令和3年(2021年)9月16日 第454回
大相撲9月場所が始まった、桟敷席(20,000円/日)の東花道側に15日間、毎日陣取っていた清楚な感じのワンピース美女の姿が無い、この一年以上、東京場所では毎日テレビに映っていただけに、業界関係では結構な話題になっていた筈だが、もしかして富豪の誰かに見染められてお嫁にいったのだろうか? youtubeでも今後も探し続けると言っていた。 代わりといっちゃ何だが、桟敷席の真ん中右に似たような姿・形の子が座っている、紛らわしいモンだ。
我が一山本が4日目の負けで古傷の膝を又、故障した。 案の定、5日目も痛々しく負けた。 心配である。 何とか幕内に留まってもらいたいが、ここは負傷を完治すべきではないだろうか、十両に下るのも止むを得ない。
はらだみずき「海が見える家③ 逆風」(文庫本、初出は月刊誌2021年)
・・・①は413、414回に、②は416回にUPしています、初めての方はお先にご覧ください。
緒方文哉・24才は千葉県南房総で急逝した父が残した海の見える家で、東京から移り住んで2年後、「株式会社南房総リゾートサービス」を起業した。 40才過ぎの独身の、最初からお世話になっている精悍な坂田和海さんは便利屋で相変わらず忙しい、彼の協力もあり、管理業務の増えた別荘や空き家の仕事でこの夏は文哉も多忙を極めた。 その分、実入りも多かった。 幸吉ジイサンが作る自然栽培野菜の宅配も別荘族の東京宅へ宅配しているが、他にPRもしていないので注文ユーザーは頭打ちである。 この春、父の残した中古のステーションワゴンを軽トラックに買い換えた。 自家用の野菜は、幸吉ジイサンの持つ枇杷山の裾に借りた土地で育てている。 何年も放置されていたので、畑にするには非常な時間と労力を費やしたが・・・。 姉が「あんでんかんでん」と名付けた自宅の雑貨屋は、カズさんの姪・凪子の製品は好調だが、最近は山野井彰男・32才独身の作る枇杷の葉染めが納品遅れが目立っていた。 すると、カズさんが言う、→そういえばアイツ、名刺をつくっていたナ、山野井工房、草木染め作家、とか入ってたナ、何が作家か! オメエは枇杷農家の長男だろ、と、ダメ出ししてやったけどナ、都会に憧れる悪い虫がまた騒ぎ出しているンだろう、と決めつけていた。
オカポとは今年の春、初めて種を撒いた陸稲の事で、幸吉さんが、→やってみっか、と自然栽培を指導してくれたのだった。 畑30坪で一俵もとれれば一年分あるわナ、と幸吉さんは軽く言う。 陸稲はすくすく成長したが、同じく雑草も成長が早い。 三角ホーとよばれる農耕用のレーキで雑草の根元から掻き切る作業に文哉はせっせ汗を流して手入れした。 刈り取られた雑草はそのまま畑の肥やしになる。 コメもそうだが畑作に稲ワラがえらく重宝するンだ、と幸吉さんが弾んだ声で教えてくれた。 幸吉さんの枇杷山のオカポを見に行く、左に曲がれば山野井家の枇杷山、右に進むと幸吉さんの枇杷山、中腹に今は麓で生活中の昔の幸吉さんの家があり、その奥に文哉のオカポ畑がある。 海が見える見晴らしがイイ。 スマホで生育状態を何枚か撮影し、稲穂も数本持ち帰ってアトから膝の悪い幸吉さんに診てもらおう。 裾野の野菜畑は夏野菜の収穫が終わりつつあり、秋冬の野菜のタネをいつ蒔くかタイミングを見極めなければならない。 ・・・日曜日、明日は陸稲の刈り入れ予定日、山野井彰男が東京へ向かった、と親戚の元町内会長の中瀬さんが苛立出しげに教えてくれた。 