(※記事のタイトル「これが~」は米津玄師さんの「馬と鹿」から拝借しました)

 

今日ヒグポンさんの記事を絡めてこんなエントリ書いた。

 

 

中身は何にも無いからヒグポンさんの記事だけ読んでくれればいいです。

 

 

で、フツーこういう場合

「AIに依存する時代は危険だ」とか

「人間関係が崩壊する時代が来るかも」とか

そういう感じの危機感ある内容が求められてると思うんだよね。

 

ワタシはまぁそこは最初から諦めてます。

 

一応昭和生まれ世代だけど中学の時にはPCがあったしインターネットも習った。

検索がどういうものか飲み込むのは早かったように思う。

父の事務所ではもっぱらソリティアばかりやってたけど。

 

自分の体験からすると、便利な道具や環境に依存する人としない人との差は道具の有無とは無関係だと思うんだよね。

大学の頃はレポートの有料コピーとかフツーにあった。

簡単にコトを済ませる人は大勢いてそれで卒業に何の支障も無かった。

そういう人達が今フツーに社会人として大勢生活してるの。

彼らの多くは本を読まなかったと思うし、授業に必須の教授の本も買ったフリで済ませてたし、むしろ真剣に独自のレポート出してた子がコピーしただけの子より評価が低かったのも見た。

今も生成AIでレポート書いてる学生が大勢いるし、学業でさえこれだから私生活ならもっと「有意義に活用」するだろう。

ズルいと思うけど仕方ないじゃん?

真面目に勉強してた人より要領いい人が評価されてたんだから。

 

話が全然違うだろって?

ワタシはこれ一緒だと思うのよ。

 

他人を相手にする面倒臭さはつまり、裏を返せば「予測できない反応・期待しない反応」を避けたいからだと思うの。

自分の話に迎合する相談相手も本音で語り合える友人も、それ自体は自分の評価でしかないじゃない?

つまりそういう関係性は双方の評価が一致して初めて作られるものだから、自分が「有意義な関係」だと思っても相手が違うと感じるのなら不均衡だし、その逆もしかり。

だから「いつでも止められる都合の良い相手=AI」ならとてもインスタントに「有意義な関係」を作れるし、簡単にそっちに流れていく人は多いと思う。

もちろんこの関係性は所詮一方通行だから、と割り切れればの話だけど。きっと彼らはそんなこと考えもしない。

「世界で一番美しいのは誰?」と尋ねても「それはシンデレラです」とは決して言わない魔法の鏡を手に入れたんだから。

 

一応書いておくけどワタシは濃い人間関係を否定しないよ。

ホントに勘弁してよっていう面倒な人はパスしたいけど

どちらかというとホントは絶対そっちの方が良いと感じてる。

 

だけどおそらく昔よりそういう子って以前よりずっと少ないはずなのよ。

昔「直接話すよりメールの方がわかりあえる気がする」って言われたもん。

「ナニソレ」って正直思ったな。言わなかったけど。

ワタシが多用する顔文字絵文字、つまり記号の世界だよね。

人間の感情って喜怒哀楽だけじゃない。

その複雑な感情に接したくない、受け入れたくない、

だから解像度を低くして世界を単純化した方が考えなくて済む。

ケータイ世代の私達はおそらくそんな感じなの。

アラフォーでそういう子結構いるんじゃないかなー。

ワタシの周囲だけかも知れないけど。

 

やがて来るスマート時代、完全無欠なヴァーチャルライフに欠かせない免罪符。

関係性を拒絶しつつ孤独に病まないように依存できる合法的な愛の薬(MDMA)

きっとスマホって「AIで初めて完成する洗脳ツール」なんだと思う。

 

 

だから「スマホを握ってる」時点で批判なんて意味無いと思う。

もしも危機感を覚えるのならまず自分から手放さなきゃ。

使わない時間を優先することからしかそういう退廃的な世界を変えることは出来ないような気がするなー。

 

あでもそこはマジ、ワタシたちが大人の背中を見せる所かも?

 

きっとその時は「ダサッ」の一言で片付けられるのよ。

「老害」や「偏屈」と笑われたりするのかも。

かつてワタシのような陰謀論者が、どんなに危機感を煽っても「●カじゃない?」って罵られたようにね。

 

その覚悟持って挑むのなら

スマホ離れにも意味がある…かもね(;´∀`)上の世代は知りません