーポ・ナイラのメンバーとして、海外公演にも参加、80年カブール日本公演でも来日している。
私は彼のライブに立ち会えていないが、1976年カナダ・ケベック州でのグルーポ・ナイラとルイス・リコの公演映像(地元TV局の音楽番組の公開収録か)で、サンポーニャをバホバホ言わせている若き日の動くジョニー(76年当時18歳前後)の雄姿を今でも拝むことができる。ありがたやありがたやー。
上の動画冒頭曲「緑の大木 Leño Verde」と最後の「蝶々 La Mariposa」で、一人で二人力の活躍をしている。
なお、余談の余談だが、サンポーニャは本来、2列を2人で1列ずつ(イラ ira とアルカ arka )担当して、2人1組を一単位として曲を奏でる楽器だった。
いわゆる「コンテスタード(応答される) Contestado」奏法である。
1970年代前半までは、プロのステージ演奏でもコンテスタード奏法が一般的だったと思う。
一例として、インティ・イリマニの「アルトゥーラス Alturas」の演奏を挙げておく。
しかしここからは私の想像に過ぎないが、おそらくは60年代後半からのロス・ハイラス等の成功により、ボリビアのプロ演奏家たちが欧米で海外公演する機会が増えたが、ビエントス奏者ばかりを多数連れて行けないという事情と、少人数制コンフントの一般化により、一人ビエントスで、ケーナとサンポーニャを回さなくなってはならなくなった結果、自然と、腕っこきのビエントス奏者が一人でサンポーニャを二列吹きする、という「ドブレ(ダブル) Dobre」奏法が生まれ、定着していったのだろう。
言い換えれば、迫力あるドブレ奏法ができる奏者が特に選ばれて、海外公演に帯同させてもらえるチャンスを掴んだのだろう。
例えば、ハイラスの欧州公演にしばしば参加していたトマス・コンデ Tomas Condeは、一人でサンポーニャとディアブラーダなどの仮面踊りを担当して、ライブを盛り上げていた(写真でしか見てないけど💦)。
ジョニー・ベルナールは、そんなドブレ・スタイルが定着する初期の代表的なサンポーニャ奏者だ。
なお、グルーポ・ナイラのケベック公演の動画に話を戻すと、他にもE.カブールがフランス語でMCを務めていたり、L.カブールがマトラカをガラガラ回していたり、ルイス・リコがみんなと一緒にタルカを吹いていたりと見所が多く、視聴をお勧めしたい。
俺たちのジョニー噺が長くなってしまった。話をSempiternoのメンバー紹介に戻す。
エルネスト・フェリシアーノは、Los Yuras他で活躍したチャランゴ奏者。繊細な音色を奏でる。
季刊ラテンアメリカ専門誌「オーラ!アミーゴス」のボリビア・チャランゴ特集の号(通算第11号/1990年夏号)の署名記事「チャランゴの名演奏家達」で、河本好民(エルネスト河本)氏が「彼の刻み出すリズムの味わいは、他の奏者にないもので、軽やかで無理がなく(…)」と称賛しているのを読んだとき、思わず「そうそう!」とうなずいた。
アグスティン・シルバは、Paja Brava パハ・ブラーバの主要メンバー(リーダーだったことも、グループを一時離れて出戻ってきたこともある)。
時代の変化に適応して、アウトクトナ~コンフント~エレキ・フォルクとカメレオンの如く演奏スタイルを変え、21世紀まで命脈をつないだパハ・ブラーバも、非常に興味深いグループだが、ここではこれ以上深入りしない。
ルイス・ママニだけは、私には詳細が良く分からず、あまり自信が無いが、弦楽器およびビエントス全般をこなすバイ・プレイヤーとして地味に活動していた人だと想像される。
Aru Amunya(1981年フランス盤)、Bolivia Mantaの「Anata」(1989年フランス盤)等にちょこちょこと名を連ねている(同名異人の可能性もありうるが)。
さて、ここからようやく曲の紹介と感想に入っていく。
アルバム全10曲(約36分)。
A1. Dulces sueños 0:00
A2. Marcelina 3:38
A3. Gotas de Manantial 7:37
A4. Hilanderita 10:20
A5. A Bolivia 14:07
B1. Sentimiento Indio 17:58
B2. Pascuas 21:42
B3. Carnaval Chapaco 26:33
B4. Niño Pobre 29:37
B5. Morenada 33:19