文哉はそれどころではなかった、今、大型台風がこっちへ向かっている。 南房総リゾートサービスが管理契約を結んでいる別荘の住人は夏の利用を終えて滞在者はもういない。 寺島さんから、リビングのシャッターを降ろしておいて、と連絡が入った。 その他の契約宅を廻り、戸締りを確認、雨戸のない家はカーテンをおろし、万一、窓ガラスが割れた時の飛散予防である。 植木鉢、ジョウロ、ホース・リール等々を屋内へ、転倒の可能性のある自転車や物干し台はロープで固定した、これらをカズさんに手伝って貰って夕方までに片付けた。 明日予定の刈り入れの陸稲畑を見に行った、横殴りの雨を頬に受けながら到着したが既にずぶ濡れだ、夕方早く自宅に帰った文哉は、ずぶ濡れの服を着替えて雨戸を閉めた。 風は更に強まり、雨も激しくなってきた。 万一の断水を懸念して風呂には水を張っておいた、懐中電灯、ヘッドライト、ロウソクを枕元に備え、スマホは充電の儘にしておく。 午前零時、狂ったような風と雨の音しかしない。 まるで地震のように丘の上の家が小刻みに揺れている、午前一時、停電した! 脅しをかけるように風が唸る、呼応するように柱が軋む、ドーン、と大きな音がして、ガシャーンと何かが雨戸にぶつかった、この家が飛ばされる!と本気の恐怖感だった。 物置小屋のトタンの屋根が吹き飛ばされたのだろう。 続いて天井が激しく揺れ、屋根瓦が崩れる音がした、 どこからか風が吹き込んで来る、ヘッドライトを装着して見当を付けた場所へ向かうと、風呂場のドアがバタついている、顔にまともに風が吹き付けた、黒い空が見えた、そこはもはや風呂場では無く、外の気配である。 風呂場のドアを必死に押さえて、・・・少し眠ったようだ、雨戸の隙間から差し込んできた陽光が疂を照らしている、雨戸を開け、朝の光に目を瞬くとギョッとした。 コの字型の白い木製の室外機カバーは寺島さんの家のモノだ、ここまで飛んで来たのか、と茫然とする。 やはり、風呂場の屋根、物置小屋の屋根も飛ばされている。 台風は過ぎ去った、しかし、家からの景色は一変していて正に被災地そのものだった。 自分もひと晩で被災者、と思いながら坂を下って行くと昨日見て回った別荘が無残な姿を晒していた。 涙が零れた、脚が動かない、身体に力が入らない、やらなければならない事が山ほどある、解っている、しかし・・・ 何故、神様はこんな仕打ちを与えるのか、とまた声が出ずに泣くのだった。
朝から半日をかけて別荘を見て回った、屋根がやられているのが多く、どの邸も被害があって庭には瓦礫が散乱していた。 港では海中に沈んだ船もあった。 砂浜には多くの漂流物が打ち上げられていた。 停電の儘、さっぱり復旧しない、テレビもネットも繋がらない、時間だけが過ぎてゆく。 元町内会長の中瀬・栄子夫婦や、潜水漁師の秀治・元海女の波乃夫婦、カズさん達が集まってきて、幸吉ジイサンが見当たらない、と騒ぎ出した。 枇杷山の家にいるかも知れない、彼らの反対を押し切って文哉は出かけた。 カズさんのハイエースで行けるところまで送って貰った、これ、持っていけ、と道具を渡してくれた、折り畳み式のノコギリ、ロープ、手袋、使い捨てライター、折り畳んだブルーシート等々、文哉はセンベイとペットボトルを背中のリュックに忍ばせている。 ・・・汗まみれになって山の中腹にある幸吉さんの家に辿り着いたのは午後6時過ぎ、途中、何か所か、倒木で道が塞がれていてすっかり遅くなってしまった。 カズさんに手渡された道具が役立ったのは言うまでもない。 