亡き祖母の四十九日の法要は

六七日(42日)に執り行われましたが

今日が本来の四十九日でした。


母が祖母を偲んで昼食はみんなで

食べましょうと言う事になりました。


体調不良の叔母さん(三女)は

無理でしたが、もう一人の叔母さん

(次女)と義姉を呼んでみんなで食事。


母が朝から仕込んでいたがめ煮(

筑前煮)は間に合わなかったけど

素麺とかまぼこのお吸い物、サラダ、

かぼちゃの煮物、叔母さん(次女)の

炊き込みご飯の精進料理。


私は11時30分の病院の受付に

間に合うように出掛けなけれぱ

ならなかったので11時前から

食事会は始まりました。


「四十九日って早いね」

「本当にそうだね」

等と祖母の思い出話もしました。


みんな一区切りついた感じでした。


母が8日に寒中見舞いを出していたので

その知らせを見た母の知人が

夕方、お参りに来てくださいました。


母が事の顛末を話していると

私にはまた一筋の涙が流れましたが

それ以上泣く事はありませんでした。


祖母が亡くなってからの祭壇は

明日にでも葬儀社に連絡して

引き取りに来てもらう予定です。


祖母の遺影は曾祖父母の遺影と並べて

これからはご先祖さまと一緒に

みんなを見守ってもらいます。