生き様 - 杉原輝雄さん | 幸せ信州

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 杉原輝雄プロ(73)は通算63勝(うち海外1勝、シニア6勝)を重ね、1989年にレギュラーツアーの永久シードを獲得している。優勝回数は国内男子プロとしては尾崎将司、青木功に次ぐ歴代3位だという。
世界最年長予選通過記録を68歳10ヶ月で作った。

 シニアに出る歳になっても、現役のツアー出場にこだわった。「シニアに出るためにプロになった訳やないからな。」

 プロゴルフ界の重鎮、杉原輝雄。彼のプレースタイルは「マムシ」と呼ばれ、多くのファンを魅了する。1997年に前立腺ガンが見つかって、手術するか、投薬治療をするか、という岐路にたった。
普通だったら、手術すればいいのに、で終わる話かもしれない。ただ60歳近くになって、手術して入院することは選手生命を絶たれる可能性もある。手術をすれば、半年ほどはゴルフが出来なくなるというので、投薬治療の道を選んだ。

類まれな精神力と日々のハードな練習が彼を支えていた。「生涯現役」が目標の杉原プロ。

 

 昨年の8月、リンパから肺への転移が確認されたのだ。「後悔はしてへん、でも反省はせなあかんとは思うてます」。杉原プロが入院先の病室で、その胸中を明かしている。

 ジャンボ尾崎プロがプロ野球選手からゴルファーに転身してきたのは1970年のことだった。当時のゴルフ界には抜きんでた“看板選手”が不在。荒削りながらも抜群の飛距離を誇るジャンボのプレーは、瞬く間にファンの心を掴んだ。

「ジャンボの登場は、ゴルフ界にとっては、いわば“黒船の襲来”。絶対に負けたらいかん、と彼を倒すためにトーナメント全体が底上げされたと思います。アマチュアの延長のような今のゴルフ界からは想像できないほど、皆、殺気立ってた。

 彼の“パワー”は、僕の今まで培ってきた“経験”を凌駕した。ショックやったけど、どうすればジャンボに勝てるか必死で考えた。ボールを飛ばす新たなフォームも試みたし、正確なパットをより磨いた。

 “マムシの杉原”はそうして、鍛えられていったんや。彼がいなかったら、こんなに現役も続かなかったかもしれん。そういう意味では本当に感謝しとるよ。最近は、太りすぎで目立った活躍ができてへんけど、ジャンボにはもう一度奮起してもらいたいな」

出所)※週刊ポスト2010年11月26日・12月3日号

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