呼んでみたが幸吉さんが居る気配はない、玄関も裏口も鍵が掛かっていて中には入れない、ぐるりと廻って見たが家屋には損傷は無さそうだ。 裏山の枇杷の古木が根元から裂けるように折れている、陸穂畑はほぼ全ての稲穂が倒れ込んでいた、一週間前に夢見た稲穂の黄金の輝きはあっさり打ち砕かれた。 収穫を心待ちにしていたのに何てこった、体の力が抜けていく、それにしても、幸吉さんは何処へ行ったのだ。 平地にブルーシートで囲いを作り、焚火で暖をとり、センベイと水で一夜を明かした。 朝、野菜畑に行って何か食い物をと考えていたが、何か所も地面が掘り返されていた、恐らく話に聞いていたイノシシかも知れない、倒れかけた枝に付いていたトマトは甘かった、残っていた夏野菜、ゴーヤ、ナス、シシトウ、ピーマン等々を収穫し、リュックに詰めた、突然思った、ああ~、たまには肉が喰いてえ~ッ、と叫んでしまったが、誰にも声が届かない。
中瀬さんの家に寄って、幸吉さんがいなかった、及び家の様子や辿り着くまでの倒木の状況等々を説明して、奥さんから炊き込みご飯のおにぎりを頂いた、町のガソリンスタンドは長蛇の列を為しているらしい、まだ、停電が続いており、テレビも水もスマホも使えていなかった。 昼過ぎにカズさんがやって来た、幸吉さんが帰ってるらしい、→バッタリそこで会ったんだが頑固に行き先を言わねえ、おまけに背広姿よ、屋根が吹き飛んだ自分の家を茫然と見ていた、との事だった。 →どこの家も先ずはブルーシートで屋根を覆わないと雨が来たら大変だ、それと、ブレーカーを落としておかないと通電されたときの発火が心配だ、やることが山積みだナ、オレは資材を調達する、文哉は契約別荘の被害状況を纏めて優先順位を決めろ、そして相手と修理程度を相談しろ、凡その費用も必要だろ、オレの客にも同じようにする、屋根にも上れない弱者が多いからナ、修繕業者は手が廻らないだろうから、助っ人も見つからないだろう、兎に角二人でやるしかないゾ。 いつもと違う厳しい表情のカズさんだった。
幸吉さんは、→こっちの家は駄目だ、山の家に戻る、あっちは木に囲まれてるから、なんぼか風に強い、これからは山で暮らす、陸稲は倒れても水に浸かっているわけじゃ無い、喰えればイイんだからこれから刈り取ってみるべ、と二人で枇杷の山に向かった。 自宅の玄関には、幸吉さんと枇杷山の家に向かいます、とメモを貼った。 幸吉さんは痛む足を引き摺りながらも達者に上って行く、途中、倒木があっても横道を熟知していた、陸稲は昨日よりも稲穂が立ち上っていた、その逞しさに嬉しくなる、こりゃイイかも知んねェ、と幸吉さんが言いながら刈り取って行った。 竹林から切り出した青竹で稲を干す笹掛けを作り(稲架 はさ と言うらしい)、幸吉さんが稲穂を起用に束ね、稲架に掛けていく。 天候にも寄るが10日間ほどで乾燥出来るらしい。 太陽が美味しくするのさ、と頑固ジイが言った。 日没直前に作業が終わり、黄金色の稲穂が稲架に掛かっている景色に感動した。 これで一年中、コメが食べられる、と嬉しい限りだ。 庭にある井戸水で手足を漱ぐ、手押しポンプなので電気が無くても水が使える、これから帰るとすれば山の闇が深い、泊まってけ、と幸吉さんに言われてお言葉に甘えた。 五右衛門風呂を涌かせてくれた、炊き立ての白米と切り干し大根、ひじきの酢の物、ミョウガの味噌汁、ミズのたたきが食欲をそそる。 味噌・醤油等々の調味料類は備蓄していた。 こういう時の為の乾物である、食べ物の保存に、干す方法がある、アジの干物、切り干し大根、梅干し、干し芋、干し椎茸、かんぴょう、コメもそうだ、天日干しで太陽が美味しくしてくれる、天然栽培の野菜も加工して付加価値のある食材になる、もう一工夫出来そうだ。 →ご馳走さま、と心から思う。 粗食ながら、昔ながらの智恵の夕飯に感動を覚えた程だった。 食後のデザートはあけびだった、ねっとりとした食感と自然の甘味、頬がゆるんでいった。
