奥多摩の森を歩いていると、いろいろな場所で石仏(せきぶつ)に出会います。石仏とは石に彫られた仏像や石碑などのこと。それらの大半は江戸時代に作られたといわれています。


お地蔵さまや道祖神、馬頭観音(ばとうかんのん)などさまざまな石仏がありますが、全国でもあまり例を見ないといわれているのが日食供養塔(にっしょくくようとう)。寛政11年(1799)に作られたとされるこの石碑は、太陽を供養したものだそうです。




現代と違い昔は、日食や月食のしくみを科学的に説明することができなかったため、昔の人はそれらの天文現象を不吉だと感じたり、あるいは何かの前兆だと考えていたみたいです。


日食に関しては、「疫病がはやるのを天とうさま(太陽)が代わって病んでくださる」と考え、その供養のために塔が建てたられたようです。(参考資料:東京都 奥多摩ビジターセンター発行「奥多摩を歩こう! 第68号」)


石碑をよく見ると、上部に太陽を表すようなマークが確認できます。「日食供養塔」の文字が彫られているのもわかります。


この石碑は、奥多摩湖畔「水と緑のふれあい館」の敷地内「石碑の小道」にあります。石碑の小道では、この他にも、奥多摩湖ができる際に水没地から移設されてきた石碑を、いくつかまとめて見ることができます。


私の好きな「廿三夜塔」(にじゅうさんやとう)が、ここにもありました☾




これまでにも、登計(とけ)集落の廿三夜塔(7月9日記事)、山のふるさと村園内の旧日指(ひざし)集落跡の廿三夜塔(9月10日記事)を取り上げてきました。


廿三夜塔を見ると、江戸時代の庶民が寄り集まって、真夜中(夜11時前後)に東の低空から上ってくる下弦に近い形の月(半月)を待ちながら、飲食を楽しんだ様子が目に浮かんでくるのです。当時の人々はどんな話題で盛り上がったのだろうか…‥などと思いが様々に巡ります♪