タマのたまたまブログ気分

タマの路上観察ブログをご覧下さり有り難うございます。阪神甲子園球場のお膝元・兵庫県西宮市を中心に、主に関西圏の表情を写真とともに楽しくご紹介しています。宜しくお願い致します。


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写真は、有馬川に架かる乙倉橋(神戸市北区有馬町)です。県道98号線から撮ったものです。
( 34.803630, 135.249239 ←乙倉橋の緯度・経度  googleマップにコピペすると乙倉橋の場所が表示されます。)

この橋を渡った先(◯◯クリニックが建っている場所)には、かつて旧国鉄有馬線の有馬駅がありました。戦時中の昭和18年(1943年)に全線が廃線(休止線扱い)となり、それから七十年ほどが経ちますが、廃れ行く有馬線の記憶を少しでも後世に残そうと乙倉橋の欄干には開業当時の写真や解説文がはめ込まれています。

解説文には次のように記されています。



                  

「有馬鉄道」
「明治に入り、全国に次々と鉄道ができました。有馬の人々も鉄道を待ち望んでいましたが、なかなか実現には至りませんでした。
 三田(さんだ)からの有馬鉄道が完成したのは、大正四年(1915年)四月十六日のことです。当初は民間鉄道として計画されたましたが、完成と同時に鉄道院が借り受け、四年後買収され、国鉄有馬線として運行されました。
 路線延長は十二. 二kmで、途中塩田、新道場、有馬口の各駅がありました。上り下り各七本、約二時間に一本というのんびりしたものでした。戦時中の昭和18年(1943年)に廃線となり、資材は篠山線建設のため転用されました。今も十八丁川に残る橋脚など、所々に面影を見ることができます。」 (注)( )は筆者によるものです。


「三田」とはJR福知山線三田駅のことです。(現在は神戸電鉄三田駅とも連絡しています。)
大阪と有馬が初めて鉄道でつながったことで、多くの温泉客が気軽に有馬にやって来る事ができるようになりました。

また、「十八丁川に残る橋脚」ですが、先年開通した有馬山口線バイパスの橋脚に組み込まれ、一部を見ることができるそうです。



                   (乙倉橋 欄干画像)

こちらは1915年4月16日、開業記念日の様子を描いた画(版画?)です。
下の写真を参考に制作されたようですね。(^-^)
桜が咲き誇るなか、盛大に記念式典が催された様子が見事に描かれています。
この日を今か今かと待ち望んだ有馬の皆さんの喜びまでもが伝わって来るような気がします。(^-^)



                   (乙倉橋 欄干画像)

開通記念式典当日の写真です。

客車四両が写っていますね。
機関車の型は私には分かりませんが、詳しい方がご覧になれば分かるのだと思います。(^-^)

機関車が下り方向を向いていますので、三田からお客さんを乗せて有馬駅に到着した場面と思われます。



                   
乙倉橋についてはこのように記述されています。

「有馬駅と乙倉橋」
「『有馬駅』は、有馬の人々の大きな期待を担ったもので、時計塔や広い駅前広場を持つ豪華なものでした。
 また、開通に先立ち、有馬川に長さ八間八分(約14.5m)、幅二間(約3.6m)の木橋『乙倉橋』が架けられました。乙倉橋はその後、昭和三年(1928年)に鉄筋コンクリートの橋に架け替えられました。この橋は昭和十三年の大水害にも堪えましたが、平成七年(1995年)の阪神・淡路大震災により大きな被害を受け、このたびの大改修となりました。
 駅ができた頃は、田園の中にわずかの農家があるだけでしたが、鉄道開通により、旅館の待合所や出店もでき、また、住宅も建ち始め発展を遂げました。小区『桃源洞町』が北の町から分離独立したのは、鉄道開通の三年後、大正七年のことです。桃源洞町の名は、以前の地名峠堂にちなんだものです。」 (注)( )は筆者によるものです。


現在の乙倉橋は三代目なのですね。(^-^)
駅前通りらしく幅の広い立派な橋で、往時の賑わいが想像されます。
初代の橋幅は二間ですので現在のものよりも狭かった訳ですが、当時としては立派なターミナル駅前の装いだったことでしょう。

また、文中の「桃源堂町」ですが、現在は町名を変えて「有馬町」となっているようです。

廃線から七十年も経つと、有馬川に沿って鉄道が走っていたことを覚えている人は可成り少なくなっていますね。


さて、有馬鉄道の発起人の一人である山脇延吉(1875-1941)についてですが、兵庫県議会議員も勤めたことのある実業家で、有馬線が国鉄に買い上げられて後は新たに神戸有馬電気鉄道(現 神戸電鉄)を起し、1928年(昭和3年)神戸及び三田から有馬にアクセスできる鉄道路線を開業させたということです。

先輩格の有馬線よりも運行本数も多く(電車ですので)、有馬への温泉客はこちらの方を多く利用したそうです。

その後、戦時体制下の1943年に、有馬線は不急不要路線として休止線となり、当時は物資が窮乏していましたので、レールは剥がされて国鉄篠山線の敷設に再利用されたということです。

篠山ではマンガンが産出され、それを輸送するための軍需路線だったのですね。

その篠山線も1972年(昭和47年)に廃線となり痕跡を辿るのが困難となっていましたが、篠山線を懐かしむ地元の有志の皆さんにより、2014年に線路の一部が復元されたということです。

さて、改めて思うことなのですが、鉄道の敷設によって沿線の暮らしや街並みは激変します。
また一つの路線を見ても、栄枯盛衰のドラマがあります。

ご周知のように鉄道は時代を写す鏡でもありますので、興味は尽きることがありません。(^-^)




(乙倉橋より有馬川上流を望む。有馬駅跡に向って右側。この先が温泉街。ここからは急坂が続く)


 (乙倉橋より有馬川下流=北を望む。有馬駅跡に向って左側。有馬線は右岸を走っていました。
  正面に見えるのは畑山)

(写真)兵庫県神戸市北区有馬町 2014.9.21 撮影


(C) Misako Takahashi 2014
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