幸吉さんが日本酒一升瓶を出してきた、→実は東京へ行って来た、その理由は何れ話すが、電車の中で山野井忠男の倅がオレを見付けて寄って来た、行先は言わんかったが、故郷を捨てた様に嬉しそうにみえた、奴が先に降りた、間もなく地下路線に入った駅だった、と言う。 文哉は野菜畑に掘られた穴を言い出すと、→そうか、枇杷も随分やられていたから、アイツが出たんだろう、とイノシシの事を言う、→あん男を呼んで肉を喰うか、と幸吉は呟いた。
陸稲を干したアトの数日間は、危険が伴う作業が続いた、一階ならまだしも、二階建の屋根にブルーシートを張るのは足が竦むおっかなびっくりだった。 手伝ってもらっている漁師の秀次さんも梁から降りられなくなる始末だった。 近隣の住民の壊れた屋根を優先し、自分の家、管理契約の別荘は後回しにした。 今、住んでいる家が先なのだ。 台風が去って5日後、スマホがつかえる木更津まで軽トラックで出て、やっと、別荘のオーナー達と話が出来た。 誰もがそれ程酷いのか、と驚くばかりだった。 中には、植草さんのように怒り出す人も出て来た、→何でもっと早く連絡を寄こさないんだ! ブルーシートを張り終えた? 何を言ってる! さっさとプロに頼めばイイだろッ! ふざけるなッ! こちらの状態を知らずに勝手な事をほざく相手に文哉はキレた。 →おい、だったらナ、今すぐこっちへ来い、アンタの家だろ、自分で確かめろ! イキナリ、電話をぶち切った。 いけない、悪い癖が出た、これで契約解除だろうな、と諦めが先に来た。 しかし、こんな勝手な野郎は一人だけだった。 被害の一番酷かった寺島さんは、→そりゃ大変だったね、応急処置までありがとう、出来るだけ早く行くよ、と言いながら、文哉の自宅はまだ其の儘で、庭にテントを張って生活中です、という事にえらく感激していた。 必要品を遠慮なく言え、と諭されて、大きなブルーシート、傘釘と土嚢袋、ロープと紐、冷蔵庫が使えないので氷、と遠慮なく要望を出すと、トラックをレンタルして積んで行く、と頼もしい限りだった。 ガレージにある発電機を使ってもイイ、と寺島さんから許可を貰って、さっそく大活躍した、カズさんの家のLPガス湯沸し器に電気を繋いで風呂をたてて、近所の皆に入って貰った、発電機に充電器を繋ぐとスマホの充電に後を断たない人がやって来た。 二日後に物資満載のトラックでやって来た寺島さんの大きなクーラーボックスに三つには氷が山ほどあったので、カズさんが近所の子ども優先にかき氷を作ってあげて大喜びされた。 大人たちはそれを見て幸せそうな嬉しそうな顔を見せた。
(ここまで、全285ページの内133ページまで。 文哉の自給自足に向かって着々実現していく歓びが溢れてくる。 幸吉さんが言ってた、あん男がイノシシを仕留めて、その肉のご相伴に与ったがその旨い事ったら無かった、天日干しした陸稲も上々、今度は幸吉さんの枇杷山も手掛けたい、文哉はこの土地で生き抜く事を心に決めたのだった)
(ここまで、5,800字越え)
令和3年9月16日