A4はロス・ユラスでも取り上げられている有名曲。
B1もパッと思い出せないがA.パティーニョ作曲のよく知られた曲だろう。
B3もRumillajtaかどこかでE.ビジャロエルが唄っていたはず。
B5. Morenada(del Gran Poder)はカブール系のコンフントで良く聞かれた。
A1、B4はおそらくオリジナル曲。
これだけだとフツーのコンフントのアルバムに見えるのだが、レコード針を盤に落として、いきなり聞こえてくるのは、エレクトーン?というか富田勲のシンセサイザー?というか、かなり前時代めいた音色のキーボードによる前奏だ。
この冒頭でダメな人は、少なくないと思う。ここで試聴終了だろう。
それを乗り越えると襲ってくるのはA2の歌。
決して上手ではなく(楽器を持たせれば一流のプレイヤー揃いだが、歌の上手い人が含まれていなかったようだ。それにしても、何とも言えないユニークでオンリーワンな重唱だなあ)、安定感の無い不思議な歌声にエレクトーン的なレトロでチープな音色が絡んで、さらにそこへ、正調ボリビア式のオーソドックスな太めのケーナの音色とジョニーのバホバホしたサンポーニャの野趣あふれる音が組み合わさって、唯一無二の摩訶不思議な音世界が形成される。
あーこりゃ色モノアルバムをつかんじゃったかなー( ゚Д゚)と思いながら、先に進むとA3では、前2曲と打って変わって、今のフシオンにも通じそうな、ピアノとケーナ・サンポーニャのシックでオシャレな掛け合いになる。
ジョニーも余り突出しないように極力抑えめに吹いているようだし、録音がサンポーニャ本来の音色を潰してしまっているが、それでもやっぱりジョニーのサンポーニャがバホバホと野生の牙を隠せないでいるw ヒメネス以降のサンポーニャ奏者の音とは明らかに異質だ。どうしてこのバホバホとピアノや電子楽器を合わせようと考えたのだろうか? アルバム企画者(いったい誰やねん、ペドロ・サンヒネスさんか?)を小一時間問い詰めたくなるw
A4に入ってようやく、既存のコンフント演奏のカテゴリーのようやく軌道に乗るが、A5もエレクトーンとバホバホサンポと音痴スレスレの歌声ww(でもそれがイイ)。
レコードひっくり返してB1へ。
B面に入り、ようやくこちらの耳も異質な世界に慣れてきたところに、聴き馴染のある曲。ここらでようやく、あれ、このケーナ、良くね!?という気がしてくる。
私は、このアルバムでアグスティン・シルバをケーナ奏者として見直した。
テクニックや過剰な装飾音に走らず、メロディそのものの良さを素直に表現してくれている気がする。
私はこういうケーナが吹きたい。
B2はそのアグスティン・シルバのケーナの調べと、エルネスト・フェリシアーノの粒立ちの良いチャランゴの音色を楽しめる。歌もこうなると味わい深く聞こえてくる。
B3も安定感がある。ああ、こういう演奏をしたかったのね、とようやく理解が追いついてくる。
そして本譜の出色、聴きどころはB4。形式名は「Poema」!?
これまで聴いたこともこれ以降聴いたこともない曲。
エルネスト・フェリシアーノのチャランゴの音色の転がりが心地よい。
間奏中に宇野重吉のような朴訥で渋い語りが入ってくる。
私の中で「ポエムが入ってくるのが素敵なアルバムベスト3」に入る。
(ちなみに一番は「夕焼けカナタ」、二番がこれ。三番がコンフント・サチャスーーと思ったけれど、サチャスは宇野重吉風の「掛け声」で「ポエム」ではなかったな)
最後のB5は、キーボード無しで普通のコンフント演奏。この演奏の耳コピーで、中学生時代、夏休みの音楽の課題で、この曲をケーナで吹いた話は、以前した通り。
昔ながらの正調モレナーダで、90年代以降のようなヘンなリズムのタメは入らない。昔アフリカから強制的に連れてこられた黒人奴隷の足鎖のジャッ、ジャッという音に由来する単調なリズムをマトラカがキープしている。そういう根っこがしっかりしているところがまた良い。
このレビューを書くために5回繰り返し聴いたが、なお飽きない。
それくらい、私にとって、不思議に愛着の持てるアルバムだ。■
※※筆者備忘※※
今後シリーズ化するなら、次回以降のレビュー候補;
◎Ukamau (de Bolivia)
◎Los Ajayus
〇Huayra
〇Grupo Sauces
〇Maurito y su conjunto
△Fondo de Cultura y Neo Artificio
△Khonsatta
△Grupo Aysa