カウントダウンが始まったとは言わない。政界はやはり一寸先は闇だろう。
リベラル・メディアは、男女平等を標榜し、ガラスの天井を非難しながら、余程、高市政権誕生を望まないらしい。公明党が青天の霹靂の如く連立与党から離脱したことに喜びを隠せず、その公明党を加えた野党四党(立民・国民・維新・公明)が手を組めば(それは「野合」と呼ぶべきものだ)、政権交代も夢じゃないと、数合わせに熱狂した。
それにしても公明党は思い切ったものだ。長年連れ添った老夫婦が熟年離婚するかのような風情だが、それだけ公明党には凋落の坂道を転げ落ちる危機感は並々ならぬものだったのだろう。勿論、おしどり夫婦などではもとよりなく、性格(政策)不一致ながらも共通する一点で不本意ながらなんとか離れずにやって来た(あるメディアはこれを「踏まれても蹴られても ついていきます下駄の雪」という都々逸にひっかけで揶揄した)、巷間、「離婚なき便宜的結婚」と呼ばれるロシアと中国の関係に似ている。ロシアと中国は国境を接してお互いを警戒しながらも、対米という一点で野合し、公明党と自民党は政策不一致ながらも、選挙協力という一点で大人の関係を貫いてきた。その意味では、26年間よく頑張ったものだと感心するし、余程、権力(つまりは政権担当)には魅力と言うか魔力があって、甘い汁に集まりたいのだろう。実際のところ、公明党の離脱は、自民党の議員によっては悲喜こもごもだろうが、何の利害もない部外者の私にはスッキリする。とりわけ、小選挙区での公明党の選挙協力がなくなれば50名ほどが落選の憂き目に遭うと、メディアから皮算用され、その限りではその通りかもしれないが、公明党が離れたお蔭で戻って来る保守票もあるに違いないから、選挙はやはりやってみなければ分からない。
ところが昨日は、維新と自民党の一昨日の党首会談で、維新が政策協議を前向きに受け入れたことで、リベラル・メディアが置かれた状況は一転し、今日は、国民民主・玉木代表の恨み節まで伝えて来た。「なんだ自民党と連立握ること決まってたのか」「3者協議はなんだったんだ」「自民党とやるんだったら最初から言ってよ」「二枚舌みたいな感じで扱われて残念」「したたかでも、公党間の話なので、出し抜いたり騙したりするみたいなことは、やめたほうがいい」「維新が加わるのであればそもそも我々が連立に加わる必要もなくなった」・・・一体、カール・シュミットが言った敵・味方理論を、政治のおどろおどしさを、どう思っているのだろう。そんなことは誰もが覚悟しているだろうに、この方は何となく頼りなげに映る。
メディアは数合わせに一喜一憂するよりも、また政治家はコップの中の争いに熱中していないで、月末にはトランプ大統領も来日するのだから、とっとと首相指名選挙をやるべきだと思うのだが、立民あたりは「便宜的結婚」説得のための時間稼ぎをしたいようだ。そんなことをすれば、立民だけでなく国民民主や維新も、党に対する国民の信頼を失うことになるであろうことが分からないのだろうか。2009年に旧・民主党が打ち出した「政権交代。」という、本来、手段のはずの政権交代に句点がついて後が続かない目的になってしまったキャッチフレーズを思い出させるような惨状だ。
時代の大きな転換点にあって、社会主義国以上に社会主義国的と言われて格差が少なかった日本で、グローバリゼーションの陰の部分と、コロナ禍に続くウクライナ戦争による世界的なインフレで、すっかり傷んでしまった経済と社会を修復するだけでなく、これまで安保を頼って来た米国と、経済を頼って来た中国の、激しさを増すばかりの緊張を乗り越えて、国益をしたたかに追求する国の舵取りを、政治家の皆様には担って頂かなければならない・・・と、主だったメンツを思い浮かべてみると、選択肢は、伝統的に産業政策に強いであろう自民党を動かし得る高市さんしかないような気がするが、果たしてどうなることやら。