今年のワールドシリーズ(WS)ドジャース対ブルージェイズ戦は、大谷、山本、佐々木という三人の日本人選手の活躍があっただけでなく、中身の濃い試合が続いて、日本でも大変な盛り上がりを見せた。一週間経った今も、心地良い感動が残る。今年は、日本人メジャーリーガーが続々と誕生する火付け役となった野茂英雄が海を渡って30年、野手でも日本人は十二分に通用することを見せつけたイチローが海を渡って25年の節目の年だった。
振り返れば、私が米国駐在した次の年にやって来た野茂の活躍には、肩身の狭い日本人駐在員として大いに勇気づけられたものだった。折角アメリカにいるのだからと、ベースボール・カードなるものを買ってみたら、あるルーキーのサイン入りカードを引き当てて(所謂ビギナーズ・ラック)、迂闊にもちょこちょことカードを買い続ける罠に嵌った。彼はその後、メキメキと頭角を現し、とうとう(後の話になるが)2018年に野球殿堂入りを果たすに至った。その彼とは、大谷と一塁上でイチャイチャ話をするほど仲が良いとしばしば報じられる(数年前にHR王争いをし、WSでも対戦した)ブルージェイズのウラジーミル・ゲレロJr.のお父ちゃんである。当時、アメリカを離れる前にカード・カタログで調べたら、数枚2ドル前後のカード1枚が10万円の値段をつけていたが、その後の価値がどうなっているかは知らない。
当時、家族でサンフランシスコまで野茂の試合を見に行った。攻撃回が終わると、アメリカ人はだいたい食べ物を買いに行ったりと休憩に入るが、私たちは野茂の応援のために守備回ほど熱が入る。7回表が終わると『私を野球に連れてって』(Take Me Out to the Ball Game)の曲が流れて、なんだかピクニック気分で楽しかった。しかし、あれからメジャーリーグの野球は変わってしまった。今や投高打低と言われるように投手は分業制が当たり前で、先発は100球(5~6回)を全力で投げてクオリティ・スタートを切れば称賛され、フライボール革命とやらで、極端な話をすればホームランか三振かという単調な試合が増えた。
ところが今年のWSは違った。ドジャースの方は、最終の第7戦9回にミゲル・ロハス、延長11回にウィル・スミスのソロホームランによって逆転優勝を手繰り寄せるなど大味が目立ったが、ブルージェイズは繋ぐ野球を実践し、エラーひとつで試合がひっくり返るかも知れない、最後の1球まで勝負の行方が分からない、野球の面白さを再認識させる好ゲームが続き、A・ロッド(ことアレックス・ロドリゲス)をはじめ多くの専門家が、このWSが「これまで見た中で最高」と評した。
我らが大谷は、第3戦の18回に及ぶ死闘で、二塁打、本塁打、二塁打、本塁打のあと、敬遠4回、最後に四球と、9度の打席の全てで出塁を果たして、終盤には脚を痙攣させ、17時間後には第4戦の先発マウンドに立つという離れ業をやってのけた。しかし、大谷以上に存在感を示したのは山本由伸だった。第2戦で完投勝利を挙げ、第6戦で6回を投げて勝利した翌日の最終第7戦にも9回の同点機に登板し、2回2/3を投げて優勝投手になるという伝説をつくった。
このWS第6・7戦の連投にはアメリカ中が驚嘆したが、甲子園球児の連投を知る私は、ナ・リーグ優勝決定シリーズ第2戦に続いてWS第2戦でポストシーズン二試合連続となる完投勝利を挙げたことの方に感動した。古いタイプの野球ファンと言うべきなのだろう。奇しくも堀内さん(巨人V9時代の200勝投手)が、「最も活躍した完投型先発投手に送られる沢村賞を2021、22、23年と3年連続受賞した彼らしく 分業制が確立したメジャーにおいてワールドシリーズという最高峰の舞台でも そのピッチングスタイルを貫いてくれた姿 とても誇らしく観ていました」と投稿された。
半世紀近く野球を見て来て、私は江川卓が最高の投手だと思っている。巨人に入団するときのいざこざ(通称「空白の一日事件」)で、「エガワる」(周囲を顧みず強引に自分の意見を押し通すこと)という造語が流行語にまでなって、これをきっかけに巨人ファンを辞める人が続出した大事件だったが、もとより江川本人の問題と言うより周囲の大人の事情に翻弄された結果だった。その江川は、球種こそ(恐らく掌が小さく指が短いせいで)直球とカーブしかなかったが、バックスピンが効いた浮き上がるような(実際には重力通りに沈まない)伸びのあるストレートは、球質が軽いと言われ、コースがちょっと狂うとホームランを打たれて「一発病」などと揶揄されたが、威力があり、それだけに、大きく鋭く曲がるカーブには効果があって、コントロールが良い上に、本人がボール球を投げるのを嫌うという性格もストレート(笑)で、しかもクイックを行わず二盗されることも気にしないでピッチングに集中するものだから見ていてテンポが小気味よく、1981年には日本プロ野球史上6人目の投手5冠にも輝いた。1984年夏のオールスターでは、江夏豊の9連続三振を超えるべく10連続⁉を狙って、9人目に振り逃げさせることを画策したら当てられて8連続三振で終わるという、江川らしい、策に溺れた詰めの甘さを垣間見させるお茶目なところもあった。そんな実力を前提に、9回を完投するのが当然とされた時代にあって、上位打線では出力を上げ、下位打線ではそれなりに抑えるのを「手抜き」と揶揄されたが、9回には最高出力を出して三者三振に打ち取ることを目指すなど、緩急をつけてゲームを作る野球の醍醐味を味わわせてくれた。所詮は古き(しかし牧歌的な良き)時代の野球でしかないのかもしれないが、山本には一人で投げ切る古武士の風格を感じて、嬉しくなった。
因みにWSチャンピオン・チームの中で、投手成績ではセーブ(スコットがトップ、以下同じ)、ホールド(ベシア)を除いて防御率・勝利・奪三振で山本がトップであり、打者成績では打率(フリーマン)を除いて本塁打・打点・安打・盗塁で大谷がトップである。時代の流れや常識をモノともせず、完投型のタフなピッチングや二刀流で、野球の本場・アメリカ人の度肝を抜き続けて欲しいものである。