キンモクセイの香りがする季節になりましたね。
秋のキンモクセイと春の沈丁花だけは、花を見る前に咲いてることが分かります。
もう少し経つと、キンモクセイの木の下はオレンジ色になりますが、そんな景色を見るのも好きです。

さて、今週の記事についてです。
2週間前はパウロでしたが、今週はアブラハムでした。
相変わらず、アブラハムをだしに、どんなにつらくても組織に従え、という内容です。
そのつらさのほとんどは、組織が引き起こしているんですがね。

とりあえず内容です。
・アブラハムは神の王国を待ち望んでいた。
・それに強い信仰を持ち、楽しみにしていた。
・アブラハムは神を信頼していたので、快適な町をあとにして天幕生活を送ることができた。
・アブラハムは様々な問題に直面したが、信仰を強く保ち、神の約束が果たされるのを穏やかに待つことができた。

こんなところですね。
本来の聖書の読み方は、この程度の感想でいいんじゃないですかね?
なにも、一個一個取り上げて、どう当てはめられるか考えなくても良いように思います。


じゃあ突っ込みです。
といっても、ページが割かれていた過去のJWの経験は完全にスルーしたため、突っ込むところもそんなにありませんでした。
間違った希望を拠り所にして生きて、間違った希望を持ったまま亡くなった人の経験なんて、ほとんど参考になりませんからね。


ではまず1節の出だしから。
​現在,幾百万​も​の​人​たち​が​犠牲​を​払っ​て​エホバ​に​仕え​て​い​ます。結婚​し​ない​で​いる​兄弟​姉妹​たち​が​い​ます。子供​を​持た​ない​こと​に​し​た​夫婦​も​い​ます。今​ある​もの​で​満足​し​て​生活​し​て​いる​家族​も​い​ます。この​人​たち​に​共通​し​て​いる​の​は,できる​だけ​十分​に​エホバ​に​仕え​たい​と​願っ​て​いる​こと​です。

いきなりこれですよ。
人をさんざん誤導しておいて、悪びれもしてない。
同じ文章を、注釈入れながら読んでみるとこうなります。
現在,幾百万​も​の​人​たち​が​犠牲​を​払っ​て​エホバ​に​仕え​て​い​ます。(結婚は楽園に行ってからで良い、などと組織が勧めたせいで)結婚​し​ない​で​いる​兄弟​姉妹​たち​が​い​ます。(今は子育てよりも宣教を第一にすべき、などと組織が勧めたせいで)子供​を​持た​ない​こと​に​し​た​夫婦​も​い​ます。(組織の勧めに従って高校にすら行かなかったために)今ある​もの​で​満足(​せざるを得ない、極貧の)生活を​し​て​いる​家族​も​い​ます。この​人​たち​に​共通​し​て​いる​の​は,できる​だけ​十分​に​エホバ​に​仕え​たい​と​願っ​て​いる​(組織の間違った解釈を信用してしまった)ことです。

このことを考えると、この節に出てきた「犠牲」って、ほぼ組織のせいで払わされた、払う必要がなかった犠牲ってことですね。
盲目の案内人という言葉がぴったりです。



ずーっと飛んで、最後の17節。
今​は​特に,将来​に​目​を​向ける​こと​が​大切​な​時​です。世界​の​出来事​は,終わり​の​時代​が​間​も​なく​終わる​時​に​私たち​が​生き​て​いる​こと​を​示し​て​い​ます。私たち​が​待ち​続け​て​い​た​真​の​土台​を​持つ​都市​が​地球​を​完全​に​治める​時​は​近い​の​です。

そうだよね。将来に目を向けて欲しいよね。
ちょっと過去に目を向けると、1914年には「終わり​の​時代​が​​終わ」ってたはずだったし、1975年にも終わりが来ていて、当時若かった人は高齢になんかならないはずだったし、1914年にキリストの王国の設立を理解した人が生きている間にハルマゲドンがくるはずだったりしてますからね。不都合がめじろ押しです。

これだけ預言を外しまくっといて、よくもまあ「世界​の​出来事​は,終わり​の​時代​が​間​も​なく​終わる​時​に​私たち​が​生き​て​いる​こと​を​示し​て​い​ます。私たち​が​待ち​続け​て​い​た​真​の​土台​を​持つ​都市​が​地球​を​完全​に​治める​時​は​近い​の​です。」とか、いけしゃあしゃあと言えますよね。
どうせ外れるでしょうが、「今度こそ」と付け加えることをおすすめしたいです。



さて、違う視点で気になったところ。
4節。
アブラハム​は,自分​の​子孫​たち​が​エホバ​に​よっ​て​建て​られる​王国​の​構成​員​に​なる,と​いう​こと​を​知っ​て​い​まし​た。

この「​エホバ​に​よっ​て​建て​られる​王国​の​構成​員」とかいう新しい表現はなんなんですかね?

創世記17:6でアブラハムは「そして,わたし​は​あなた​が​非常​に​多く​子​を​生む​よう​に​し,あなた​を​幾つ​も​の​国民​と​ならせる。王​たち​が​あなた​から​出る​で​あろ​う。」って言われてますから、「自分​の​子孫​たち​が​エホバ​に​よっ​て​建て​られる​王国​の​​国民となる」とか「自分​の​子孫​たち​が​エホバ​に​よっ​て​建て​られる​王国​の​王になる」だったら分かるんですけど。

考えてみると、その前の3節の記述も良くわからない。
神​の​王国​は,イエス​・​キリスト​と,天​に​行く​よう​選ば​れ​た​14万4000​人​の​クリスチャン​で​構成​さ​れ​て​い​ます。

前からこんな説明でしたっけ?
普通、王国と言えば、国王と臣民の両方を含んでいると思います。百万歩譲ってJWの解釈が正しいとして、イエスと14万4000人だけじゃ支配する側だけで、支配される側が入っていません。王様一人のことを「王国」と言っていることになります。
おかしくないですか?

私としては、「神の王国」とは「神が任命したイエス・キリストが王として全人類を支配する、新しい政治体制」のことだと認識していたんですけど。


なんか、14万4000人の役割を強調したいがために、変な表現になっているのではないかと、邪推してしまいました。


今週は以上です。